看護師の資格をとってしばらくは、患者に対しては
※プロとして誠心誠意かかわる。しかし、そこに情を持ち込む必要もないし、持つつもりもない。
そう思って、看護をしていた。
今回、出版の件で職場を去らなくてはいけない状況になったことは、このブログをご覧になっている方ならご存知のことだろう。病院の立場からすれば、私は有害無益の存在。退職する為に詰め所の荷物整理や、今まで病棟にお世話になった気持ちを伝えようと病棟に上がるだけでも事務所を通さなければ階上に上がらせてもらえなくなっていた。
私は、自分の正当性を貫こうと周囲を見ず、それまで、病院との対決姿勢を強調していたのだが、心も体もその対決姿勢から身を引いた時に、ふと思い浮かんだことがあった。
※患者のことである
仕事は、忙しかった。毎日の同じ光景に飽きたこともあった。しかし、患者とくだらない冗談を言い合っているときほど、楽しいときはなかった。少し病気をして休んでも「しばらく休んでたけど、大丈夫なんか?」とか「体いけるのー?もぅ、心配したわー」など、声をかけてくれる。そんなたわいもない日常が、もう目の前に現れないとなると、涙が止まらなくなる。
正直、患者にも最後の挨拶くらいしたかった。いや、するつもりでいた。病院側に止められても、最後の挨拶は意地でもするつもりでいた。だが、直前でよく考えてみれば、お別れの挨拶で言い方を間違えれば患者の精神状態に悪く影響する。看護師としてそれはできない。そう思うと、やはり無理はできなかった。
つらい。とてもつらい。突然仕事に来なくなった形で消えていくのはつらい。日常がこれだけ自分に必要だったのかと思うと、辛くて辛くてたまらない。
私は、いつしか数年前の看護に対する姿勢とは正反対に変わっていたのに気づいた。
※看護師として関わるためには、そしてプロとして関わるためには、表面上だけの誠意では自分の気持ちなど伝わらない。患者の気持ちもわかり得ない。
こうして自然に大事なことを、この私の体と心に叩き込んでくれていた患者には感謝しなければならない。
先日、お礼奉公返金の件で職場に行ったとき、受付口で患者の家族とばったり出会った。色々話をしてお別れの挨拶ができた。お礼奉公の件で話をするために待っていた幹部は、「時間は守れよ」と怒り心頭だったが、その怒りを見るのもいたずら気分に楽しかった。なにより、最後に家族さんに会えたことが嬉しかったのだ。
月曜日が私の正式な退職の日。
色々あったが、感謝の気持ちはどこで働こうと持ち続けたいと思う。正直、すっきりした退職ではなかったが、病院にもお世話になった。馴染み深いあの光景もみられなくなると思うと寂しい。18歳のときから色々と学ばせてもらったあの環境を一生忘れない。
ありがとう。
鼻がずるずるになったので寝ます。おやすみ。
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※プロとして誠心誠意かかわる。しかし、そこに情を持ち込む必要もないし、持つつもりもない。
そう思って、看護をしていた。
今回、出版の件で職場を去らなくてはいけない状況になったことは、このブログをご覧になっている方ならご存知のことだろう。病院の立場からすれば、私は有害無益の存在。退職する為に詰め所の荷物整理や、今まで病棟にお世話になった気持ちを伝えようと病棟に上がるだけでも事務所を通さなければ階上に上がらせてもらえなくなっていた。
私は、自分の正当性を貫こうと周囲を見ず、それまで、病院との対決姿勢を強調していたのだが、心も体もその対決姿勢から身を引いた時に、ふと思い浮かんだことがあった。
※患者のことである
仕事は、忙しかった。毎日の同じ光景に飽きたこともあった。しかし、患者とくだらない冗談を言い合っているときほど、楽しいときはなかった。少し病気をして休んでも「しばらく休んでたけど、大丈夫なんか?」とか「体いけるのー?もぅ、心配したわー」など、声をかけてくれる。そんなたわいもない日常が、もう目の前に現れないとなると、涙が止まらなくなる。
