2004年1月22日。
愛娘のもも(ワンコ。シーズーの女の子です)が天使になりました。
あれからもう丸3年。
時の経つのは本当に早いものです。
でも、今でもその時の事、悲しみ、愛しさ、辛さ・・・
すべてを鮮明に憶えています。。。
そして永遠に忘れないと思います。
みわんこ。が東京に来て2年目に出会い、
一人暮らしで寂しいときも辛いときも嬉しい事も楽しい事も
一緒に居て全て見守ってくれていた子でした。
翌月2/11に7歳のお誕生日を控えていました。
パートナーの時次(ワンコ。シーズーとペキニーズのハーフの男の子)とも
最初は犬見知りをしていましたが次第に打ち解けていきました。
そして今思えばあの頃のみわんこ。はワンコに対しての考えがまだまだ甘かったように思います。
2003年の12月の半ばにシーズン中のももは時次と仲良くなってしまった可能性がありました。
困った気持ち半分、ももと時次の子供と逢えるかもしれないという期待半分でした。
ちゃんと子供が出来るかはまだまだ判らぬままでしたがみわんこ。もダンナも、
ももと時次も元気に新年を迎えました。
みわんこ。の実家の大阪に皆で帰省し、沢山の人々に可愛がられ、
実家にもシーズーが3匹おり、人間10人とワンコ5匹のとても賑やかなお正月でした。
東京に戻ってからも、ももには特に変化は無く食欲も普通でした。
みわんこ。達家族はいつもどおりの生活を送っていました。
1月の半ば頃からもものお腹が膨らみ始め、食欲が落ちてきました。
妊娠かも!とみんなの心が躍り始めましたが病院での確定は1月末頃だったので
暫くは様子を見守りながら過ごしました。
しかし
食欲はみるみる無くなり、体温も通常より高くなって、
呼吸も荒くなってきたので心配になって病院に連れて行きました。
診てもらった結果は
・妊娠の可能性はある。
・でもエコーには子供(卵)が見えない。
・子宮が炎症を起こしている可能性もある。
・子宮蓄膿症は子宮がぶよぶよと柔らかいが、
ももの子宮は張りがあるので妊娠の可能性も高い、との事でした。
次の確定結果を出すのに週末に病院へ行く事となり家に帰りました。
でもやっぱり食欲が余り無く、心配で堪らなかった。
レバーや牛肉やささみを茹でたりカッテージチーズを作ったりしましたが食べてくれません。
なので次の日の夜にせめて点滴でも・・と病院に連絡して行きました。
先生は緊急手術の用意をしていました。
スタッフの方々が来るまでみわんこ。が先生のお手伝いをして
ももの血液検査の後のケアや点滴の血管確保の際の腕に針を刺す時のお手伝いもしました。
痛くて嫌がるももの腕を握って励ましました。
麻酔の影響で食べた物を吐いたもも。
ほんの少し、ようやく食べたマンマだったのに、吐いてしまった。
ももが心配で心配でどうしようもありませんでした。
子供も大切だけど、何よりももを優先して欲しいと頼んでいたので
先生は手術で子宮を摘出する事を選択されました。
やはり子宮は張っていて、妊娠の状況になっていたようでした。
子宮を摘出し、後はちゃんと縫ってお腹を閉じるだけだったのに。
ももの心臓が止まり、蘇生するための作業が慌ただしく行われていました。。。
もう目の前の状況が本当なのかどうかわかりませんでした。
涙も出なかったのです。
だって、じきに心臓が動き出して手術が成功して元気になるって思っていたから。
ももが死んでしまうはずが無いって思っていたから。
でも。
みわんこ。に似て不整脈のもも。
そして数日間食欲が無かったので体力がなかったもも・・・
そのまま心臓は動くことなく、ももは天使になってしまいました。
ダンナが先生から聞いた話によると、ももと時次の子供は出来ていたそうです・・・。
でも、ももの子宮が元から弱かったのか充分に育つ事が出来ずに
そして子供が流れずに子宮にとどまり、炎症を起こしてしまったそうです。
子供もかわいそうでしたが、ももまでどうして・・と
辛い思いをさせてしまっていた事を悔やむばかりでした。
それからみわんこ。は気が狂ったように泣き続けました。
ダンナが病院に迎えに来ても動けずにももにしがみついて泣き叫ぶしか出来ませんでした。
次の日は一日中ももと布団の中に居ました。泣いては泣き疲れて寝て、又泣いて・・・の繰り返しでした。
朝も昼も夜も泣きました。
もう何もかもが終わったように絶望の底にいました。
このままずっとももを抱きしめて眠っていたい、と思いましたが
ももが夢に出てきて
『このままじゃしんどいから、もっと楽にならせて、おかあちゃん。』
と言いました。
確かにこのままではももの体は腐ってしまう、本当に辛い思いをさせてしまう・・・
そして翌日
ダンナや両親、兄弟、友達、ももを愛してくれている人たちに支えられ
1月24日にお寺で火葬をし、お骨も拾ってお家に一緒に帰ってきました。
不思議な事に火葬をするまでの約2日間は、
ももが居なくなった悲しい夢ばかり見ていました。
でも、火葬をした日の夜はお気に入りのピンクの背中に羽の生えた服を着たももが居て、
その羽がパタパタと羽ばたいていました。
そして、天使になる数日前はしんどくてろくに食べられなかったのに
その夢ではちゃんとご飯を食べていました・・・。
ももが本当に天国へ行くためにおかあちゃん(みわんこ。)に
安心するように見せた夢だったのかな・・・?
