特定非営利活動法人精神医療サポートセンター

発達障害、統合失調症、アルコール依存症、ベンゾジアゼピン系薬剤の依存等々、精神科医療についての困りごとに対応いたします。

-鍼灸の針が首に残って取れない(エピソード3)-

2008年10月27日 | 看護論的経営論



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手術前夜、

病院の薬剤師から、手術前日にもし寝られないなら内服などを考慮でるとの話を聞いていたが、

「どんなにストレスがあっても寝られるのは寝られますから(笑」

などといってしまい、少し見栄を張ったなと後悔した。確かに少々のストレスなら寝られるのだが、実際は朝4時ころまでTVをみるなどし、笑ってリラックスしている自分を作りながら、常に不安要素も持っていた。

「寝られなくても、手術中にねるからいいか」

そうおもったり、21時から絶飲食と言われてたのにもかかわらず、0時までお茶を飲んでいたり・・・

0時を回っても、時々オーバーテーブルに置いてある子どもの手紙などを見て元気で帰ってこなければと思う反面、余計な不安も強まる。なにせ、全身麻酔で何時間かかるのか、いや、成功するのかどうかもわからないとおもうと寝られず、これが最後の夜になるのかもしれないと考えたり・・・・

ようやく、午前4時ころからとぎれとぎれでウトウトと眠りに就いたのを覚えている。


目が覚めたのは6時半頃だっただろうか。


「7時ころに看護師さんがラインキープにくるんだっけ」

目が覚めて最初にそう思った。


オペは11時と聞いていたので、家族には10時半に来る予定で話をしていた。
下の次男以外の子ども二人は、保育所へ。 11時に手術開始なら、子どもが保育所から帰ってきたころには手術が終わっている。頭の中で、そう段取りをしていたわけであるが、実際はそうもいかず。 11時になり、「手術は予定通り1時(13時)に」と担当の看護師が・・・


「11時っていってたやん!10時半に家族を読んでおいてって言ってたやん!」


心の中ではそう思ったが、いちゃもんをつけても仕方ないなと思いながら、笑顔で対応。

自分の母親も含め、暇をもてあまし本を読みだす。







まだかな・・・・







まだかな・・・・







さらに追い打ち、

「緊急手術が入ったんですよ」

そっか・・・・






「まぁ、なんやかんや言っても内臓をとるわけでもないし、その手の手術より楽チンでしょ」自分を励ますためにそうおもっているのか、土壇場で長時間待たされると楽観的思考が強まるものである。



気がつけば15時半担当の看護師が、
「16時05分予定です!もう少ししたら着替えておいてくださいね。」と



いよいよ来た。
塞栓予防のストッキングを履き、決してかっこいい姿とは言えない。

しかし、パンツは赤のbodywild(腰のラインは黒)で、地味さに抵抗。妻には趣味が悪いと言われるが、親友から言わせれば「勝負パンツか!」と



「越智さん、いきましょか!」



担当看護師が、忙しそうに猛烈な勢いで病室に入ってくる。


ベッドに寝て、そのままオペ室へ。
ベッドに寝ると、よくTVでみる患者が運ばれるときのあの目線そのものであることを実感する。
魚眼レンズでベッドに寝たまま天井を見ているようなあの視線。まさに、これから手術へ向かうのである。

廊下を移動し、エレベーターに乗り、いよいよオペ室入口。 主治医が顔を見せてくれたので少し安心したとはいえ、先生もオペ着に着替えており、顔全体が見えないからか不安だらけである。 移動しながら、一旦止まるなどを繰り返し、名前の確認やら何やら忙しいまま移動。


やっとベッドが止まった。
寝たまま右を見ると首に刺さった私のレントゲンがシャーカステンに。

この部屋で手術をするんだなと認識。
不安が強まりながら、数分する間もなく手術の準備の雰囲気。
魚眼レンズの景色は相変わらず。 手術室の看護師がマスクを口元まで持ってきて、

「はい、ゆっくり息を吸って下さいねー。これから眠くなるようにしますねー」


「いきなりかよ・・・。」


と思いながらも、


「え、いつ眠くなるんですか?」
思わず質問。


「点滴の横から薬を行きますね」

ショットで薬剤を投与された瞬間、咽頭(のど)に異様なにおいが立ち込めると同時に、目の前がまるでデジタルカメラが壊れて画像が乱れるかのように視界が暗くなる。


「あ、きました・・・」


そのまま目をつぶったまでは覚えているが、決して気持のよい眠りの入り方ではなかった・・・・・・









次回はいよいよ最終章。

術後の出来事と一連の過程で思ったことをまとめて書こうと思う。





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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
痛いのは辛いですよね (pita)
2008-10-30 22:19:41
越智さん、こんにちは。

まだ、おくすりが必要なほど痛むんですね・・・。
辛いですね。

私は、もう手術を受けてから7年と、1年たちます。

よく「寒くなると古傷が」という話がありますが、手術で傷ついた(切った)筋肉の方向の問題があるようで、1年前の方の傷はあまり痛んだりしませんが、7年前の方は、痛いというほどではありませんが、時々ひきつったような感じがあって、不快に思います。


本当に、痛いって言うのは辛いものです。
人から見た外見ではなかなかわかりませんものね。
フェイススケールとか、いろいろ工夫はされていますけどね・・・。
1年前の手術のあとは、ほんの少しだけ痛い、薬を飲むほどじゃない(フェイススケールで言ったら、1より小さいぐらい)の時が、痛くはなくても一番イライラしました。なまじ痛くないのに体を動かすと、傷が痛む、そのことにいらだっていました。


