奈良に帰ってみると、暗雲の立ち込めた暗い雰囲気のぎすぎすした家になっていました。
犬の騒ぎに端を発し、「親類が若い者に意見をしに乗り込んでくるという話になっている」と連れ合いが話してくれました~
私が実家のことばかり大事にしすぎるという義母の蒔いたタネが、現実に芽を出し始めていたのです。
不愉快な話ですが聞いてくださいね~
9月からママの保育園補助職の勤務が始まりました。
3人の子供の充分な養育費と小遣い稼ぎになればと、専業主婦を少し飛び出して朝9時から4時までの仕事です。
サヤも入園させて同じ保育園に通うようになったのです。
この話が決まりそうになった時ママは自分の人生の転機だと捉え、喜んで勤めを続けたいと張り切っていました。
あくまでも専業主婦のスタンスで補助職を望んで内職の枠を超えない範囲で勤められたらということだったのです。
ピアノのレッスンは夕方そのまま続けていました。
ママはピアノ専攻だから、特技として磨いていきたいという思いもあったのです。
私も賛成!
子育ての間は長い目で見れば限られているから、専業主婦で満足を得られないのなら無理のない範囲で積極的にやってみればと、私も応援の立場を取っていました。
ママが日中家にいる事が義母の心の安らぎだったのですが、9月からだれも昼間居なくなったので、一番淋しく影響を受けているのが義母だったのです。
義母は、叔母夫婦が彼岸の入りにお墓参りに来てくれた時に、思いっきり自分の環境を愚痴ったようです。
若い者たちはお医者さん通いをしている病人を一人残して、みんな昼間出て行ってるのだと。
嫁は実家に帰っているし、私一人気苦労が絶えないのだと。
どこかのんびり一人静かに医療付きの老人ホームはないものかと思うと~
年寄りを一人に昼間するなんてとんでもない息子夫婦だ!
意見をしに近いうちに出直してくるから~~と言ってもらい、す~っとしたと連れ合いに話したそうです。
連れ合いにしてみたら家の中の事を一々構って欲しくもない!
面白くない~!と立腹しました。
狭い自分中心の考えをする義母なので、波風の大きく立つ家になってしまっていました。
一人になっている日中にヘルパーさんの訪問をお願いするのも方法だし、義父が教職だったので遺族年金も遣わずに貯めているから、特別養老に入る事も可能なのです。
体調が優れない日も多くなっているのなら親類の病院に入院するのも選択肢の一つでしょう。
要は、本人が決める事で、若い者は全面応援しますからと考えを言いました。
良かれと思って言った事が
「実の母親には半月も世話をしに出かけていって、私には入院しろとか老人ホームに入れと言う嫁なんでっせ~」
「ひどい嫁はんでんな~~」とひそひそ話が続くのです~
面白おかしく尾ひれがついて、噂は隣近所だけでなく隣町の美容院でも流れていたのでした~
嫁姑問題はただでも難しいのにねえ~~
しばらくは気の重い日が続きそうです。
良い解決の出口にたどり着かねば~と思っていました。
忘れもしません。
10月9日に美容院の先生に聞かされて、が~んと頭を叩かれたようなショックを受けました
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まさに晴天の霹靂とはこの時をいうのだと思いました~