あれからもう丸3年経ちました。
あっという間のような気もしますが、まだ3年しか経っていないという気もします。
あの頃のみわんこ。は不安定なままで中途半端に日々を過ごしていました。
やっぱり夢なのかな、こんなに悲しい現実があるわけない・・・と逃げたくなったりもしていました。
それから暫くは人と喋る事や会う事が怖くなり、電話も出れず、会社を1週間休みました。
その間、時次とみわんこ。はずっと家に居て(ダンナは仕事)
ももの事を考えては泣き、又考えて・・・という日々を繰り返しました。
食事もせずに泣いてばかりで口もきかずに毎日が過ぎました。
ダンナはみわんこ。にどうしてあげたらいいのかわからず困っていた様です。
仕事に復帰してからも以前のように笑えないし、
感情の波があって急に胸が詰まって泣きたくなって息が苦しくなったり
通勤の電車の中でも涙が止まらなくなったり(帽子を被って隠してました)
叫びたくなったりしました。
家でも穏やかにももの事を考えて時次と遊んだりする時もあれば
家事をしている時や夜中に急に号泣してしまったりと自分のコントロールが
出来なくなりました。
ほんの少し前まではみわんこ。の傍にはいつも甘えん坊のももが居て、
膝の上に乗ってきたり抱っこを要求してきたり
一緒のお布団で同じ枕に頭を乗せて眠ったりしていたのに。
眠るときはみわんこ。の頬にいつももものふわふわの毛が触れて、
寝息と波打つ体の体温を感じていたのに。
お金持ちになりたいとか、有名人と仲良くなりたいとか、
一生遊んで暮らしたいとか、そういうものは本当の望みではなかった。
ただ、その頃はももと時次とダンナが居て、いつもどおりの生活があった。
それで、よかった。
甘えん坊のももをいつも抱っこして
少しぽっちゃりしたふわふわの暖かい体を感じていたかったのに。
そんないつも出来ていた事が、
今は一番叶わない事になってしまうなんて。
寂しさのどん底でした。
でも、ももが自分が居なくなった事でみわんこ。が駄目になるのを見たら
絶対悲しむと思うし、悔やむとも思うので
ももを悲しませない為にも前に進んでいかなければ・・・と
少しずつですが考えて行く事にしました。
でも、それは簡単な事じゃなかった。
1歩前進したら2歩下がって、3歩前進して又1歩下がって・・・の繰り返しでした。
泣いてすがりつきすぎるとももが天国に行くに行けなくて困るんじゃないかな・・・
とダンナに言われましたが、みわんこ。はももに今までもそうだった様に
嬉しい事も悲しい事も辛い事も正直に表すしか出来なかった。
辛いのに辛くないフリなんか出来ないし、
ももはきっとお見通しだと思うから涙が止まらない時はそのまま泣くしかなかった。
病院での緊急手術を、食欲がなく体力が落ちている状態だったのに
なんでもう少し待って下さいと止められなかったのだろう・・・。
もし、他の病院だったなら・・・。
人工心臓があったなら・・・と、
もしそれで今もももが生きていたとしても毎日苦しい思いをしていたなら
あの時に苦しみが続かずに楽になれてよかったのかも・・・と
寂しい自分のエゴだけで色々考えていた。
そして考えても今の状況は変わらない事に気付き・・・・。
自分が情けなかった。ももが見ていたら悲しがるのに。
ももを困らせるつもりはないのに・・。
でも、病院でみわんこ。は手術の様子を少し離れた所から見守り、
そして心電図の心拍音も聞いていたのです。
今でも耳に残っている心拍音。
ピッ・・ピッ・・ピ・・・という音が止まってしまった時の
