人間賛歌・もっちゃん4649

自然の猛威

何日ぶりかの太陽です

精霊トンボがものすごい数で乱舞しています。
昨日は一日大雨洪水警報が出ていたからどこかで雨宿りしていたのでしょう~

クウの散歩で増水した濁流を村の入り口まで見に行ってきました。
河川工事が水の勢いを分散するように考えられて行われたので安心はしているのですが、阿蘇と久住水系の合流地点ですから滔滔と渦巻き逆巻く流れは直視できない恐ろしさがありました。

百匹の大蛇がのたうち荒れ狂っていると想像するとそう見えてきます。

慌てて川の流れを見るのを止めてクウの散歩の先を急ぎました。
 
3時前に連れ合いから電話がありました。
叔父が退院したからお見舞いに行ってきた帰りでした。
去年の初秋、「若い者への意見を頼んだ~」と義母が話していた親戚中で力を持っている叔父が静脈瘤の手術をしての退院だったようです。

意見をされる前に竹田に来てしまったので、叔父には会っていません。

「何を意見するのよ~
事情も分からないくせに~」とその時は感じていました。

荷物もすべてきれいさっぱりと持って帰ってしまったことで、義母を中心に私の真意を測りかねていたようです。
義母から朝の8時から11時くらいまで叔父宅に長電話がかかり、「わしはなにもわるくないし~」という一点張りの話があったそうです。

ちょうど良い機会だったから、納得してもらえる話をしてきたということでした。
無理に分かってもらいたいとは思わないけど、理解してもらえたのなら良かったと思いました。

昨日の大雨は嘘だったように、穏やかな大地が眼前にあります。

私に降る雨もいつかは穏やかに晴れ渡る時があるのかしら~?とふと見えない先を見てみました。

まだまだ思い出したように雨脚の激しい時が続いています。

平成2年の7月2日に集中豪雨に見舞われ、自然の猛威を目の当たりにした時のことを思い出します。

一ヶ月後に帰省して賽の河原化した惨状を目にした時に、村の復興があるのかと唖然としたものでした。

JRの鉄橋も押し流し、豊肥線が復興したのはその後何ヶ月か何年のちだったか定かではありませんが・・・
大きな小岩ほどの溶岩がごろごろと転がり、白い杉皮の剥げた巨木が折り重なっていたのです。
農耕を諦めざるをえないような手の付け様のない見渡す限りの地獄絵でした。

河川工事を徹底して行い、耕作地の区画整理を兼ねて広い田圃にし休耕田を無くす取り組みを地元と行政で15年計画で取り組んできました。

各戸の分担金も合計にすると母の名前でン百万円は納めました。
耕作面積で算出していると感じましたが、土地を有している者の務めだからと従いました。
その後いつ帰ってきても工事の音が続き落ち着けない故郷でしたが、この春でやっと静けさを取り戻せました。

今現在では洪水の心配も大雨のための土砂崩れもすべて対策が講じられて災害から守られています。

粘り強い村人の努力と願いが実を結んだ元年だと、私は一人喜んでいます。

バイパスができ村の中の道も消防車が通れるように拡張され、緑豊かな自然に恵まれた生活が保障されていますから~

奈良から車を持ってきたから快適なんですね~
一人暮らしだとたいへんです。
歩いて医者や買い物にいくしかないんですから~

いつでも車が要るときは運転手付きで行きますからね~と独居の人には声をかけています。

過疎の村ですからお役に立てているんですよ、私も~

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