「やりたいことがあるけど時間がない」
「仕事や勉強が間に合わず時間が足りない」。
そのようなとき、「眠らないで済むなら……」と考えること
がありますよね。古今東西を問わず、睡眠研究者も
長年「短時間睡眠法」に取り組んできました。
短時間睡眠生活を目指す一番シンプルな方法として、
睡眠時間を徐々に短くする実験がいくつか行われ
ています。
例えば、普段7時間眠っている人の場合、30分短く
して6時間半睡眠で数日過ごし、その次は6時間
睡眠で数日過ごし、と進めていくわけです。
ところが、多くの場合、ある程度まで睡眠時間が短くなった
段階で蓄積した眠気のために 堪こら えきれなくなって
「爆睡」してしまい、
その翌日からは元の睡眠時間に戻ってしまいます。
このように、計画的にゆっくりと睡眠時間を削っても、
短時間睡眠のまま安定した生活を続けることはできません。
加齢とともに人の睡眠時間は短くなりますが、
実際は平均すると10年間で10分ほどのゆっくり
ペースです。
しかも、人の必要睡眠時間は体質的に決まっている
部分が大きいため、短期間に人為的に短くする
ことはできないのです。
ある意味、現代人は短時間睡眠が常態化している
とも言えます。平日に睡眠不足を続け、週末に
堪えきれなくなって寝だめをしている方がおられる
と思います。
上記の実験の小型版を毎週繰り返していると言えます。
「それでも何とか生活できている」と言う方もおられますが、
落とし穴が数多くあります。
睡眠時間を削っている間、眠気の高まりは比較的ゆっくり
進んでいくのに対して、認知機能は早期から低下
する点です。
睡眠時間を削って間もない、眠気がさほど強くない
時期でさえ認知機能は低下しています。
人は睡眠不足の有無を眠気の強さで評価することが
多いため、心身への影響を感知できず、
「眠気がないから大丈夫」と考えがちです。
睡眠不足時の事故は居眠りだけで起こるわけ
ではありません。
認知機能の低下によるヒューマンエラーや大きな事故、
それに体調が悪いのに働き続けることでミスや損失が
発生しやすくなる状態の「プレゼンティーイズム」など
につながります。
特に、高いパフォーマンスを要求される仕事や、
運転や大型機器操作などの危険作業に従事する
人は要注意です。
極度の被害妄想 短時間睡眠実験の究極版である
「(長時間眠らずに過ごす)断眠実験」も行われて
いるのでご紹介しましょう。
一番有名なものは、米国西海岸の男子高校生が
樹立した264時間(11日間)、連続で覚醒していた
記録です。
決して元気に過ごしたわけではありません。
最初の2日は眠気と 倦怠けんたい 感で済んで
いましたが、4日目には自分が有名プロスポーツ
選手であるという誇大妄想、
6日目には幻覚、
9日目には視力低下や被害妄想、終了間際に
は極度の記憶障害などが生じたそうです。
彼はその後一体どうなったでしょうか?
実験終了後に15時間ほど爆睡した後、元気に
覚醒し、なんら後遺症もなかったそうです。
この実験は医学的な管理の下、純粋に研究目的で
行われたものなので、まねしようなどとは思わないで
ください。
実際、長期間の断眠は心身に大きな負荷がかかります。
ラットを用いて長期間断眠する実験では、体重や活動性
は減少し、免疫機能も低下、微生物による感染が目立つ
ようになり、2週間足らずですべて死んでしまいました。
睡眠は健康の源です。睡眠時間を削っても健康で
質の高い生活が送れないのでは意味がありません。 …
突然ケアマネージャーから、「お父さんが脳の病気で
意識が混濁しているから、救急搬送します」
との電話連絡が入りました。
まだ受け入れの病院も決まらないままにタクシーに乗った
まま、いつでも移動できるように待機していたときには、
まだなんの感情も湧きませんでした。
まさかそれが最期になるとは思わず、けれども、どうしよう
もなく胸の内でざわつく思いを必死に打ち消して、
考えないようにしていました。
受け入れの病院が決まり、待ち構えていた私の前に、
入ってきた救急車からストレッチャーで降ろされた
父の顔は蒼白でした。
私はそこで初めて事態の深刻さを認識したのです。
左半身はすでに麻痺した状態でした。
まだ動く右手で父は、ものすごい力で私の手を
握り締めました。