たとえようの無いこの恐怖とも悲しみともむなしさともいえない感情。
みわんこ。は答えも見つからないままチビチビと前に無理やり進んでいるようでした。
みわんこ。がいつまでもメソメソしている時に困っていたダンナが
ふと気配がして、もものお骨を置いている所の写真を撮りました。
その際に、
『ももちゃん、おかあちゃんが泣いてばかりやから励ましてあげて。
ちょっと出て来てやって・・・。』
と心で願って写真を2枚撮ったところ、1枚目は何もなかったのですが、
2枚目に不思議なものが写っていました。
白くて、ちっちゃくて、丸いものがフワッと浮いてる。。。
ダンナはももが来たよとみわんこ。に見せてくれました。
それを見て、本当にももが安心して天国へ行ける様にしてあげなければ・・・。
そう思いました。
そこから少しずつ進み始めたように思います。
ももは本当に愛らしくて、周りの人がビックリする位みわんこ。にベッタリでした。
本当にみわんこ。を愛してくれていたし、
みわんこ。からの愛ももっともっとと欲していました。
もちろん、ももへの愛は今も変わらずに溢れています。
どういう状況でもももを愛さずにはいられません。
永遠に愛していきます。
みわんこ。のたからもの、もも。
そしてももは福ちゃんにも出逢わせてくれました。
みわんこ。は幸せ者です。
ももと時次と福。
この子達はみわんこ。のかけがえの無いたからものです。
永遠に。
あの頃から
いろんなものを受け止める、考える、その大切さを
新たに手にしたように思います。
おおきにね、もも。
そしてこれからも大切な沢山の仲間達のことをよろしくね、もも。
ももと出逢えてよかった。
愛娘のもも(ワンコ。シーズーの女の子です)が天使になりました。
あれからもう丸3年。
時の経つのは本当に早いものです。
でも、今でもその時の事、悲しみ、愛しさ、辛さ・・・
すべてを鮮明に憶えています。。。
そして永遠に忘れないと思います。
みわんこ。が東京に来て2年目に出会い、
一人暮らしで寂しいときも辛いときも嬉しい事も楽しい事も
一緒に居て全て見守ってくれていた子でした。
翌月2/11に7歳のお誕生日を控えていました。
パートナーの時次(ワンコ。シーズーとペキニーズのハーフの男の子)とも
最初は犬見知りをしていましたが次第に打ち解けていきました。
そして今思えばあの頃のみわんこ。はワンコに対しての考えがまだまだ甘かったように思います。
2003年の12月の半ばにシーズン中のももは時次と仲良くなってしまった可能性がありました。
困った気持ち半分、ももと時次の子供と逢えるかもしれないという期待半分でした。
ちゃんと子供が出来るかはまだまだ判らぬままでしたがみわんこ。もダンナも、
ももと時次も元気に新年を迎えました。
みわんこ。の実家の大阪に皆で帰省し、沢山の人々に可愛がられ、
実家にもシーズーが3匹おり、人間10人とワンコ5匹のとても賑やかなお正月でした。
東京に戻ってからも、ももには特に変化は無く食欲も普通でした。
みわんこ。達家族はいつもどおりの生活を送っていました。
1月の半ば頃からもものお腹が膨らみ始め、食欲が落ちてきました。
妊娠かも!とみんなの心が躍り始めましたが病院での確定は1月末頃だったので
暫くは様子を見守りながら過ごしました。
しかし
食欲はみるみる無くなり、体温も通常より高くなって、
呼吸も荒くなってきたので心配になって病院に連れて行きました。
診てもらった結果は
