貧者の一灯 ブログ

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妄想劇場・森羅万象

2021年06月30日 | 流れ雲のブログ










歌:木の実ナナ
作詞阿木燿子:作曲宇崎竜童

ピアノの音がやんで 
窓に人影がうつる 操り人形のように 
思わず来てしまった・・・ あなたの家
幸せが カーテンを 揺らしてゆく・・・
アマン それだけなの? アマンあなたにとって
アマン 私とのことは  アマン遊びだったの?

食器の触れ合う音が
かすかにここまで響く 幼い子供の笑顔と
夕餉の気配する・・・  あなたの家
幸せが隅々にあふれている
アマン それだけなの? アマンあなたにとって
アマン 私とのことは  アマン遊びだったの?









「人って、あっという間に死ぬんですねぇ……」  

外来で、U治さんがボソッとつぶやいた。その言葉に、
私は黙ってうなずいた。同席していた奥さんも沈痛な
表情を見せた。

U治さんは54歳の男性。「うつ病」の診断で、ずっとこの
外来に通院している。

母のがんと職場トラブルが重なり「うつ」に  亡くなったのは、
彼のお母さん。82歳だった。

U治さんが8歳のとき、父親が交通事故で亡くなり、
その後は、母一人子一人で共にがんばってきた。

毎日、つらいことばかりだったけれど、 少し暮らしに余裕が
できた時には、母子で旅行に出かけたり、ささやかな外食を
楽しんだりして乗り切ってきた。  

そのお母さんが、子宮がんと診断されたのは5年前。
大きな手術を乗り切って、抗がん剤治療などを続けてきた。

しかし、徐々に衰弱がひどくなって、2週間前からは肺炎に
かかり、先日、息を引き取ったのだ。  

U治さんの嘆きは深かった。職場でのトラブルをきっかけに
不眠になったのも5年前。母親のがん宣告と重なり、うつ病
はそこから始まったのである。  

手術を受ける病院の手配や入院の準備と手続き、
抗がん剤の副作用への配慮や看病……。

自分のうつが少し落ち着いてくると、U治さんは母親の闘病
のために全力を尽くした。奥さんも一緒になって、
よくがんばってくれた。  

それだけに、お母さんが亡くなったときのショックは
大きかった。「おまえを残しては死ねないよ」と言い続けて
きた母の死を、彼が受け入れるには、しばらく時間が
かかりそうに見えた。  

「今回はお薬を少し増やしましょう。寝る前の薬をきちん
と飲んで、体をよく休めるようにしてください」  と二人に
告げて、私は、その日の診察を終えたのだった。


「朝方、首を吊っちゃいました!」

「先生、やられちゃいました!」  と、奥さんから電話で
連絡が入った。

お通夜と葬儀を終え、遺品の整理のために実家に戻り、
しばらくたった頃のことだった。  

四十九日でお母さんの 冥福めいふく を祈ったあと、
U治さんは、生前、お母さんが過ごした部屋で首を吊った。
母親が亡くなったのと同じ時刻、明け方のことだった。  

幸い、使ったひもが思ったより弱くて、そのまま床に
転げ落ち、命に別条はなかった。

大きな物音に驚いて駆けつけた奥さんが、腰をねじって
動けないでいるU治さんを発見したのだ。そのまま
救急病院に入院して、治療を受けることになった。

久しぶりに奥さんと外来を訪れたU治さんは、すっかり
恐縮していた。 「先生にまでご心配をおかけして、
すみません。

死ぬこともできないなんて、本当にダメな人間ですよね」  
私はうなずきながら、こう答えた。  

「そうお思いになるのは当然でしょうね。でも、もう一度、
お母さんの身になって考えてみましょう。お母さんは、
あなたが後を追ってくれて、本当にうれしいでしょうか? 

