オビラプトルは、ラテン語で「卵泥棒」という意味である。
オビラプトルの化石が最初に発見されたのは、
1923年のことである。
その化石は、モンゴルのゴビ砂漠で発見された。
この地域は、角竜(つのりゅう)のプロトケラトプスの卵の化石
が多く発見されることで知られている。
オビラプトルの化石は、卵が並べられた巣の中で発見された。
そのため、オビラプトルは、プロトケラトプスの卵をエサ
にするために巣に近づいてきたまま化石になったと
考えられたのである。
しかも、オビラプトルの口は、オウムのくちばしのような
形をしていて硬い物を嚙(か)み砕きやすいようになっており、
卵を割って食べると考えられていたのである。
恐竜の中には、現在の鳥のように、卵を抱いて子育て
をしていたものがいたとされる。
卵は、恐竜の親にとっては大切な存在である。
その大切な卵を親の目を盗んで食べてしまうとは、
なんという恐竜だろう。 オビラプトルは、
そんな軽蔑(けいべつ)とともに、「卵泥棒」と名づけ
られたのだ。
しかし、である。 じつは、この命名が、とんでもない誤解
だったことが後になって判明した。
卵の化石の中に、オビラプトルの胎児が入っていた
のである。 つまり、発見された卵は、オビラプトル
自身のものだったのだ。
オビラプトルは、卵泥棒ではなく、その巣の主であり、
鳥のように卵を温めていた親だったのである。
巣の中で発見されたオビラプトルは、卵を抱いたまま化石
になったと考えられる。
その後の研究で、オビラプトルのくちばしは、卵を割るため
のものではなく、エサとなる貝を嚙み砕くためのものだった
ことが判明する。
卵泥棒は、まったくの冤罪(えんざい)だったのである。
絶滅してしまった恐竜の生態を知るには、化石を調べる
しかない。 しかし、死んでしまった恐竜のすべてが化石
になるわけではない。
恐竜が化石として残るためには、特殊な条件が必要だ。
オピラプトルは卵を抱いたまま化石になった
死んだ恐竜の体は、空気に触れていると腐ってボロボロ
になってしまう。そのため、海や池の底に沈んだ恐竜の
体に土砂が堆積(たいせき)し、地層の中に埋め込まれ
なければならない。
海に暮らす生き物であれば、死骸(しがい)は海底に
沈むが、陸上に棲(す)む生き物では、そうはならない。
死骸が川を下り、海に流され、そして海底に沈まなけれ
ばならないのだ。 しかも、その死骸の上に土砂が積み
重ならなければならない。
ぐずぐずしていれば、死骸は他の生き物のエサとなり、
食い荒らされてしまう。そうなれば、化石にならない。
化石として後世に残ることができるのは、本当にわずかな
死体なのだ。
古代の生物の全身が化石として残ることは本当に珍しいし、
わずかに残された化石を手がかりにして恐竜の生態を
知ることは簡単ではないのだ。
オビラプトルは、卵を抱いたまま、卵と一緒に化石になった。
恐竜の死体は、短期間で地層の中に閉じ込められなければ、
化石になれない。
巣の中で死んだオビラプトルは、どのようにして化石に
なることができたのだろう。
陸上に棲む生き物が、一気に土砂の中に埋められる
条件がある。
たとえば、火山の噴火だ。
火山が噴煙(ふんえん)を巻き上げれば、
大地は火山灰で埋め尽くされる。
あるいは、大洪水もその条件の一つだ。
洪水が起これば、一気に土砂が押し寄せる。
こうして、土砂の下に埋まれば、化石になる条件が
整うのである。
オビラプトルの化石は、巣の中で、卵と一緒に見つかった。
最初は卵泥棒と勘違いされてしまったが、現在では
卵を抱いたまま化石になったと考えられている。
逃げ惑ったり慌てふためいたりしたのではない
逃げ惑う状態で化石になったわけでもない。
おそらくは、火山灰が降り積もる中で、オビラプトル
は逃げようとはしなかった。
おそらくは、迫り来る土砂の中で卵のそばを離れなかった。
そして、卵を守り続けたまま、化石となったのである。
オビラプトルは、卵泥棒ではない。 オビラプトルは、
そういう恐竜だったのである。
恐竜ははるか昔に地球に存在し、今では絶滅してしまった
生物である。
こんな大昔の生物に「親の愛」があったのだとしたら、
と考えると、それはとても不思議な感じがする。
親の愛というものは、いったいどのようにしてこの世に
生まれたのだろうか。
親の愛というものは、どのようにして進化を遂げたのだろうか。
そして、進化の頂点にある私たちホモ・サピエンスの愛は、