正直、患者にも最後の挨拶くらいしたかった。いや、するつもりでいた。病院側に止められても、最後の挨拶は意地でもするつもりでいた。だが、直前でよく考えてみれば、お別れの挨拶で言い方を間違えれば患者の精神状態に悪く影響する。看護師としてそれはできない。そう思うと、やはり無理はできなかった。
つらい。とてもつらい。突然仕事に来なくなった形で消えていくのはつらい。日常がこれだけ自分に必要だったのかと思うと、辛くて辛くてたまらない。
私は、いつしか数年前の看護に対する姿勢とは正反対に変わっていたのに気づいた。
※看護師として関わるためには、そしてプロとして関わるためには、表面上だけの誠意では自分の気持ちなど伝わらない。患者の気持ちもわかり得ない。
こうして自然に大事なことを、この私の体と心に叩き込んでくれていた患者には感謝しなければならない。
先日、お礼奉公返金の件で職場に行ったとき、受付口で患者の家族とばったり出会った。色々話をしてお別れの挨拶ができた。お礼奉公の件で話をするために待っていた幹部は、「時間は守れよ」と怒り心頭だったが、その怒りを見るのもいたずら気分に楽しかった。なにより、最後に家族さんに会えたことが嬉しかったのだ。
月曜日が私の正式な退職の日。
色々あったが、感謝の気持ちはどこで働こうと持ち続けたいと思う。正直、すっきりした退職ではなかったが、病院にもお世話になった。馴染み深いあの光景もみられなくなると思うと寂しい。18歳のときから色々と学ばせてもらったあの環境を一生忘れない。
ありがとう。
鼻がずるずるになったので寝ます。おやすみ。
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いえいえ^^実家にいてたもので、適当な返事をしたくなかったんですよ。
私が「侍」ですか。まったくお恥ずかしい。
戦いは、仰られているように勝たねばなりません。私の戦い方は、刀を使わずして勝つことが理想です。あくまでも理想ですが、刀はしまっておきたいものです。しかし、今の私の場合、何をを戦いとするのかというところから、冷静に見直すことも必要だと思っています。
>不必要なものなどない
これもまさにそうだと思います。各々の価値観が違ってこそ世の中が成り立っているのですからね。
年齢は想像にお任せします。私もしゃかりきになって自己主張ばかりしていたわけではないんですよ^^。それは年齢とともに自覚してきてましたから。
長いコメント大歓迎なんですよ!
あと、本の宣伝もお願いしますね。私の兄貴なんか、「興味ない」で一蹴ですよ。寂しい・・・。
ホント、ごめんなさい。
私の不用意なコメントが、もっさんを悩ませてしまっているのかな、と気がかりでした。
が、他の方へのコメントを読んで、安心しました。
まん丸が一番です。
私は侍が好きです。
もっさんのことを、戦国武将のような人だと思いました。
私の周りにも、似たような青年たちがいます。
己が信念を貫くために、刺し違える覚悟で木刀をかざしていこうとするのです。
何度羽交い絞めにしたことか。
戦いは勝たねば意味がありません。
刃のない刀で立ち向かい、犬死にしてはならないのです。
勝つためには、策を練るしかないのです。
命をかけてくれる仲間を作るしかないのです。
敵を知るしかないのです。
プロとしての腕(知識、技術、態度)を磨くしかないのです。
それからでも遅くはないのだと思いますよ。
まだまだ十分に時間はあります。
でも、28歳ではないのですよね???(笑)
それと、攻める人ばかりでは、空っぽのお城は攻め落とされてしまいます。
守りに入る人も必要でしょ?
たぶんね、多分。不必要なものなどありはしないのだと思いますよ。
最後に
妥協点なんか探す必要ありません!
そんなの私年齢になってからでいいのです。
と、矛盾してるかな?