今、心の不調をかかえていて、心の具合の悪さを人にわかってもらうことの困難さにもぶつかっています。
薬の力をかりて、何とかしのいでいても、薬で苦しみがゼロにはならない、薬の副作用とも闘わないといけない。体の病気だって、本質は同じかもしれないけれど、心の領域では、やっぱり、心が辛いだけに苦しみも大きい気がします。

何だかわけのわからないことを書いてごめんなさい。

痛みが一日も早く取れますようにお祈りしています。
返信する
Unknown (もっさん)
2008-10-30 17:10:41
>マロンさん
有難うございます。

痛みがいつとれるかなんですよね。引きちぎられるような痛みというか、痛み止めでなんとかなるんですけど、一生残るようなのだけは勘弁です・・・
返信する
Unknown (もっさん)
2008-10-30 17:08:01
>pitaさん

そうですか・・・。かなりつらい経験をされているんですね。
もう手術はしたくないですよね。
いまはおかげさまで痛みだけで首はほぼ充分動かせるようになりました。

しかし、健康を維持って言っても、事故に巻き込まれちゃどうにもなりませんね(涙
返信する
大変でしたね。 (マロン)
2008-10-29 16:02:58
久々に お邪魔させて頂きましたら・・
越智さん 色々 大変な事を ご経験されたようで・・一日も早く しっかり回復されますよう
お祈り申し上げます。
返信する
麻酔って不思議・・・ (pita)
2008-10-28 23:14:19
連続のコメント失礼します。

全身麻酔は2度経験しているのですが、麻酔がかかる瞬間とか、目が覚めてからの丸1日ぐらいのこととか、2度とも不思議がいっぱいです。

2回とも、硬膜外麻酔併用だったので、眠るより前に硬膜外麻酔の処置をするという手順が入るのですが、カテーテルがうまく入って、「じゃあ上を向きましょう」って上を向かせてもらって、あとはあっという間に記憶が飛んで・・・。
1度目の時は、「あっ、酸素マスクだ」と思った次の瞬間にはもうわからなくなっていて、2度目の時は、麻酔科のドクターが「リドカイン・・・」とか言ってるところで記憶が途切れて・・・。

目覚めは・・・。
1度目の時は、手術も麻酔もヘビーだったせいか、一応回復室で一度目は覚ましたものの、次に気がついたら、病室のベッドの上でした。手術部まで、病棟からベッドで迎えに来てくれてベッドに移されて、エンヤラトットと遠い病棟まで運ばれたはずなのに一切記憶がないのです。

2度目の時は、最新の麻酔薬を使ったとかで、めちゃくちゃ寝起き(笑)はよく、手術台の上で、傷が痛いだの摘出したものを見せてほしいだのとしゃべっていたくせに、手術室をどうやって出たかは覚えてなくて、でも病棟に帰る廊下では目が覚めていて、「目をつぶってないと船酔いするよ」って注意されたり・・・。病室に帰ってからも家族を相手にペラペラしゃべって。しかし、何をしゃべったか、次の日になったら一切記憶なし・・・。

麻酔って謎が多すぎです。
覚えていないことが気持ち悪い感じもあります。
でも、そうやって記憶があいまいになるから、手術という試練に耐えられるのかも・・・。
1から100まで覚えてたら、あとから悪い夢とか見そうだし、2度目の手術に耐えられなくなるかも・・・。

長文失礼しました。
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私も手術時間変更になりました! (pita)
2008-10-28 22:36:32
越智さん、こんにちは。

自分の時のことのように、ドキドキしてドキュメントを読ませていただきました。

私は2回手術経験があって、1回目の時は、「プロジェクトX」の音楽が流れてきそうな、結構ヘビーなものでした。2回目は手術自体はありふれた種類のもので、手術自体は2時間程度という予定でした。

2回目の手術の時。
手術は婦人科領域の手術でした。
体験談など見ると、産婦人科では、出産がなによりも優先だから、緊急帝王切開で、自分の手術予定が遅れたなんていう話は山ほど書いてありました。婦人科の手術は午後からという病院も多いようでした。
しかし、私の場合、その日の朝1番。9時ごろからの手術の順番になっていました。

元気な患者は徒歩でオペ室へ移動という方針の病院でしたので、病室で術衣に着替えて、同室の人に「行ってきまーす」とあいさつして、家族と一緒に手術部の前まで行き、自分だけが手術部のなかに入っていくという手順でした。家族と別れ、病棟のナースとオペ室のナースが引き継ぎをしつつ、ベンチに座り、オペ室ナースから説明など聞いていると、私の主治医ではないドクターが来られ、「まことに申し訳ありませんが、容体の悪い妊婦さんが来院して、これから緊急帝王切開手術が必要なので、少し待ってもらえませんか?」と言われました。

もう頭にはシャワーキャップみたいなのもかぶっていたんです。でも、母子2人の命がかかっているわけですし、「ええ、どうぞどうぞ、私の手術なんていつでもいいですよ」って感じで、手術部にいるわけにもいかないので、病棟に帰って、家族控室(産婦人科だからあるらしい畳敷きの部屋)で、家族としゃべっていました。(病室には帰りづらくて・・・、控室に他に家族がいなかったし)

結局2時間遅れぐらいだったでしょうか?
やっとお呼びがかかって、オペ室に向かいました。

「こんなドラマみたいなこと、ホントにあるんだな」と思いました。
その緊急帝王切開のママ、手術当日は、術後の人ばかり集めた部屋で一緒に過ごしましたが、母子ともに無事だったと会話からわかり、私までほっとしました。
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