薬草を例えにして話が進む
この世界にある植物や樹木は
若いものもあり
大きく成長したものもある
生物は各々の状態や能力に応じて
水を吸い上げ
成長する
このように
それぞれの人々には
能力や精進努力に
差異がある
如来は全てのことを
知るものであり
教えは全て同じ
一切を知る者の智慧である
如来は
人々が何を考え
どのように修行し
何を獲得するのかを知っている
この世界には
小さな薬草
中くらいの薬草
大きな薬草がある
汚れのない教えを知り
悟りにとどまる者は小さな薬草
常に瞑想しそれぞれの悟りを得る
清らかな者は中くらいの薬草である
仏の道を志して
常に精進する者は最高の薬草であると
そして
仏の乗り物は一つしかなく
悟りの境地はただ一つであると
やはり比喩を用いながら
語っていく
生まれつき目の見えない男の話
そして医者の与えた
四種の薬草によって
男の目が回復した
しかし見えるようになっただけで
智慧も学識もない
出家し欲望を捨てなさいという
これも例え話で
目が見えないというのは
六種の運命を辿って
生死を繰り返している人間
人間は愚かであり
業の原因となる所行を積み重ね
苦悩が集積する
人間は無知のため
生死を繰り返す
如来はこの世に現れて
悟りの境地を
四種の薬草の話で教える
無明を滅するには
四種の薬草を使うこと
この薬草が
空、無相、無願、悟りの境地
と同じであると
法華経を写経しながら
読んでいると
いままで素通しして来た話が
分かって来た
解脱しただけでは
目が見えない人が
ただ視覚を得ただけで
まだ悟りには達していない
という事
仏の乗り物は
一つしか無いという事
やはり何度も
書いて見ることが
必要であると分かった
まだ2回目
先は長い