いや、していない。
がんばれーーっ!!なのです。
目指すなら天下を取りましょう。
己がためばかりではなく、私たちの大事な患者さんのために、仲間たちのために。
そして、私の老後のために♪
と、私もまん丸コメントしてみましたぁ~。
砕けすぎかな?(反省・・)
これにて、見守り席に戻りますね。
では。
お気をつけてお仕事に向かってくださいね。健康が一番ですから^^というと、年寄りのように思われますね(笑)。
また、ブログにコメントくださいね。
暴力は・・・その通りショックでした。今も痛みも残っているし、今から深夜勤務に出かけるのですが、「怖い」のが本心。とりあえず行かなくちゃ・・・行って来ます。
いつもありがとう(^_-)-☆
精神科では、患者さんとのかかわりの中で突然というものが少なからずあります。ある意味それは他科よりも多いのかもしれません。いくら経験を重ねても、患者さんの突然の変化に、驚くということはあります。それは、疾病にかかっていない人間関係の中でもそれはあるわけですから、熟練された看護師でさえ日々反省することもあると思います。でも、そのときって成長する格好の材料なんですよね。同時に、緩みかけていた自分の心を引き締める機会にもなるんですよ。
突然の暴力は、びっくりしたという域をこえて、ショックを受けません?今までの生活でなかったことが目の前に起こるのですから、多分そうなるのが普通だと思います。私も、関係が築けいてたと思い込んでいた患者さんにいきなり態度を変えられ口調荒く話され、あまりの変化にショックを受けた経験もありますしね。
あと、年齢ですが論点がずれてるような・・・・(汗)。ということで夜勤の体力面に関してのコメントはなしということで^^
で、私が同じ病院にいてたら?ですか?そうおっしゃってくださって嬉しいです。自分で言うのもなんですが、かなりおしゃべりです・・・・・。文字では、尖っているようにとられますが、そうではないんですよ。だから、気にしないでくださいね。今回は、やわらかめにがんばってコメントしてみましたが、尖ってます?
まー、でもこうやってお互いコメントしあうことというのは、とても成長することだと思いますよ。いつも貴重な体験だとおもってます。
最後に、私は28歳(出版時の年齢)じゃないといったら驚きますか(笑)?
以上!!
改めて、コメントさせていただきますね。
okiさんのおっしゃるように、年をとるといろんなことが心配になるというのは、私なりにもわかるような気がいたします。私も、少なからずとも年齢を重ね家族を持ち、子を持つとやはりそれなりに色々な心配が現れました。ですが、“若いがゆえ”といってしまってはそれこそ言い訳がましくなるのですが、今回の行動にかぎっても、家族を振り返ることを十分にしなかった。振り返ったつもりでいたのだと思います。それが私の若さゆえと言う部分かもしれません。しかし、失敗したのですから同じ失敗はしたくありません。それが年を重ねていくことなのだと思っています。一方、同じ失敗を二回繰り返し頭を打つことも一つの経験なのかもしれません。
ある一定の年齢にくると、「守りに入る」とよく言いますよね。抽象的な表現でしかいえないのかもしれませんが、その方々も感覚的には、okiさんのおっしゃることを感じておられるのでしょうね。
色々と不安になることもあるでしょうし、不安になることが必要だとも思います。そうしながらも、何かに対して意見をぶつける力を得るための努力も必要だとも思うのです。同時にぶつける方法も学ばなければならないのだと思うのです。
私が年齢を重ねれば、学びの過程で主張する方法も色々と変わってくるでしょうが、基本的な信念は変わらないと思うのです。それに関して“年齢は関係ない”そう思うのです。