・妊娠の可能性はある。
・でもエコーには子供(卵)が見えない。
・子宮が炎症を起こしている可能性もある。
・子宮蓄膿症は子宮がぶよぶよと柔らかいが、
ももの子宮は張りがあるので妊娠の可能性も高い、との事でした。
次の確定結果を出すのに週末に病院へ行く事となり家に帰りました。
でもやっぱり食欲が余り無く、心配で堪らなかった。
レバーや牛肉やささみを茹でたりカッテージチーズを作ったりしましたが食べてくれません。
なので次の日の夜にせめて点滴でも・・と病院に連絡して行きました。
先生は緊急手術の用意をしていました。
スタッフの方々が来るまでみわんこ。が先生のお手伝いをして
ももの血液検査の後のケアや点滴の血管確保の際の腕に針を刺す時のお手伝いもしました。
痛くて嫌がるももの腕を握って励ましました。
麻酔の影響で食べた物を吐いたもも。
ほんの少し、ようやく食べたマンマだったのに、吐いてしまった。
ももが心配で心配でどうしようもありませんでした。
子供も大切だけど、何よりももを優先して欲しいと頼んでいたので
先生は手術で子宮を摘出する事を選択されました。
やはり子宮は張っていて、妊娠の状況になっていたようでした。
子宮を摘出し、後はちゃんと縫ってお腹を閉じるだけだったのに。
ももの心臓が止まり、蘇生するための作業が慌ただしく行われていました。。。
もう目の前の状況が本当なのかどうかわかりませんでした。
涙も出なかったのです。
だって、じきに心臓が動き出して手術が成功して元気になるって思っていたから。
ももが死んでしまうはずが無いって思っていたから。
でも。
みわんこ。に似て不整脈のもも。
そして数日間食欲が無かったので体力がなかったもも・・・
そのまま心臓は動くことなく、ももは天使になってしまいました。
ダンナが先生から聞いた話によると、ももと時次の子供は出来ていたそうです・・・。
でも、ももの子宮が元から弱かったのか充分に育つ事が出来ずに
そして子供が流れずに子宮にとどまり、炎症を起こしてしまったそうです。
子供もかわいそうでしたが、ももまでどうして・・と
辛い思いをさせてしまっていた事を悔やむばかりでした。
それからみわんこ。は気が狂ったように泣き続けました。
ダンナが病院に迎えに来ても動けずにももにしがみついて泣き叫ぶしか出来ませんでした。
次の日は一日中ももと布団の中に居ました。泣いては泣き疲れて寝て、又泣いて・・・の繰り返しでした。
朝も昼も夜も泣きました。
もう何もかもが終わったように絶望の底にいました。
このままずっとももを抱きしめて眠っていたい、と思いましたが
ももが夢に出てきて
『このままじゃしんどいから、もっと楽にならせて、おかあちゃん。』
と言いました。
確かにこのままではももの体は腐ってしまう、本当に辛い思いをさせてしまう・・・
そして翌日
ダンナや両親、兄弟、友達、ももを愛してくれている人たちに支えられ
1月24日にお寺で火葬をし、お骨も拾ってお家に一緒に帰ってきました。
不思議な事に火葬をするまでの約2日間は、
ももが居なくなった悲しい夢ばかり見ていました。
でも、火葬をした日の夜はお気に入りのピンクの背中に羽の生えた服を着たももが居て、
その羽がパタパタと羽ばたいていました。
そして、天使になる数日前はしんどくてろくに食べられなかったのに
その夢ではちゃんとご飯を食べていました・・・。
ももが本当に天国へ行くためにおかあちゃん(みわんこ。)に
安心するように見せた夢だったのかな・・・?
