土曜日の夜、nhk教育の生番組で“認知症を生きる”という3時間特集がありました。
50歳になって発症した初期段階の本人の思いを聞こうという番組でした。
「今、認知症の私が伝えたいこと」というテーマで、認知症は受け止めるが後の人生は
あきらめないという周辺の支援の大切さを喚起する内容でした。
私は認知症の母に気付いたのが8年前で、叔母の死の直後 従姉妹の電話で教えられました。
「ヒロコ姉さん、おばちゃんちょっとおかしいよ~」という連絡を受けたのでした。
「お母さんの声とよく似ているから、淋しくなったらいつでも会いに来てね~」と
5分おきに何度も同じ繰り返しで電話がかかるということでした。
徐々におかしいということが私たちにも伝わり、四人で交替に毎晩電話をかけて
母の声の調子などに気を配り始めたのでした。
翌年の2月初め、沖縄修学旅行の出発後5分のバスの中で 千葉の妹から
異変の電話連絡を受けました。
風邪を引いているとは知っていたが、食事も水も摂っていない日が続き、夜中にトイレに
起きた時に倒れて 衰弱がひどいというものでした。
万全の体制で引率指導の一員になっている私が、修学旅行という大きな学校行事から
抜けるわけにはいかなかったのでした。
直ちに東京出張の連れ合いに緊急事態を告げて、九州の実家にとりあえず
急行してもらったのでした。
無事帰校後、一月間の介護特休に入りました。
以来福祉のお世話になり毎月の介護が始まったのでした。
定年退職も1年早い勇退制を採り、母の介護を半月・奈良の家のことを半月と最大限努めてみました。
そして2年経ち、介護に専念するようになったのでした。
母の認知症も穏やかな進行となり、かなり人間らしさを取り戻せてきています。
傍に話し相手がいるという安心感が 孤独な寂しさと無気力とを払拭していったのです。
本来の陽気な歌の好きな母に戻っていきました。
プライドの高さは凛として持っています。
「また同じことをして~」と言う言い方は とても傷つけていることが分かります。
腹が立って怒ってみたところで 長続きすることではないから、優しい言葉で
介護してあげようと努めているのです。
脇の下や胸やお腹に皮膚病のように爛れが出ています。
寝返りを打てないから汗の溜まる場所が一定になるのです。
体を朝晩拭いて治療をするときに、「お世話をかけるねえ~」と感謝の言葉を述べています。
「娘だからお礼を言わなくっていいのよ。
赤ん坊の時にかわいがって大きく育ててくれたお返しなんだからね♪」
とにっこり笑っていうと、うれしそうに笑って聞いています。
プライドや感性・甘え・寂しさというものは認知症の人も最後まで持ち続けると専門医の話。
周辺の適切な支援が人間の尊厳を持ち続けさせられるという再確認ができました。
いつ発症するかもわからない認知症を地域社会が支援できる体制作りを~と
遅ればせながら着手が始まったという報道でした。
地域密着型という言葉を初めて聞きました。
あっ! 妹が話していたことだわ~
「小規模・多機能型居宅介護」の事業化・・・
10年先は自分が地域社会に多機能ホームを~と熱く語っていたのは
このことだったのだと 点が線につながった瞬間でした。
私の願いは今の母の良い状態を 少しでも長く続かせること~
認知症の最期は3人の介護人が必要となるそうですが、
穏やかで平凡な日々が一日も長く続いて欲しい~
楽しい時間を少しでも多く母に~と願っているのです
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