あれは私に対してではなくて、生きることにしがみついた
のだと思います。
毎日、面会に通い、冷たくなった父の手足をさすり
続けました。
私たち父子がそうしているあいだも、入所の順番待ち
をしている人がいるので、父の介護老人保健施設を
解約しに行きました。
父がお世話になっていた介護老人保健施設も、
特別養護老人ホームほどではないにしろ、空きが
出るとすぐに埋まってしまうほど入所希望者が待機
していました。
ケアマネージャーが私の顔色を見て、「あなたが倒れて
しまうから」と、荷造りを手伝ってくれました。
病院へ戻り、父の傍へ行くとなにも話せず、ただ動くほう
の手で私の手を握り返しました。
その手の力がだんだん、だんだんと弱くなっていくの
を感じ、「本当に最期なんだ」と知りました。
思えば、父と手をつないで歩いた記憶もありません。
父は非常に不器用な性格で、私に対していって
ほしかった言葉も、人に対するねぎらいの言葉も
声に出していってくれたことが、生涯でただの一度も
ありません。
「ありがとう」も「すまんな」も全部全部入っていたよね。
娘に人生のお終いに、手足をさすってもらってうれし
かったよね。
父の呼吸が、徐々に浅くなっていくのを感じていました。
バタンと後ろ手でドアを閉めて、私は台所に急ぎます。
息を切らして自宅へ向かう坂を登る途中から、嫌な予感が
止まりません。
家に入ると、やはり父はいませんでした。私の予感は
的中し、ガスコンロの火が小さく燃えていました。
父の認知症を疑い出したのは、こんなことからです。
その前後にも、お風呂の給湯器のスイッチが入りっぱなし
とか、トイレや廊下の電気が長い時間つきっぱなしとか、
細かい事象はあったのですが、
高齢者の物忘れだと、いちいち注意はしませんでした。
でもガスコンロのつけっぱなしは、放っておいたら
大きな事故にもつながりかねません。
じつは私が在宅している時間にも、何度か見かけて
注意しました。本人に問いただしても、自分ではない
といい張ります。思いあまって、
介護経験のある親戚に相談したら、すぐにIHコンロに
替えるようにいわれました。
IHコンロの使い方を調べたり、対応の鍋を買ったり、
それも大ごとです。
こんな生活も長くは続かないであろうという予感がありました。
そのうち、父は買い物や通院、当時老人ホームに入居して
いた母の面会などから戻ってくるのが、かなり遅くなる
ようになりました。
父はときどき、どこかに出かけてズボンを破いたり、
足を擦りむいたりしていたようで、私が帰宅すると、
それをかたくなに隠すようになりました。
外見からは見受けられませんが、少しずつ、少しずつ
「父はおかしいのではないか」という小さな疑問の芽は、
やがて私の頭のなかで確信の樹に成長していました。
私の父はプライドが高い人だったので、なかなか弱音
は吐きません。近所の人の前でも普段通りに振る舞うので、
認知症といっても他人は誰も気がつきません。
よくメディアなどで、近所の人と情報を共有して高齢者
を見守るといっています。
それはできる人とできない人がいると私は思います。
高齢者はとても見栄っ張りで、他人に弱みを見せること
を極端に嫌います。父も同様で、私が他人に少しでも
家庭内のことをいうことは御法度でした。
でも結局、近所の人にもお世話になるのです。
ある日、朝まだ暗いうちから、家のなかに父の姿が見あたり
ません。以前にはこんなことはなかったので、私はかなり
焦りました。
2、3時間が経ち、朝市の帰りの方が見かけたと、電話
をかけてくださいました。
父が見つかった場所は、家からずいぶん遠かったので、
よくこんなところまで歩いてきたと感心するとともに、
私も父を迎えにいって連れて帰ってくるだけの体力が
不安で、タクシーを頼んで連れ帰りました。
朝から2人とも飲まず食わずでしたから、その日は
話す元気もありませんでした。
私は意を決して、次の日に父と話そうとしました。
父は昔の人のなかでも相当な頑固親父で、自分が
迷って外出して、帰ってこられなくなったことを
認めません。少し追い詰めると、
「今から線路に行って電車に飛び込んで死んでくる」
というのです。
じつはこのフレーズは、夫婦げんかをしたときに
父が昔から口にした言葉です。 …