オビラプトルよりも、ずっと進化したものなのだと言える
のだろうか。 本当に不思議である ・…
わたしは夢の中で見た主と共に海辺を歩む自分と、
空の銀幕に映る過ぎ去ったわたしの生涯のすべて
の日々とを…
なんと砂の上には、毎日の歩みをしるすふたりの
あしあとが並んで残っているではないか
ひとりのはわたしの、もうひとりのは主の しかし、ところに
よってはひとり分のあしあとしか見あたらない
それは、よりによってわたしの人生で最も困難でつらく、
耐えがたかった日々にあたっている
そこで、わたしは主に不服を言った
「主よ、わたしはあなたと共に生きることを選び
あなたは、いつもわたしと共にいると約束して
くださいましたね
それなのになぜわたしを独り、置き去りにされた
のですか
それも、わたしが最もつらかった日々に」
すると、主はお答えになった
「わが子よ、わたしがあなたを愛していることを
あなたはよく知っているはすだ
わたしは一度もあなたを見捨てたことはない
ひとり分のあしあとしか残っていないところは
まさにあなたを腕に抱きあげ、
わたしが運んであげた日々だったのだよ」
M・フィッシュバック・パワーズ
この詩は、長い間、作者不詳とされてきました。 が、
その背景に次のような感動的な物語があったこと
がわかっています。
1989年のことです。
カナダ人のポール・パワーズさんとマーガレットさん夫妻は、
ある日、大きな試練に出会います。
ピクニックの最中、二人の娘のポーラが誤って高さ20m
の滝に落ち、ポールさんも持病の心臓発作を起こして
重体となったのです。
幸い父娘とも一命を取りとめ、病院に運ばれました。
入院中のポールさんに、看護師がこう話しかけました。
「このカードの詩は、励ましになるかと思うのですが……」
そして読んでくれたのが、「あしあと」だったのです 。
看護師は、読み終えると言いました。
「私はこの詩の作者を知りません。作者不明なのです」と 。
ポールさんは言いました。 「私は知っています。
作者をとてもよく知っています。……私の妻です」と。
実は、この詩は、25年前に二人が結婚の約束を交わした
日に妻のマーガレットさんが書いたものだったのです。
ポール・パワーズさんは、幼い頃から父親に殴る蹴るの
虐待を受けて育ちました。
7歳の時に最愛の母を亡くすと、非行に走りました。
近所の子どもたちと万引きしたり、集団強盗となったり、
12歳の時には殺人事件にまで関わってしまいます。
少年院、刑務所を転々としました。
しかし、出所後、老年のクリスチャン夫妻のところでお世話
になったことがきっかけで、心から自分の罪を悔い改めて、
クリスチャンになる決心をしました。
そして、牧師になったのです。
一方、小学校教師だったマーガレットさんは、
落雷事故に遭い、体調不良が増して、仕事は
辞めざるを得なくなっていました。
そういう二人が教会で出会い、交際を経て、
互いに愛し合うようになったのです。
1964年のことです。
ポールさんがマーガレットさんに指輪を渡してプロポーズ
した日、二人は海辺のほとりを歩きながら、将来のこと
を真剣に語り合っていました。
そろそろ戻ろうと思い、砂浜を折り返そうとした時に、
二人の足跡が波でかき消され、一人分しか残って
いないことに気づきました。
不安にかられたマーガレットさんはポールさんに
つぶやきました。 「これは神様が二人を祝福して
くれない暗示かもしれない」
「いや、二人は一つになって人生を歩んでいけるんだ」
けれども、マーガレットさんはまだ不安でした。
「もし二人で処理できない困難がやってきたら、
どうなるの」
「その時こそ、主が私たち二人を背負い、抱いて
下さる時だ。主に対する信仰と信頼を持ち続ける
限りはね
」 そして、ポールさんに抱きかかえられたマーガレットさん
の不安は安心と信頼に変わっていたのです。
詩を書くのが大好きだったマーガレットさんは、その夜、
なぎさでの出来事を詩に書きとめました。
その後、人前で話すことが多いポールさんは、
機会あるごとに、この詩を紹介したそうです。
そうして二人が知らない間に、この詩は作者不詳として
次第に世界中に広がっていきました。
そして、25年後、二人が大きな試練に出会ったときに、
思いがけずに現れ、二人を勇気づけたのです。
author: マーガレット・F・パワーズ
松代恵美訳『あしあと<Footprints>』