あれからもう丸3年経ちました。
あっという間のような気もしますが、まだ3年しか経っていないという気もします。
あの頃のみわんこ。は不安定なままで中途半端に日々を過ごしていました。
やっぱり夢なのかな、こんなに悲しい現実があるわけない・・・と逃げたくなったりもしていました。
それから暫くは人と喋る事や会う事が怖くなり、電話も出れず、会社を1週間休みました。
その間、時次とみわんこ。はずっと家に居て(ダンナは仕事)
ももの事を考えては泣き、又考えて・・・という日々を繰り返しました。
食事もせずに泣いてばかりで口もきかずに毎日が過ぎました。
ダンナはみわんこ。にどうしてあげたらいいのかわからず困っていた様です。
仕事に復帰してからも以前のように笑えないし、
感情の波があって急に胸が詰まって泣きたくなって息が苦しくなったり
通勤の電車の中でも涙が止まらなくなったり(帽子を被って隠してました)
叫びたくなったりしました。
家でも穏やかにももの事を考えて時次と遊んだりする時もあれば
家事をしている時や夜中に急に号泣してしまったりと自分のコントロールが
出来なくなりました。
ほんの少し前まではみわんこ。の傍にはいつも甘えん坊のももが居て、
膝の上に乗ってきたり抱っこを要求してきたり
一緒のお布団で同じ枕に頭を乗せて眠ったりしていたのに。
眠るときはみわんこ。の頬にいつももものふわふわの毛が触れて、
寝息と波打つ体の体温を感じていたのに。
お金持ちになりたいとか、有名人と仲良くなりたいとか、
一生遊んで暮らしたいとか、そういうものは本当の望みではなかった。
ただ、その頃はももと時次とダンナが居て、いつもどおりの生活があった。
それで、よかった。
甘えん坊のももをいつも抱っこして
少しぽっちゃりしたふわふわの暖かい体を感じていたかったのに。
そんないつも出来ていた事が、
今は一番叶わない事になってしまうなんて。
寂しさのどん底でした。
でも、ももが自分が居なくなった事でみわんこ。が駄目になるのを見たら
絶対悲しむと思うし、悔やむとも思うので
ももを悲しませない為にも前に進んでいかなければ・・・と
少しずつですが考えて行く事にしました。
でも、それは簡単な事じゃなかった。
1歩前進したら2歩下がって、3歩前進して又1歩下がって・・・の繰り返しでした。
泣いてすがりつきすぎるとももが天国に行くに行けなくて困るんじゃないかな・・・
とダンナに言われましたが、みわんこ。はももに今までもそうだった様に
嬉しい事も悲しい事も辛い事も正直に表すしか出来なかった。
辛いのに辛くないフリなんか出来ないし、
ももはきっとお見通しだと思うから涙が止まらない時はそのまま泣くしかなかった。
病院での緊急手術を、食欲がなく体力が落ちている状態だったのに
なんでもう少し待って下さいと止められなかったのだろう・・・。
もし、他の病院だったなら・・・。
人工心臓があったなら・・・と、
もしそれで今もももが生きていたとしても毎日苦しい思いをしていたなら
あの時に苦しみが続かずに楽になれてよかったのかも・・・と
寂しい自分のエゴだけで色々考えていた。
そして考えても今の状況は変わらない事に気付き・・・・。
自分が情けなかった。ももが見ていたら悲しがるのに。
ももを困らせるつもりはないのに・・。
でも、病院でみわんこ。は手術の様子を少し離れた所から見守り、
そして心電図の心拍音も聞いていたのです。
今でも耳に残っている心拍音。
ピッ・・ピッ・・ピ・・・という音が止まってしまった時の
たとえようの無いこの恐怖とも悲しみともむなしさともいえない感情。
みわんこ。は答えも見つからないままチビチビと前に無理やり進んでいるようでした。
みわんこ。がいつまでもメソメソしている時に困っていたダンナが
ふと気配がして、もものお骨を置いている所の写真を撮りました。
その際に、
『ももちゃん、おかあちゃんが泣いてばかりやから励ましてあげて。
ちょっと出て来てやって・・・。』
と心で願って写真を2枚撮ったところ、1枚目は何もなかったのですが、
2枚目に不思議なものが写っていました。
白くて、ちっちゃくて、丸いものがフワッと浮いてる。。。
ダンナはももが来たよとみわんこ。に見せてくれました。
それを見て、本当にももが安心して天国へ行ける様にしてあげなければ・・・。
そう思いました。
そこから少しずつ進み始めたように思います。
ももは本当に愛らしくて、周りの人がビックリする位みわんこ。にベッタリでした。
本当にみわんこ。を愛してくれていたし、
みわんこ。からの愛ももっともっとと欲していました。
もちろん、ももへの愛は今も変わらずに溢れています。
どういう状況でもももを愛さずにはいられません。
永遠に愛していきます。
みわんこ。のたからもの、もも。
そしてももは福ちゃんにも出逢わせてくれました。
みわんこ。は幸せ者です。
ももと時次と福。
この子達はみわんこ。のかけがえの無いたからものです。
永遠に。
あの頃から
いろんなものを受け止める、考える、その大切さを
新たに手にしたように思います。
おおきにね、もも。
そしてこれからも大切な沢山の仲間達のことをよろしくね、もも。
ももと出逢えてよかった。