看護記録で、
「自己中心的な訴えが多い」
「自分勝手な言動を繰り返す」
等々の文字を目にした事がある。これは、看護記録でどのような訴えがあったかを書いたものであろうが、これを見る限り、その医療従事者が患者に対してどのような眼でみているのかが、すぐにわかる。
自分勝手とは何なのか。自己中心的とはどのような事を指すのか。
看護記録では、実際のところ患者の発言や行動そのものを書く事が一番わかりやすく問題が無いのだが、実際は、沢山の患者の一言一言を覚えて記録に残すとなると難しいものがある。よって、特に問題視される内容や変化があった患者に関して記録する事が多い。
その中で、冒頭にあげたような表現がよく出てくるのだが、例えば、自分勝手とは、どのようなものを言うのだろうか。よくよくその状況を聞いてみると、誰でもその立場になれば強く要求したくなったりする内容であったりする事が多い。
看護者が患者に対して「自己中心的」とか「自分勝手」と表現する裏側には、その看護者がどのような視点で患者を見ているかが推察できる。
※自己中心的という表現は、第三者の主観的表現であり、第三者、つまり、状況を見た看護者側の一方的な解釈に過ぎない。
精神科疾患を有する患者は、治療場面において様々な規制を受けて生活せざるを得ない状況がある。その環境の中で、実現不可能な要求を“自分勝手”と表現されては、患者もたまらないだろう。他の状況においても、疾患がその判断力や理性を鈍らせているために起こした行動であると考えれば、必然的に“自分勝手”という言葉は出なくなるはずである。
看護者を含む医療従事者は、もっと患者の疾患理解に努めて患者と接するべきである。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
「自己中心的な訴えが多い」
「自分勝手な言動を繰り返す」
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自分勝手とは何なのか。自己中心的とはどのような事を指すのか。
看護記録では、実際のところ患者の発言や行動そのものを書く事が一番わかりやすく問題が無いのだが、実際は、沢山の患者の一言一言を覚えて記録に残すとなると難しいものがある。よって、特に問題視される内容や変化があった患者に関して記録する事が多い。
その中で、冒頭にあげたような表現がよく出てくるのだが、例えば、自分勝手とは、どのようなものを言うのだろうか。よくよくその状況を聞いてみると、誰でもその立場になれば強く要求したくなったりする内容であったりする事が多い。
看護者が患者に対して「自己中心的」とか「自分勝手」と表現する裏側には、その看護者がどのような視点で患者を見ているかが推察できる。
※自己中心的という表現は、第三者の主観的表現であり、第三者、つまり、状況を見た看護者側の一方的な解釈に過ぎない。
精神科疾患を有する患者は、治療場面において様々な規制を受けて生活せざるを得ない状況がある。その環境の中で、実現不可能な要求を“自分勝手”と表現されては、患者もたまらないだろう。他の状況においても、疾患がその判断力や理性を鈍らせているために起こした行動であると考えれば、必然的に“自分勝手”という言葉は出なくなるはずである。
看護者を含む医療従事者は、もっと患者の疾患理解に努めて患者と接するべきである。
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ホントにそう思います…ただ廊下を歩いているだけで徘徊や多動と記録されてしまう患者さんは少なくないと思います。はっきり言って偏見や差別となんら変わりありません。
精神科看護師は障害だけではなく健康な部分もしっかりと観察していくことが不可欠です。廊下を歩いている患者さんの大半は運動の目的で狭い病棟の廊下を歩いているかもしれませんしね。
記録の原則は「客観的に」ですから、主観を入れて記録すると事実と曲がって情報が伝えられてしまいますね。。。
精神科の記録って、身体科に比べて文字数が多いような印象を受けます。それだけ、伝えなければならない情報が多く、訴えの詳細を伝達する必要性があるのではないかと思います。
文字数が多くなることで記録が面倒になり、なるべく簡潔な記載をしようとして「自分勝手」と表現になってしまうこともあるでしょう。だからこそ、精神科で働くナース達には、精神科における看護記録の重要性について知ってもらいたいですね。
お久しぶりです。
看護記録に関しては、カプさんのおっしゃるとおりです。専門用語を使おうとするあまり、患者の状態をこちらの完全な主観で書いてしまい、目的を持って歩いてる人にも「徘徊」と書いてしまっている事があるはずです。実際、毎日何故歩いているのかと聞くと、「足が弱るから」などと、発語不明瞭ながらも答えられる事が少なくありません。「徘徊」の意味をもう一度振り返って、看護記録で使用してほしいものです。他の言葉についても同様に。
なるほど、nursmanさんについては、「自分勝手」という言葉は、略してかいてしまっていると解釈しますか・・・。
私は、大半はnursmanさんのような理解ではなく、本当に自分勝手だと思い込んでしまっているのだと思います。だから、時々声を荒げて注意するのでしょうし、感情的にもなるのではないでしょうかね。
幸い、今の職場ではそのような記録を書くような人は見かけませんが。
追伸:かなり昔にお話した事があるかと思いますが、ちょっくらきになるので、お話しておきますね。
精神科と身体科という区別は、誤解を生む表現だと思うのですが、そちらでは、結構な割合で使われている言葉ですか?
精神科も統合失調症の疫学「100人に1人の割合で罹患する」というところから、非一般ではないということを主張したくて使い続けてます。
↑半分、意固地
なるほど。例えば、私のような「他科」とか、文脈によっては、「精神科以外」とか、そのような表現をされるのが無難かと思いますが。
一般科という言葉に納得いかないのはよくわかります。でも、身体科という言葉を使い続ければ、どこかで揚げ足を取られることがあると思います。そもそも、精神科とそれ以外の科で論じる事自体、精神科を特別視したような事になりますからね。そうなると、nursmanさんのこだわってきた事も、結局無駄になってしまうのではないでしょうか。
と、硬い口調で説明してみましたが。いかが?
いやぁ。。。難しいですよね。記録も書き手と読み手で意味が変わっちゃったりするじゃないですか・・・しかもなぜかわざと難しく書きたがりませんか?ナースの皆さん。
カルテ開示の時代です。
誰が読んでもわかりやすく書く努力をせねば。
あれ?皆さんのところはもう電子カルテですか?うちはまだ手書きですが・・・
「精神科とそれ以外の科で論じる事自体…」
そーですね。
やっぱり、意固地になって使ってたことがよくわかりました
カルテ開示に関しての矛盾などは、私の本にも書いておりますが・・・、と話してしまうと中身を書いてしまいそうなので・・・。
意固地というか、そういう精神は必要だと思いますよ^^
あと、誤解してはいけないのは、「精神科と他科を論じている事自体」といっても、精神科と他科各々であったり、それぞれの比較として、精神科と比較する分にはなんら問題は無いと思うんですよ。ところが、精神科対他科との思想を持つと、形は同じでも意味がまったく違ってきてしまうんで、その辺を気をつけたいところですねぇ。