これらのことは、良くも悪くも「妥協」という言葉でまとめてしまうことができるかもしれませんが、ポイントは、“妥協点”だと思います。多くは、表面で“どのように主張すればスムーズに意見が通るか”を考えずに妥協しているように見えます。もちろん努力した結果、表に主張をすることなく妥協せざるを得なかった人もいるのだと思いますが、年齢を重ねた多くの人間は、その手前で妥協しているような印象を受けます。その最もたる例が、今の若者です。妥協点を探ることなく妥協する。いや、最初から諦めている。プロとして主張することすら拒否している若者も目立ちます。若者の話になってしまいましたが、それはそれでよいとして・・・。
今後も、自分の信念を持ち続け邁進していきます。ただし、今以上に慎重になる必要があることを自分自身肝に銘じる必要があるとは思います。早い時期から、守るべきものを得、恵まれているのですから、それを活かさない手はありません。
感慨深いコメントありがとうございました。
こうやって経験を重ねていくんだろうけど、他科では暴力の経験はないので、体験してびっくりです。
年齢は関係ないといわれてますが、やっぱり違いますよ。夜勤をしてもなかなか元に戻らないしね。そういう面でですよ。
越智さんのような方が職場におられたらなぁ・・・と思います。私が越智さんのようになれれば・・・文章表現もわるく言いたいことがうまく表現できません。自分でももどかしいです。でも、きっと原点はおなじなんだと思ってるのですが。若い越智さんにいい意見をいただいて、決して意見されたなんて思ってはいません。すこし尖っておられるかなと感じることはありますが。
私は今患者さんとの関わりについて、今回の事例を基に深く考えています。患者さんに成長させていただいていることに感謝しながら・・・
確かに、10代で親の言うことに反抗したこともあり、20歳を過ぎてようやくそれがわかるということもありました。そのときは自分の中で理論だてられていて、親も私を説得する口を持たない。でも、結果的に親の言っていることは正しかったという経験は沢山あります。ですから、年上の方や経験の多い人の言うことも謙虚に受け入れていく姿勢が大事であり忘れてはならないのだと思っております。親のありがたさも今になったしみじみと感じております。
「年をとればわかる」この言葉もよく言われたものです。実際、その歳になっていないものですから、それを語られると何もいえないのですが、その先、私の知らない世界も当然存在するわけで、間違いなく私の知らない年齢を経験している人たちなんですよね。okiさんのお言葉、心に響きます。
自分自身もまだ迷いの中にいながら、発言すべきことではないのかもしれません。
ただ、一言頭に浮かんだ言葉は
若さは、潔く残酷である
と言う事です。
意味深な言葉を投げかけ、すみません。
年配者誰もが通り過ぎてきた年齢を今、もっさんは生きてます。
だから少しだけ理解出来るのです。
まだ経験してない未来の歳を想像するより、そちらの方が容易いですよね、年配者は経験しているのですから。
歳を重ねるといろんなことが心配になるのです。どんな思いを伝えても、どんな行いをしても、そこには心配が含まれてしまう。
それが、潔しとはしない(できない)のかもしれません。
それでも初心を忘れたわけではないのです。
私たちは年齢関係なく、経験関係なく、医療者としての共通用語を持っているじゃないですか。
「患者さんのために」
これこれ。このためだけに、白衣を身に着けているのだと思います。
ひとりの患者さんの苦痛を取り除くのも、日本の看護を良くするのも、同じ出発であり、ゴールだと思ってしまうのです。
と、またわけのわかんないこと書いてしまったぁ~。
すみません・・。
45歳准看護師は、看護に対しては一生懸命されているとお察しいたします。ですから、もう一歩踏み込んでコメントしておきますね。以下2点に分けてお話しておきます。
>年齢の割に自分の意見を職場で言いにくいのと、経験がないから流れになじめず、職場で違和感を感じることもたくさんあります
