岡山県議会議員 森脇ひさき

2023年の岡山県議選で5期目当選させていただきました。
「命と暮らし、環境が最優先」の県政へがんばります。

阪神・淡路大震災20周年

2015-01-17 | Weblog
 岡山でも朝、大きな揺れで飛び起きました。
 丁度その日は岡山駅前での朝の宣伝日。揺れがおさまってしばらくしてから身支度して、駅頭へ。「朝の地震はびっくりしました」なんて言いながら、いつも通りの訴えをしました。
 事務所に帰ってテレビを見て、びっくり仰天。奈良県出身の私には岡山との往復で行き来した高速道路、変わり果てた街並み。(昔の彼女と遊びに行った・・・)今でも涙がこみ上げてきます。
 いち早く駆けつけたかったのですが、当時は地区の機関紙の責任を担っており、動けませんでした。そんな私の姿を察してか、1月末の申請が終わった2月1日、先輩方や同僚が私の配達を代わってくれて、送り出してくれました。
 姫路までの新幹線にとびのり、兵庫長田区へ。すでに2週間、その頃は車も比較的スムーズに走ることができました。かって出たのが高台まで物資や水を運ぶ仕事。宣伝カーに積めるだけつんで、現地に着いたらマイクにて「物資と水をお持ちしました。持ち運びが困難な方は言ってください。玄関まで運びます」と。
 待ってましたとばかりに人垣ができ、「市の車は下までで、ここまで来てくれへんねん。お兄ちゃん(当時32才でしたが20代にみてくれていたそうです)ありがとう」今でも忘れることができません。
 さらに感動したのは、「お兄ちゃん、ここまででええから。あとは僕ら(私ら)で運ぶわ」――被災した人たちの暖かい助け合いでした。

 10日間【最終日の翌日が私の結婚式(と言っても、両家の家族と仲人さんだけですが)で、後ろ髪引かれる思いで帰りました】の短い活動でしたが、ホント、人生観を変える2つ目の(1つ目は、障害のある人たちやその人たちを支えてがんばる人たちの出会い)できごとでした。
 最終日は、同じく支援に出向いてこられた人たちが結婚の前祝いをしてくださいました。(アレ、もしかして結婚20周年?)

 もうひとつ思い出しました。結婚をひかえた私は、この震災のことを、やがて産まれてくるであろう子どもたちに伝えなければと、長田の街をカメラにおさめました。当時はデジカメなどありません。当然フィルムカメラです。でも未だに現像できずにいます。

 写真は当時の私です。今から惚れてもダメですよ (笑)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2日目は地元中心に、他地域... | トップ | 3日目、ちょっと風邪気味、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事