お父さん、5年前のことですが、聞いてくださいね~
永年勤務者表彰式というのがあって出席してきました。
あなたは三十年以上の永きにわたり身を教職に奉じ奈良県教育振興のため多大の貢献をされました
よってここにその功績をたたえこれを表彰します
平成十四年六月六日
奈良県教育委員会
という文面の内容でした。
一つの大きな区切れとして大切にしたいと思っています。
私の一幕めはこれできっちりと幕が閉まった事になります。
家族の協力と健康な心身を授かっていたので、病気で休んだ事は産休以外に一日もなく、35年間勤める事ができました。
透かし入りの分厚い和紙に書かれた表彰状は、ずっしりと35年の重さを感じさせてくれます。
式は小学校、中学校、県立学校の部と分かれていました。
被表彰者数は今回は185人でした。
うち6人は勤務校が同じになったことのある先生方でした。
大場先生、吉井先生、坂本先生、横手先生、梅村先生、木島先生。
いつまでも覚えておきたい戦友として書き留めておきたいです。
東京都調布市で2年間、奈良県の大宇陀で2年、そして隣の市に来て33年、合計37年でした。
でも東京の2年を退職という形で切ったので勤務年数には繋がらなかったのです。
だから35年でした。
今思うと楽しい37年間でした~
男性は勤務時間が終わるとフリーですが、女性はそれからが本業です。
食事の用意、育児、家事いっさいが待ち受けています。
だから学校で過ごすのは本業ではなく、遊びなのだと言う感じでした。
私にとってそれ以上に大変なのは帰宅してからのほうでしたからね~
中学校は生徒の生活指導が難しいといわれます。
ノイローゼになって登校拒否の教師になるのは、真面目で優秀な男性がどちらかというと
私の狭い経験では多いように思われました。
「学校で起きる事は軽い軽い!
後ろに親が居てくれるのだもん~ 共に悩み考えればいいのよ!」
と深刻にならずに自信を持って当たれば、たいていの事は解決できました。
大きく重たく捉えすぎるから動きが取れなくなってしまうのです。
山より大きな獅子は出ないと、飲んでかかる図太さが必要です。
明るい渦を起こして巻き込んでいけば、明るいものが出来上がります。
一つの事にとらわれてしまうと、そこで全体が見えなくなります。
人生をすべて知り尽くしたかのように暗い表情になり、虚無的なしぐさで斜に構えている子を前にした時、
赤ん坊のときの写真を見せてもらいに家庭訪問に行きます。
笑顔を無くした赤ん坊はいないし、生まれた時の話を聞くことからスタートするのです。
これが私の第1歩でした。
東京での勤めが養護施設だったので、奈良に来て普通学校に勤務するようになったとき、
この子の後ろには成長を期待してくれる肉親が居るってことが、どれだけありがたいって思えた事か~!
人は期待に応えたいと願うものです。
その気持ちを思い出させる事が肝心です。
毎日がゲームのような楽しさの35年でした。
忘れられない数々のゲームがありました。
すべて私の粘り勝ちだったと自負しています。
お父さん、自信過剰な性格が功を奏したのでしょうね~、きっと!
花が好き、人が好きな私にぴったりの仕事だったのだとつくづく思っています。
支えてくださった皆様に感謝しながら第1幕を締めくくりたいと思います。
35年間の永きにわたり、ありがとうございました~!
お礼の言葉で終えることの出来た幸せを、5年後の今も味わっているのです~
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