↑このお話に対してですが、
①他科での経験もあり、精神科で3年という経験があるのですから、それを理由に職場での意見を控えめにする必要はありません。また、違和感を感じるのもそのせいだけではないと思います。むしろ経験をいかして、1年目なら一年目、二年目なら二年目なりに場の空気を読んで理解してもらうように意見していくことも大事です。45歳准看護師さん
ならできると思います。馴染めない理由を、それだけに決め付けては変化は望めません。
>28歳の越智さんをうらやましいと思ってしまったのは、若さと自分の気持ちにうそをつかず、進んでおられるところです。私が何か出来るとしても、もう少し精神科のことや病院のこと分かってからですね。
↑次にこの意見に対してですが、
②私のやっていることに年齢は一切関係ありません。精神科のことを“わかる”という定義自体が曖昧なものですから、精神科に対して何かをすることを「いつまで」とか「いつから」などというものはありません。今なら今なりに精神科に対してできることがあるはずです。言い方を変えれば、今のあなたにしかできないこともあるはずです。
年下の私が意見するのも差し出がましいようですが、きっとお分かりいただけると信じております。お許しください。
いつもからだのことを気遣ってくださり本当にありがとうございます。
ありがとうございます。確かに、今回のことで人間不信になってもおかしくないほどの経験をいたしました。ですが、そこにかかわった人間を恨むことは何も自分のプラスにならないことも学びました。これは、これまでの短い人生の中でも最大の学びであったと思っています。今回のことがなければ、今よりさらにしょうもない人間になっていたかもしれません。経験は財産です。そして、失敗はそれ以上の宝です。宝である“失敗”というものを大事にしない人間に成長はありえないと思っています。
努力することがおかしいかのように評価される昨今、私は堂々と努力の結果を証明したいと思います。努力することはすばらしいことなのですから。努力の結果得られたものが失敗だったとしても、それは宝なのですから。
ファイトーーーーもっさん。
感想ありがとうございます。マグナマンさんのような方から感想をいただくとほっといたします。
編集の際、内容はソフトに仕上げたつもりですが、出版してみれば法人側が過剰反応したので自ら組織のもろさを露呈した形になりました。同じ内容のものが世に出回っても、内部の人間と外部の人間の感想がこれほど違うのかと改めて実感いたします。客観的に本書を読むことができていれば、そのような対照的な現象はおきていないはず。しかし、実際にこれほどの差が出るのですから残念に思います。
今だに、関係者が私のブログを覗き込んで探りを入れておりますが、感情論でしか意見を述べられていない人がいることもコメント欄をご覧になればおわかりになると思います。病院の一方的な情報に踊らされて、自ら冷静な判断をすることができなくなっている。本書をしっかりと読み、理解することができていれば、そのようなコメントもないでしょうに、どうしたら私の気持ちが伝わるのか日々悩む毎日です。
いうまでもなく、私達の職業の対象は患者さんです。その人たちの日々のコメントをみていると、それを忘れているような気がしてなりません。
私に協力してくださった方々のブログへの嫌がらせも一時的ではありましたが、ひどいものでした。看護師としてという以前に、人間として恥ずかしくなかったのかと問いたくなります。
今回、私は沢山の失敗をしました。そして、沢山のことを学びました。反省させられることも多々ありました。失敗で落ち込むこともありましたが、今は前向きに考えております。今後ともご支援お願いいたします。
