貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・一考編

2022年05月21日 | 流れ雲のブログ


















ジャーナリストの筑紫哲也、悪役が似合う個性派俳優の
成田三樹夫、そして美輪明宏が同じ1935年生まれである。

筑紫と成田は既に亡くなり、いま、美輪だけが健在で、
艶然と微笑んでいる。



大晦日の「紅白歌合戦」で美輪が歌った
「ヨイトマケの唄」は、特に若者たちに衝撃を与えた。

美輪が作詞作曲のそれは、

 ♪父ちゃんのためなら エンヤコラ
  母ちゃんのためなら エンヤコラ
  も一つおまけに エンヤコラ

と始まる。
姉さんかむりで、泥にまみれながら、
土方として働く母親の姿に励まされたという歌だが、
美輪の圧倒的な存在感は、とりわけ若者の全身を
揺さぶったのである。

電気ショックを与えられたと言ってもいいだろう。

「あまりの反応のすごさに、逆にこちらが衝撃を
与えられました」と美輪は笑っていた。

歌い終わったとたん、ネットに火がついた。
悪口しか書かれない「2ちゃんねる」でも絶賛されたのである。

「いままで親不孝していたことに気づいて親孝行しようと
思いました」とか「金髪の変なオカマだと思っていました。
スゴイ人だったんですね。ごめんなさい」とか、
いろいろ書き込まれていた。

中には「バケモノ、死ね」といったものもあったが、
そうクサしている人を「そういう根性の曲がったやつには、
この歌の良さはわからんだろう」と批判している
書き込みもある。

「本当におもしろい時代になったものだ」と美輪は思った。
「ヨイトマケの唄」は民放で放送禁止になっていた。
NHKはOKである。

民間放送連盟の倫理委員会が、これを差別の歌とした。

貧しい家の子どもを汚いものと見ているとか、
ほとんど言いがかりにしか聞こえないような難癖
をつけられた。

「あなたがたの心の中に、そういった意識があるから、
差別に聞こえるんだ」と美輪は言い返したが、

差別を直視しなければ差別がなくならないことは
自明の理だろう。

長崎出身の美輪は東京に出て来るまで差別など
知らなかったという。

「私は幼稚園でも小学校でも、肌の色や目の色が違う
人たちと机を並べていたんです。

つまり、韓国人や中国人であったり、二代、三代前が
オランダ人、ロシア人といった家の子どもだったんですね。
そういったことが、ごくごく普通で、当たり前の環境
だったんです。

ですから、差別なんてことがあるのだとは全然知らなくて、
東京に来た時、なんて野蛮なところなんだろうと
思ったんです」

美輪は長崎に生まれて本当によかったと思った。

「私は人を見る時、容姿や容貌、年齢、性別、国籍、
服装、肩書といったことを一切吹っ飛ばしちゃうんです。

私の実家はお風呂屋をやっていたんですけど、
子どもの頃、お風呂場をのぞいてみると、

裕福な身なりの人であっても、裸になると雑巾の
しぼりたてみたいな気の毒な裸をしていたり、その反対に、
貧しい身なりのヨイトマケのおばさんが彫刻みたいな
素晴らしい身体をしているわけです」

こう語る美輪は、子ども心に「着ているものって何なんだろう」
と思い、人を見る時に、着るものを見ないで、その人の裸を
見る癖がついた。

本当の姿、中身を問う習性を身につけたのである。

忌まわしい戦争の時代への危機感
美輪は10歳で敗戦を迎えるわけだが、その直前に
軍人たちが、「みんな、玉砕の覚悟をしろ。

1億玉砕、天皇のために最後の1人になるまで戦って
死ぬんだ」と言うのを聞いて、変だ、と思った。

もし、1億玉砕で最後の1人まで死ぬということなら、
皇室も全部滅びて、宮城も丸焼けになってしまう。

それで美輪は、「1億玉砕というのは、天皇陛下も
皇后陛下も死ぬってことですか?」と尋ねた。

途端に、「馬鹿者!不敬である!」と怒鳴られたが、
美輪は、「不敬はテメエだろう」と思った。

「そう言ったんですか?」と私が聞くと、美輪は
「さすがに、そこまでは言えません」と笑った。

言ったら殺されるからだが、向こうがタジタジと
なったのは表情でわかったという。

石原慎太郎についてどう思うか、と水を向けると、
美輪は「特に話題にするほどの方でもないかと思いますが」
と文字通り一笑に付し、

「いま、大阪市長の橋下徹という人の子分になっていますよね。
まあ、どちらが親分で、どちらが子分かはわかりませんけど」
と私がさらに尋ねると、

「佐高さん、何か私に言わせようとしていませんか」
と逆に問い返され、「自分の言いたいことを、美輪明宏が
言っているというふうにしようという魂胆がありませんか?」
と叩き込みを食わされて、私が「いえいえ」と否定すると、
「けれども、そうはいきません」と終了のゴングを鳴らされた。

