隣りの家へ
挨拶に行った
隣りの家の旦那さんは
今はほとんど家にいて
月一回病院に行くくらいらしい
家に上がらせていただき
いろいろ話を
聞かせいただいた
91歳だそうですが
若く見える
頭もずいぶん
しっかりしていて
小さい頃の話を
よく覚えておられる
若い頃の話が
時代を感じさせる
昭和5年生まれ
小学校の話
今の6年制ではなく
8年制だったとのこと
お国のため
天皇陛下のために
死ぬことは
小学校の時から
教育されたそうです
死ぬ事を
怖いと
思ったことは
無いということです
家では
あなたは長男で
下に二人の
弟がいるから
死んでも大丈夫
と言われていたそうです
日本の葉隠に
武士道とは
死ぬ事と見つけたり
と書かれてれていた
殿様の為に死ぬこと
昔から同じだったんだ
と思う
日本人には元々
死について
そういう考えが
あったのか
そういうふうに
教育されてきたのか
いつの時代も
そうやって
教育されてきたんだ
今だってまさに
教育されている
ここは山の中
若い時は
林業をやったそうです
当時は杉が
高く売れたそうで
杉の木一本が
当時の給料の
何倍もしたそうです
今では安くて
商売にならないと聞く
牛、豚も飼っていたそうです
驚いたことに
猪も飼っていたそうです
凄いバイタリティです
私に
いくつかと聞かれ
71才だと言ったら
若いね
と言われた
たしかに20才下だ
昭和5年で思い出した
あがた森魚の
赤色エレジー
愛は愛とても
何になる
男一郎ママヨとて
昭和4年は春ほよい
幸子と一郎の物語
ウンチャッチャ
ウンチャッチャ
のリズムで歌う
物悲しくも
大正ロマンを
感じさせる
あがた森魚の歌
お爺さんも名前に一が付き
一隆さんと呼ばれている
奥さんの名前が幸子さんで
なんとなく似ている
昭和初めの頃のこと
自分は何も知らないな
と思う
日本が満州から
インドまで行っていたこと
そして真珠湾攻撃
太平洋戦争が始まり
アメリカとの戦争へ
そして空襲
ここ田舎は
空襲に合わなかったが
向こうの空が真っ赤に
なっていたそうです
そんな話を聞いて
いつまでも元気で
長生きして
いただきたいと
思いました