人間賛歌・もっちゃん4649

”恵みの雨”と

昭和20年の3月のことを思い出していました。

東京も大阪も大空襲に遭い、焼け野原となって母は私をおんぶして祖母と3人で父の故郷に疎開してきたのです。

荷物はこれだけは持って逃げようと風呂敷包みに用意していた大事なものを市場に買い物に出かけた留守の間に空き巣に入られたそうです。

「命のないところを私の身代わりになってくれたんや~」と母は思い返しをしたそうです。
生きていれば着る物はまた与えられると~

結婚して7年くらいですから着物の執着はあった筈なのに・・・
命からがら3人で大分県の竹田に着いたのはこんな寒さの時だったのか~と思いを巡らせていました。

母の臀部の皮膚病もだいぶ回復してきているのですが、塗り薬もなくなってきたし病院に連れて行かないとそろそろ暖かくなってきたからな~と思案していたのですが・・・

玄関を出て車に乗り込むまでの歩行ができないだろうと案じていました。

足の力のなさが堪えるだろうし、本当に移動ができなくなってきていますし~

往診が出来るか電話をかけてみると、
「夕方5時までが診察時間だからその後6時頃に伺いましょう♪」と言ってくださり、助けていただけました。

同じように母親が独居生活をなさっているそうです。
「おばあちゃんは幸せですね~」としみじみおっしゃっていました。

きっと母と重ねて思い出していらしたのでしょう。

親切で優しい皮膚科の先生に感謝です~(^.^)/~~~

3月19日は父の祥月命日ですから、古く大阪時代の知人がお参りしたいという便りを下さいました。
母はハガキを大事に何回も撫でて喜び楽しみに待っています。

私も「どうぞお待ちいたしております~」と電話を差し上げておきました。

どんなおもてなしをしようかな~って昨夜は考えていたのです。

お客さんってめったにないことですから、月曜日が待たれます~(^.^)/~~~

では、また明日~

今朝は雨の朝です~
ジャガイモを植えて初めての雨なので”恵みの雨”と喜んでいます~
勝手な人でしょ~(^^)

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