そこで一言感想です。→すごい立派である。尊敬します。 その理由。どこの病院(職場)でも何なりの不満を持って働いている人が多いと感じますが、口先だけの不満を述べ、いかにも正当な事を言って周囲に刺激を与えていると勘違いしている先輩や上司が多く。その不満も自己本意であるということ。また、そんなに立派な不満を並べるんであれば、病院に対して意見を述べてくれよと思う場面に遭遇することが多い経験上。。。「口にだすならアクションをおこせよ」と痛感していた矢先にもっさんの、あの本・・・・感動しました。
表現しがたい気持ちはお察しいたしますが、私とは少し捉え方が違うような気がいたします。
職場にいいたいことは山ほどあるということですが、それは誰しもそうでしょう。そこで自己主張ばかりしていては、ただの協調性の欠けた人間です。ですが、45歳准看護師さんはベテランさんのようですし、そのような方ではない様で安心しております。
私の本を読んで首になるとお思いになったということですが、もう一つの視点で考えられてはいかがでしょうか。実際、私は首になっていませんし、職場を限定して書いたという事実もありません。退職を余儀なくされたのは、その企業の風土・体質がその原因の大半を占めると思われます。そこに溶け込んでしまっているかもしれない45歳准看護師さんあなた自身、もう一度冷静に分析されてみてはいかがでしょうか。面白いかもしれません。
私を退職へ追いやったという事実は否めませんが、それは、密告した人間に振り回される程度の、地盤のゆるい企業体質に問題があると私は考えております。
「お金のため、食べるため、子どものため、」この考えは基本的にはどの親もそうでしょう。私であってもそうです。だからといって、45歳准看護師さんがおっしゃるように、自分の気持ちに嘘をつくのはプロとしては少々違うような気がいたします。私の行動に対しても羨ましいとおっしゃられますが、どの行動が羨ましいのでしょうか。同じように行動をとられてはいかがですか?私は、45歳准看護師さんより、優れた家庭環境にあるわけでもありませんし、家族を無責任に突き放し自分勝手に自己主張したつもりもありません。そのあたり、もう一度考えられてはいかがでしょか。
一時的とはいえ、苦しい境遇に立たされた私に力強いエールを下さり心から感謝しております。
退職は、どこか寂しい感じもいたしましたが、“なるべくしてなった”事であると思っています。出版にしてもそう思っております。次に起こる出来事は何か、それは当然、自分がしていくことなのですが、楽しみでもあります。その前に、まず自分の健康を維持することを忘れてはいけませんよね。食習慣には常々気をつけています。
これからもがんばりますので応援よろしくです。
ブログ、チョコチョコタイミングを見計らって参加してみますね。
職場で色々抱える悩みは、自分がその職に対してどうにか前進しようとしている証拠だと思います。プロとして自信を持ってこれからもやっていってください。ストレスは、貯めないように・・・・といっても一言で説明できるものではありませんが、まず自分で抜け道を探す作業からはじめなくてはなりませんね。でも自分のストレス耐性に気づいたということは重要なポイントだともいますよ。
詩というものは、読み手によって解釈が色々だから楽しいのでしょうか。
私は、今回の詩を拝見して爽快感を感じました。夢とは、精神状態のバランスをとるものといわれていますが、そのような理屈なしに素直な気持ちでみることが大事ですね。しかしながら、詩を書くことができるその頭の柔らかさには頭が上がりません。
もっさん自身がとても冷静に対応していたのに、私は苛立ってしまって・・・。
さて、退職 お疲れ様でした。元施設の過敏反応には辛い所もあると思いますが、どんな形であれ退職する時はあまりすっきりしない気分が漂う物です。退職よりも、新たな一歩を踏み出したことに心機一転 また患者様のために自分を磨いていきましょう!