話題を転じて、「あの、美輪さん、ちょっと危ない話なんです
けども」と切り出したら、「佐高さんのお話は、いつも危ない
お話ですよね」と笑われたが、

いま、暗殺して世の中が変わるような政治家はいない。
もちろん、暗殺は否定します。…














暴力団の収入源 「ヤクザの家庭で生きる子供のことなんて、
社会は知らんぷりだよな。

ヤクザの親によって、どんな虐待を受けているのか
話題にさえ上らない。

むしろ、ヤクザの子はヤクザの子だって蔑まれるだけだ」

これは暴力団構成員の家庭で育った子供が、
語った言葉である。

現在の日本には、暴力団の構成員、準構成員合わせて
25900人いるとされている(警視庁、2020年度)。

暴力団は暴対法や暴排条例によって徹底的に
締め付けられ、不動産取引や金融といった合法的な
ビジネスにかかわるどころか、銀行口座を開設する
ことさえできない状態にある。

そのため、近年はアングラ化が進み、大半の暴力団関係者
が違法薬物の密売によってなんとか収入を得ている状態だ。

昭和50年代には暴力団全体の総収入のうち半分が
違法薬物とされていたが、現在はさらに割合が
高まっているはずだ。

子供たちの多くは、親が薬物を密売し、自らもそれに溺れ、
人格や家庭が音を立てて崩壊していく様を目にしてきた。

千葉県に、赤塚未知(仮名)という女性がいる。
実父が暴力団構成員であり、これまで彼女が産んだ7人
の子供の父親全員が暴力団構成員だ。

母親も依存症だった

未知の人生は生まれた時から壮絶だった。
母親は中学を卒業してすぐに不法にソープランドで
働きだした。

その店の常連客だったのが、関東に本拠地を置く
指定暴力団A会の二次団体に属する男だった。

彼は地上げや競売にかかわる傍らで違法薬物の
密売をシノギにしており、母親も依存症だった。

母親はこの男と付き合いだし、16歳で未知を妊娠。
男が別の女性と結婚して家庭を持っていたために、
まとまった養育費だけもらって出産した。

だが、母親は生まれてきた未知を育児放棄し、
死ぬ寸前にまで追いやる。

見るに見かねた暴力団構成員の男の方が引き取って
家に連れて行った。

だが、男の妻は、愛人との間に生まれた未知を憎み
虐待をくり返す。

未知は施設に送られることになった。

数年間、未知は施設で暮らすものの、虐待を受けて
いたせいか、言動の荒れが著しく、教護院
(現・児童自立支援施設)へ送られる。

13歳でそこを出た後、父親の実家へ引き渡されるが、
そこで再び義母からの虐待、義兄からのレイプの
被害に遭い、家出を決意した。

ソープランドに売られた

そんな彼女が頼ったのが、同じ町を拠点にしていたA会
の違法薬物密売組織だった。

彼女は先輩のつてでA会の構成員たちが暮らしている
マンションに身を寄せた。

このマンションは、アヘン窟のような場所だった。

A会の構成員たちが売りさばく違法薬物を目当てに
毎日何人もの人間がやってきてそれらを楽しみ、
思い思いの部屋で性行為にふける。

そんな客の一人が、未知を育児放棄して手放した
母親だった。母親は自分の娘がこのマンションで
暮らしていることを知ると、心配するどころか、
「おまえもやれ」と言って違法薬物を勧めた。

そしてあろうことか、彼女をクスリ漬けにした上で、
自分と愛人の借金のかたにソープランドに売った
のである。

腹を痛めて産んだ娘さえも、金づるとしか思って
いなかったのだろう。

未知はしばらく店で働いた後に東京へ逃げたものの、
13歳の女性が自立して生きていくことなどできる
はずがない。

彼女はテレクラを利用して体を売るようになり、
寂しさを埋めるために、暴力団構成員から違法薬物
を購入して打ちつづけた。

気がつくと、自分の周りにいるのは、みな
暴力団構成員になっていた。

その後の彼女の人生はあまりにみじめだ。

13歳から20歳までの間に3度も少年院へ送られ、
成人になる頃には365日違法薬物をやっている
状態だった。

未知は言う。「街はA会の縄張りになっていて、
かならず誰かがバイ(売人)をやってるんだ。

だから、そいつと男女の関係になればクスリをただで
分けてもらえる。それで逮捕されるまで遊びつづける。
そのくり返しだよ。

年少やムショを出れば、前の男は捕まっていて
いないけど、別の男がバイをやってるんで、
またそいつとくっついて遊ぶんだ」…

後編は、この未知が生んだ次女の告白。