「死んで帰れと励まされ~って、どんなことかねえ?」
「ええ~っ!
そんなことを急に言われてもわからないよ~」と相手にならずに寝ようとしたのです。
そこから延々3時間半、大きな声で歌い続けるのでした。
鼻歌ではないのです。
詩吟で鍛えた大声なのです。
トホホの・・ホ
元気がありすぎるのって、これもたいへん
ベッドの横に設置したポータブルの後ろ側でスタンバイして私は寝ていますから、頭の上での声はがんがん耳に残ります。
歌うのをやめて寝ましょうと言い聞かせても5分と持ちませんからね~
ゼンマイのネジが戻るまで続くのです。
聞きかじりでところどころしか知らなかった私はすっかり覚えこんでしまいました。
昨夜・一昨夜と軍歌の連荘です。
題名はわかりません。
”勝ってくるぞと勇ましく~♪
誓って国を出たからは
手柄立てずに 死なりょうか~♪
進軍ラッパ聞くたびに
まぶたに浮かぶ旗の波~♪
たまもタンクも銃剣も~♪
しばし露営の草枕
夢に出てきた父上に~♪
死んで還れと励まされ
覚めてにらむは敵の空~♪”
トイレに起きる前から夢で見ていたのでしょうねえ
質問の一節がありました。
大正5年生まれの母は昭和13年の秋に結婚し、私の上に二人流産と早産で女の子がいたそうですが授かりませんでした。
17年に生まれた私は戸籍上は次女になっています。
戦争前が青春でしたし、たくさんの軍歌を歌っていたのだと思います。
父が出征し、祖母と3人で大阪の大空襲を潜り抜けて父の故郷に疎開したのでした。
無我夢中で生きるための辛酸をなめてここまできたのです。
母の意識は今そこを通過中なんだと思って聞き役に徹しています。
戦争の悪夢が消えないと本当の安らかさはないのでしょう。
少女時代の海辺で遊ぶ楽しい思い出に至った時に、大事に育てられた幼い日の七段飾りのお雛様の思い出に至った時に、すべての悲しみは癒えるのではないかと思います。
3人の兄がいて4番目に生まれた女の子でしたから、溺愛の父親だったと聞いています。
今、母は1歳前後の歩き始めの乳幼児の生活年齢を通過中です。
優しく看守って誠心誠意恩返しに励みますね~
また明日覗いてみてくださいね~
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