あなたがお母さんのことを心配するのと同じように、
お母さんもあなたのことを心から心配していたと思います。

お母さんの本当の願いは、あなたが元気で生きていって
くれることだと思うのですが、どうでしょう?」  

U治さんは、しばらく黙って考え込んだ。  
「母はいつも、私のことを心配してくれていました。
そんな母が亡くなって、私は心の支えを失いました。

『母を一人で死なせたくない』。そう思っていました。
でも、先生のおっしゃった通りかもしれません……。

母は『私と一緒に死ぬんじゃなくて、がんばって生きて
ちょうだい』って言うつもりで、私を生かしてくれたのか
もしれませんね」  U治さんは少し涙ぐみながら、
そう話した。


妻の思わぬ「告白」に目を丸く…  

その後の診察では、彼の表情も少し落ち着いてきていた。  
「最近は薬のおかげでよく眠れるようになりました。
最後まで生きようとしていた母のためにも、まだ死ねないなぁ、
と思えるようになったんです」  

横から、奥さんがホッとした口調で口をはさんだ。  

「言っちゃぁなんですが、大変なお 義母かあ さんでしたよ。
ずっと、この人にベッタリで。私なんか『息子の女中』扱いで、
『嫁いびり』もひどかった。どんだけ恨んだかしれません。

この人も、 私のことが好きで結婚相手に選んでくれたのだ
と思っていたら、『実は、お母さんが気に入ったから』だって
言うんです。

嫁さん候補を次々に連れてきて、母親が『うん』と言うまで
面接を続けたなんて、 ホント、人をバカにしてますよね。
私は心の中で、いつも『バカ親子』って呼んでましたよ」  

U治さんは目を丸くして、「そうなの?」と尋ねた。
奥さんは笑いながら、「今だから話せるけどね」と続けた。  

「だから、お義母さんのことはずっと恨みに思ってました。
この人が必死になって看病するのも、イヤな気分でした。

でも、ある時ふと、『この人は、優しすぎるんだ』と
思ったんです。

私が病気になった時も、やっぱり一生懸命看病してくれた。
不器用な手つきでおかゆを作って、『大丈夫?』って心配
してくれた。

会社のことだって、ミスをした部下をかばって自分が悪者
になったから、 責任を取らされるハメになった。誰に対して
も優しすぎる人なんですよ。

それでも、お義母さんの後追いをしようだなんて、やっぱり
腹が立ちましたけどね……」  

U治さんの状態が落ち着いたせいか、奥さんはいつになく
上機嫌にそう話した。  

「だからこれからは、私だけに優しくするのよ!」  
奥さんは、U治さんの服のそでを引っ張りながら、そう言った。
彼は、苦笑いをしながら、深くうなずいたのだった。

author:梅谷薫(心療内科医)
















「幸運の女神には前髪しかない」とよくいわれるように、
チャンスは通りすぎてしまったら、もうつかむことは
できません。しかも、通り過ぎるのは一瞬です。

仕事やプライベートでも、「優良な会社の転職情報を
見つけたけど、いまの業務が忙しすぎて応募できなかった」

「素敵な合コンの誘いがあったのに、疲れすぎて参加
できなかった」など、時間や体力に余裕がなかったせいで
チャンスを逃がしてしまうことは往々にして起こりえるでしょう。

また、ピンチになったときも、余裕がなければ冷静に対処
できないし、いざというときにチャンスをつかめるかどうか
というのは、

普段からまじめにコツコツ働いているかといって人生が
変わる可能性はたいしてありませんが、大きなチャンス
をつかめれば一発逆転ができます。

多くの人は「がんばれば、なんとかなるはず」と考えて、
両手いっぱいにあふれるくらいの仕事・予定を詰め
すぎていますよね。

けれど、一瞬で通り過ぎてしまうチャンスをきちんとつかめる
ように、片手はつねに空けておくくらいの余裕をもつことが、
人生を送るためのコツです。

一所懸命に毎日、コツコツと勉強したり、仕事をすることを
否定でするわけではない。

凡人として生きる道、すなわち「王道」は、「凡を極めて
非凡に至る」ことだからです。

誰もができる極めて平凡なことを、誰もがマネできない
くらいに長く続け、極めることこそが王道です。

しかし、そうであったとしても、誰かに急に、オファー
(頼まれごと)を受けたり、「今からすぐにきてくれ」と
言われたり、「今晩、一緒に食事をしよう」と誘われたり
したようなとき、

その頼まれごとや誘いを受けることで、運命の女神が
ほほ笑んでくれるかもしれない。

逆に、そういう誘いをいつも断っている人は、
「あの人は何回誘っても来ない人だから」と誘われなく
なるのが普通だ。

気持ちよく誘いを受けない人、断ってばかりいる人には、
チャンスも来ないということだ。

なぜなら、運は人が運んでくるものだから。
日々どんなに忙しくても、突発的な他人からの誘いを
受ける余裕だけは残しておきたい。

片手はいつも空けておきましょう。・…