「人には優しく、自分には厳しく」を不言実行していきたいとは考えるけど、「まっ、いいか」と自分を許し、甘やかしていることが多々あります。
56歳のときに今日紹介しようと思っている、相田みつをさんの詩に出会いました。
二万四百四十枚のレンガを積み重ねたことになり、よく倒れないものだと驚いたものです
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あれから8年が過ぎ、約3千枚のレンガが増えました。
大きく曲がりくねっているであろう、私の命のレンガを想像しながら、見えなくって良かったとも思っているのです。
ここで、あなたのレンガのこともちょっと考えて見て下さいな
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いのちのレンガ 「しあわせはいつも」 文化出版局 相田みつを著
-O先生の講話から-
ある日の<洗心講座>で
O先生がこんな話をされました
「人間の一生は
毎日毎日、一枚ずつのレンガを
積み上げてゆくようなものだ
いのちという自分のレンガを-
レンガを、どこへ置くか、は
自分の好きです
自分のレンガですから
どこへ置いても自分の勝手です
しかし、一度置いてしまったレンガは
もう絶対に動かない
永久に動かすことができない
置いたらそのまま-
きちんと置けば
きちんと置いたまま
だらしなく置けば
だらしなく置いたまま
いいかげんに置けば
いいかげんに置いたまま
もう絶対に動かすことができません
置き代えることはできないのです
そして
いままで積み上げてきたレンガを
私達は具体的に手でさわって
見ることはできません
しかしです-
見えないからといって
レンガを積み上げてきた、という事実は
消えたわけではありません
人間に見えないだけです
そしてまた
昨日まで積み上げてきたレンガの上に
今日のレンガを置くのです
昨日まで置いてきたレンガにつづけて
今日のレンガを置くのです
どんなにまずく積んでしまったレンガでも
昨日(そこ)につづけて積む以外に
今日のレンガの積み場はないのです
まずいからといって
昨日に離して全く別なところに
積むわけにはゆかないのです」
と-
こわい話でした
ところでわたしはどんなレンガを
積み上げてきたのか-
慾望というレンガ
虚栄というレンガ
愛憎というレンガ
うそ偽りというレンガ
喜怒哀楽というレンガ
怠け心というレンガ
それから、自己顕示慾という
始末に負えないレンガ-
見えたらとても恥ずかしくて
到底まともに見ることは
できないでしょう
さて
あなたのレンガは・・・・・・?
以上です。
いかがでしたか?
同じショックを皆も受けていることでしょう!
早く気づいて良かったね!
今、気づいて良かったね。
心して毎日を積み重ねましょうね!