常に表情の変化に気遣いしながら声掛けを適度に、一人の空想の世界に入らないように心がけてきました。
おかげで心身ともに健康体に回復してきつつあります。
「楽しかったよ~♪」と元気に4時過ぎにデイサービスから帰ってきました。
ちょっと一休みした頃に、古くから詩吟活動の相棒だったSさんが訪ねてきて下さいました。
きっちりと話が噛み合いボケたことを言わなくなっていることに気付き、大変驚いていらっしゃいました。
Sさんは腰痛の持病があるので、自転車にも乗れなくなり押し車で2キロほど離れた隣組からご機嫌伺いに来てくださったのです。
思えばこその尊い訪問をうれしく感じました。
美人と裕福を鼻にかけお高い人だと子供の時に煙たく思っていましたが、Sさんのことを深く理解できた思いがしました。
母を姉さんと呼び、親しく付き合って下さるのを不思議にいつも感じていたが、母を頼っておられたのだとよくわかりました。
冷たい般若のような美人顔の裏には重くて辛い喜べない日々を背負っていたからなんです・・・
3人の子持ちでしたが、もうすでに二人の娘さんは30代で亡くなっています。
長男家族と同居しているが、まだ現役で家事一切をこなしているという話でした。
80歳近くだと思うから、大変しんどいことでしょう。
二十歳になる孫娘さんを伴っていたのでSさんの付き添いかなと思っていたけど、短大を卒業し鬱病で就職はできない孫なんだということでした。
どこまでも茨の道が続くと淋しい笑顔でした。
母の生活環境を自分のことのように喜んでくださるので、持っていたイメージが一転してしまいました。
子供のころはSさんのことを人を小ばかに蔑んでみる人だと敬遠していたのです。
好感を持てない近づきたくない一人でした。
戦争で焼け出され田舎に疎開してきて、貧のどん底生活を楽しみだと感じる両親に育てられる中で、人の温もりや冷たさを鋭く見抜ける嗅覚も備わってきたのです。
その最たる苦手な部類の人だったから、理解できたことをとてもうれしく感じました。
私の大切な花を切花にしてお土産に持って帰っていただきました。
誰とでも分け隔てなく付き合えると自負していましたが、子供の時に受けた印象はぬぐえきれていなかったのは事実です。
清濁併せ呑む母の生き方を目のあたりにして、私も学ばなくっちゃ~と改めて思いました
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