一番上は喘息がひどく夜中に酸素吸入をしてもらったり、アトピーがひどかったり、この子は大きく育つのかなあと本気で思うほどの虚弱体質でした。
親になって初めて、中学生にまで育て上げたお家のご苦労が解りました。
独身の時、養護施設の学園にいました。
いろんな事情で親と生活出来ない、それこそ生まれてすぐに道端に棄てられ名前も親も分からないという生い立ちの生徒から、姉弟で着替えの荷物を持って、いくら待ってもパチンコやさんの片隅に父親は現れず、相談所預かりになって学園で生活している生徒たちと共に過ごした2年間がありました。
だから、普通の中学校に勤めはじめた時に、
「この子らの後ろには家族の期待と愛がある。
たとえ今、非行に走っていてもきっと立ち直るぞ!」という信念を持っていました。
信じられたら応えようとする本能的なものを人間はもっているので、不思議と私のクラスは2学期頃から落着いてきて、友愛を追求する集団になってくるのです。
教師のスタートが養護施設であった事、そして長男が病弱であった事が本当の教師に私を育ててくれたように思います。
長男が6歳の時、次男は3歳で、私は家事と仕事と育児に追われ、いいかげんな毎日を送っていたはずです。
そんな時教師の本来の有るべき姿を見せ付けられたのでした
長男の卒園式のことです。
式を終え黄組の教室にもどってくると、さめざめと先生が子供との別れを惜しんで泣いてくださるのです。
幼くて先生の涙の意味も分からないような子供のために、泣いてくださるとは!
私にはオドロキでした。
それほど強い絆で結ばれていたということなのか!!
とにかく子供よりも親たちが感動してしまいました。
「私は別れを惜しんで涙が出るほどの繋がりを毎日の営みの中でつくりあげているだろうか?」
自問自答させられた一日でした。
その時に私は脱皮できたと思います。
31歳のことでした。
プチモナミの誕生でした
「塾は自分で選べるけど、学校の担任は選べない。
最悪な出会いと思うか、良いところをひとつでも多く見つけて好きになっていくか、あなたの選び方で一年間が大きく違ってきますよ。」と現実の生き方を生徒に示します。
「家庭訪問に行く目的は花の好きなお母様と友達になるために、おしゃべりに行くのです。
私は出会いが大好きです。」と語り生徒の緊張をほぐします。
そしてお家の方には
「学校での保護者は私です。
どんなことからもこの子を守ります。
この子の味方です。
だから担任の悪口は子どもの前では言わないで下さいね~
担任を批判する親は、子供を孤児にしているのと同じこと!
何を頼りに何を信じて学校生活をするのですか?
子供にとって最悪な状態にだけはしてはいけません。
私のお願いはこの通信に書きます。
お家の人の願いは返信に書いてください。」と約束してきます。
これで子供が素直に担任の言うことを聞く道が確保できるのです
現在、学校批判、担任批判があちこちで目立っています。
自分の権利ばかりを主張して、義務を果たすことを忘れています。
うまく行くはずがありません。
子供の前での担任批判は賢い親のやることでは決してありません。
プチモナミは週1くらいの発行で小さな存在でしたが、学校と地域に根付き、
太いパイプとなって30年間力を発揮してくれました
もちろん、学年通信になったり、全学年対象のみどり学級通信となりながら~
明日に続く~
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