看護師として関わるためには、そしてプロとして関わるためには、表面上だけの誠意では自分の気持ちなど伝わらない。患者の気持ちもわかり得ない。
素敵な事に気が付きましたね。とは言っても、15年も看護師やってる私もつくづく最近になって思うことです。いや、精神科に入ってもっと強く思ったことかな? 「あんた達が元気で居てくれなかったら、俺達の病気は良くなんねぇよ・・・」そんな事をたかだか風邪で数日休んで出て行った日に言われたら、マスクにメガネが余計に曇っちゃう・・・。(普段でもマスクで息が上に抜けるとメガネが曇っちゃうのに)
自己研鑽も大切だけれど、患者さんに学ばせて頂けるのが看護師の一番の学習得ですよね。
チャットですが、毎週金曜日の22時を目処に声を掛けることにします。私が夜勤で不在でも、自由にお話して頂ければなって期待しています。今週は休日なので、22時から張ってますよ よろしく(^ー゜)ノ
これからも、頑張ってください。
久々に詩を書きました(*^∪^)
下手ではありますが・・・
看護師さんが、前の奥さんですか。それは大変でしたね。看護師さんは、独立心が強いものですから、理解するのも大変だったのでは?職業がそうさせているのでしょうかね。
病院によっても忙しさが違いますが、忙しさと給料が見合ってないとも言われます。しかし、私からすれば「こんなもんでしょう」とも言いたくなることもあります。しかし、女性が家事をこなすことが多い世の中では、女性の看護師さんは実に大変なことだと思います。
毎度です。時々ブログ拝見しております。私は何も面白いブログはかけないので、友人のブログなどを羨ましく思います。
しかしながら、私のブログの目的は日本の精神科看護を変え、そして看護全体を変えるという目標がありますので、アクセス数も必要になることは事実ですね。ただ、私のブログの一番の閲覧者は、前の病院の人間でしょう。今の時点では、あのかたがたには何も理解されないので、見てもらうだけややこしくなるだけなんですがね。
世間が騒ぎ出したら、すぐに態度も変わることでしょう。それまでにはまだ時間をかけるつもりです。時々お越しくださいね。
ブックマークOKです。
私は、凹み屋さんですが負けず嫌いでもあります。それは長所でもあり、短所でもあるのですが、そのおかげでここまでこられた経緯があります。
よく、上司は私の性格を否定してましたが、人格否定は基本的に何も生み出さないものと思っています。前の職場では、私への教育が間違っていたのではと自ら反省している上司もいますが、そういう反省しかできない上司を育てた企業に根本的な問題があるのでしょう。
未だに、出版した私の存在を否定し続け、数の論理で自分達だけで納得しているのですから残念でなりません。これからも、何かの結果を残し続けます。これからもよろしくお願いしますね。
それはそうと、ブログの閉鎖とは寂しいですよ。早く復帰してくださいね。ほんとに!!!まってますから!
良い環境で働かせてあげたい・・・
でも、あの病院は・・・とかこっちは!とか。
色々、嫌な噂を耳にします。
進学校希望でしたが、先行きどうなるのか判らない世の中で「芸は身を助ける」と言うことで、商業高を受験しました。
本日、合否発表です。
先行き看護師がダメでも、資格がいっぱいあれば就職に有利ですからね。
若き頃、看護師さんとのお付き合いが何度かり、初婚の時も相手は看護師でした。
大変な仕事だと認識しております。
私のブログは、このところ記事の問題か?アクセス数がやや減り始めました。
立場上 あまり過激な事も書きにくいし。
また、遊ぶに来ます。
起きたときには,弱弱しい細胞らが死んだ気がして。励ましになっていませんが。そういうことを期待されるかたではないとも思います。
でも応援しています。
まことに勝手ながらブックマークにリンクさせていただきました。許可が必要であればご一報ください。
特に精神科という分野では必要なことなのかも知れませんね。
大病院では別だと思いますが・・・
今日が正式な退職の日なんですね。
色々と考えてしまうでしょうけど、のんびりされるのが良いと思います。
そうそう、看護界ってお礼奉公なんていうものが、さも当たり前のようにまかり通っておりますが、一般企業で働く人間からしてみればおかしな事だと思います。
勉強させてもらいながら、というのは分かりますが、どの仕事も勉強しながらなんですよね。
もちろん専門学校に通われて資格を取るということにおいては、看護士というのは特別なんですけど・・・
日付は変わって、ついに今日が来ました。とても複雑な気分ですが、初心を忘れずこれからも看護師としてやっていきます。
デスさん同様、当初から心配をおかけしたぼやくさんには、本当に感謝しています。今回は、自分の若さゆえ軽率な行動をとってしまい失敗したこともありましたが、この失敗は今後の大きな成長材料になると信じています。同じ失敗はすることなく、次へ進んでゆきたいと思います。“失敗は、最大の学びである”ですね。
辛いでしょうが、少しでも早く現場に復帰される事を願っています!