翌11日には私の心の暴風雨もからりと晴れ渡り、見事な解決の展開を連れ合いは義父からの贈り物だと言って示してくれたのですよ~
聞いてくださいね~
義父が亡くなって30年です。
3人の息子が産まれたことを殊のほか喜び安心してくれた父でした。
異文化の奈良に嫁いできた私を一番理解し見守ってくれたのが、連れ合いよりも父だったと思うくらいに、静かな慈愛に満ちた眼差しで見守ってくれました。
今も連れ合いがお墓参りを毎週欠かさない事からしても、結婚できた大きな力は父の積極的な親類縁者への説得があったと連れ合いからも聞いています。
私たちの結婚を我が事のように気にかけて下さっていたのです。
3男が産まれた時に「これで我が家も安心、安心~」と大喜びでした。
「孫の守りを二人でしてやろう~。嫁が勤めを続けられるように・・・」と母と話し合ってくれました。
父と暮らせたのはわずか7年でしたが、大きな基礎固めをして他界してくれたと感じています。
家の格が違い過ぎ、生活習慣の違う異文化の私が根づけるのか、父には大きな賭けだった事でしょう!
父が亡くなった後、しばらくして村の総代役の片腕として親交の厚かったMさんが、たくさんの父の言葉を教えてくれました。
二人の幸せを自分の事のように願って下さっていたのです。
実家の母の一言と義父の温かいアドバイスの支えで、今の私たちの生活があるのです。
大恩を受けたと言う事はいくら語っても語りきれません。
台風が上陸の近畿ですが、台風に向かって明日の準備の買い物に出かけなくっちゃあと思っています。
父の大恩に報いたい気持ちでいっぱいです♪
ついでに美容院にも出かけてきます~
明けて10月10日は台風一過の晴天に恵まれ、滞りなく30年祭の勤めが終わりました。
明日も休日なので、気分的には楽です。
義父の30年祭を無事に終えた翌日、連れ合いから「ありがとう~」と労いの言葉をもらいました。
一昨日の美容院でのショックな出来事をやっと口に出来る落ち着きが出てきました。
私の噂話を知らされ、いきさつを先生に説明しました。
「どちらの話も聞かないと分からないものやねえ~」と先生には分かってもらえたように思います。
「自分の親の世話ばかりしてわしには入院しろとか老人ホームに行けとか冷たいことを言うとんでもない鬼嫁やそうな~~」と言う噂でした~
堰が切れたように先日の悔しさをぶちまけました~
連れ合いもかなり義母と私の板挟みになって、長い間悩んで居たみたいです。
私が竹田に帰っている間、実家のことに力を出しすぎる嫁は返してしまえ~と悪口雑言を連れ合いにぶつけていたようです。
自分に文句を言うことで気持ちを紛らせているのならそれを甘んじて受ければいいと黙って聞き流していたといいます。
息子が正しいと思っているから反論しないと思った義母は、家に来る人すべてに腹に収めることが出来ず、ひどい嫁だと嘆き聞かせるのでした。
火事は大きく燃えさかるほど面白いです。
「あの物分りの良い分別のある奥様がこう言うたはった~
強い嫁はんやなあ~ほんまに・・・
わいらにはまねができひんけど、えらいよめはんやで~」と。
「嫁は親の介護に全く帰ることは許されないと言われるのなら、私は離縁された方がいい~
嫁の座に座っていたくはないわ~」と本心を言いました。
しばらく考えていた連れ合いが、
「俺もお陰でここまで生きてこれて、これからはお前を自由にしてあげよう~」という許しの言葉を出してくれました。
「竹田に帰って5年か10年間、しっかり親孝行してこいや~~♪
奈良の親類や親や子供たちの事は全部うまく采配を振るから~~」と言ってくれたのです。
「大和の人からお前の立派に生きてきた名誉を汚されることの防ぎようがないから、一番良い選択をお前にしてやる~~」というのでした。
第1幕の勤めを立派に果たしてくれたわけだから、第2幕は自由に生きろ~
名実ともに天下晴れて自由の身にしてくれるそうです。
フリーの好きな私のこと~
これから始まる第3幕はどんな場面にしようかと案を練っているところです。
ますます面白い人生が開けてきそうです。
なってくる事を私は素直に受け止めるだけ~~
明日は予定通りに半月間の介護に出かけます。
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もっちゃんです

tuyosi
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