晴れやかだった父の人生に相応しい穏やかな夜明けでした~
父の生き方は真似の出来ない素晴らしいものであったと年々気付かされているのです。
3月は父のことを一番思い出す月でもあります

14年前の冬、次男の結婚に関して実家の姓を継承したいと父に申し出ました。
長男が24歳で次男が21歳。
まだ3人の息子たちは独身でした。
しきたりにうるさい奈良で次男を先に結婚させる方法は、継承者のいない実家の養子にすることだという結論になったのです。
当時大学3年だった次男は中退してでも家庭を持ちたいと言う緊急の話しが出て、実家の父に相談しました。
「嫁の来てのない時代なのに、孫までも同時に授かるとはなんとうれしいありがたいこと~!」
と即座に快諾してくれたのです。
母子手帳の交付を急ぐために養子縁組と同時に婚姻届を出し、式や披露宴は後日にということに決まりました。
その手続きは春休みに帰省して~という段取りにしていました。
その年は3年生の担任だったので、卒業式を終え、高校入試の合格発表が17日と決まっていたのです。
後にも先にもその年だけ、ものの見事に全員が誰一人落ちることもなく第一希望で合格できていました~
8クラスある学年でしたが、たいていはどのクラスも2次募集狙いが数人は出て春休みまで進路決定にもつれ込むのが普通なのに・・・
これで安心して年休が取れると喜びの電話を17日の夜に父に入れました。
「20日に帰るからね~♪息子も連れて~」
「待っているよ~」とうれしい響きの父の声でした。
19日の明け方、82歳で父は永眠となりました~
安堵の中で後継者を地域の人に披露するために花道をこしらえてくれたのだと父の遺志を感じました。
喪主として次男の名前を地域に披露できました。
春休みはすべての事をきれいに片付けていたので、安心してゆっくりと父を見送ることが出来ました~
82歳の大往生だったと喜んでいます。
枯れ木が倒れるごとくどこにも病気がなく、完全燃焼できた父の生涯でした~
ワープロの独学中という姿勢を私に示してくれた父でもありました。
退職するまでのそれからの10年は、形見のワープロのおかげでおびただしい量の書類を市内の幼小中に配布することが出来ました。
必要なことはその都度困らないように、神様が先回りして道を開けてくれているという自負をその頃から強く持てるようになったのです~

今日はお供え物をきれいに飾りつけ、精一杯の供養をしたいと思っています~
母と二人で、父の思い出話に花を咲かせようと愉しみにしています~

