貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歌物語

2022年09月07日 | 貧者の一灯






     





清水博正は2007年3月、NHKのど自慢の
チャンピオンが競い合うグランドチャンピオン
大会で優勝している。

いつもの日曜日のように書き物をしながらテレビ
ののど自慢を歌だけ聴いていた。

えっ、と思った。男なのか女なのか、
若いのか中高年なのか、想像力を破壊
してしまう声だ。

画面を見て驚いた。詰め襟の高校生。
神野美伽の「雪簾」(作詞荒木とよひさ作曲
岡千秋)という難しい歌を、神野美伽とは
まったく違う趣で歌っている。

群馬県立盲学校の高校1年生で16歳だという。
ゲスト歌手の堀内孝雄の涙を拭う仕草が見えた。

この時の司会者が旧知の仲の宮本隆治だった。
チャンピオンがまだ発表にならないうちに、
宮本にメールした。

「いま歌った高校生をプロ歌手にするのが
これからのあなたの仕事」。たしかそんな
内容だった。

不思議な声だった。

上手いとか綺麗な声とか、一般的な歌に
関するほめ言葉がどれも似つかわしくない。

さびの部分の高音がまるで花火のように
音が枝分かれしているかのように聴こえる。

枝分かれした声が互いにハモってるよう
にも聴こえる。こんな声は教えてもらって
出せるものではない。

声そのものが哀しみに溢れているのだ。

だからわずか1分足らずの歌唱で、ゲスト
の堀内孝雄もテレビの前の数えきれない
ほどの視聴者が泣いたのだ。

それにしても「雪簾」の歌い出しの
「赤ちょうちんが雪にちらちらゆれている 
ここは花園裏通り」という歌詞に高校生
が歌っているからといって、何ら違和感
を感じなかった。

そればかりか、屋台で酔いつぶれる
中年男の姿が浮かんでくるから不思議だ。
とても16歳の歌声とは思えない。

例えばデビュー2曲目の「忘戀情歌」の
声などは苦労と恋の苦しみでうちひし
がれた女の悲鳴に聴こえる。

清水博正の声は尺八のようでもあり、
津軽三味線のようでもある。

こんな声の歌手は彼の他にはいない。
森進一とも矢吹健とも違う。

作曲家の弦哲也は「彼は日本の音楽
の歴史に名前が残せる歌手になる
だろうと信じている」と惚れ込んだ。

清水博正の歌手デビュー曲「雨恋々」の
作詞家たかたかしは「彼の声を聴いて
無性に暗く哀しい歌を作りたくなった」
と語っている。

これほどの歌唱力のある清水博正でも、
世間で一流だと思われるような紅白歌
合戦出場歌手になれていない。

誰もが彼の歌唱力を高く評価している
のにである。

紅白歌合戦。これまでもたくさんの
有名歌手が紅白の舞台裏で悲喜劇
と格闘してきた。

島倉千代子も、紅白辞退宣言をしたのち
でさえ、10月ごろから情緒不安定になるの
が常だった。

時代は変わったのだから、いまの時代、
かえって紅白歌合戦出場を目指したり
しない方がいいと思っている。

出場出来るか否かの基準が歌謡界の
政治力学にあるように見えるからだ。

出ないことが一流の証という風潮が出て
きたことは喜ばしい。

「清水君 3番まで歌詞を覚えている歌
何曲ぐらいある?」と尋ねたことがある。

普通のカラオケファンは、いつも歌って
いる歌でさえ、歌詞を見ないと歌えない。
「250くらいかな、300かな」

ある時彼から電話が掛かってきた。
どこから? 青森。
誰と?1人です。

いまから東京に帰りますが、東京駅の
丸の内口中央口で、待ち合わせませんか? 

半信半疑でたどり着いたら、さきに彼は
立っていた。

不思議がる私に「口と足さえあれば、どこに
でも行けます」と言ってのける。スマホで
メールを打つと、すぐ返事が来る。

目の不自由な人たちにパソコンやスマホ
の使い方を教えているとは聞いていたが、
驚くべきレベル、驚くべき努力だ。

他の歌手の新曲を彼はほとんど歌える。

無名の歌手も含めて膨大な量のCDを購入
して聴いているのだ。清水博正はたくさん
の名曲をカバーしている。

美空ひばりの「みだれ髪」はもともと彼の
歌ではなかったかと思ってしまうほど、
自分のものになっている。

そして驚くほどたくさんの昔の名曲を
知っている。

彼の高音はファルセット(裏声)なのか地声
なのか判然としないが、いずれにしろもの
すごい声だというのは隣で聞くとよくわかる。

清水博正の声でなければ表現できない歌が
あるはずだ、とずっとそう思っている。

清水博正
生年月日 1990年10月16日
出身地 群馬県渋川市

幼少の頃から祖父母の影響で演歌を聴いて
育ち、いつの間にか、こぶしを回し歌うようになる。
小学生になり地元群馬の日帰り温泉のカラオケ
ステージで、演歌を披露するようになると、その
ずば抜けた歌唱力であっという間に地元では
有名な存在になる。

そんな中、清水が歌う「雪簾」に感動した
歌仲間が、NHK「のど自慢」に応募し、
16歳でグランドチャンピオンを受賞する。

その際、審査員であった弦哲也氏、
たかたかし氏に見出され高校生
演歌歌手としてデビュー。


作詞家・たかたかし コメント

歌手の存在は、まずその声によって
際立つ、と私は思っている。

全身から声を絞りだすようにして歌う
清水博正君の歌は、闇の中に光を求めて
彷徨いつづけてきた彼の魂の叫びであり、
歌われる言葉は「言霊」となって聴く人の
心に立ち現れる。

それは、尋常ではない。 

徒然草に「よろずの道の人、たとひ
不堪なりといへども…」とある。

心の奥深いところから発せられる彼の
歌は、尋常でないというそのことによって、
彼が選ばれてこの世に生まれてきたこと
を証明しているのだ。


作曲家・弦 哲也 コメント 

毎年、『NHKのど自慢グランドチャンピオン
大会』は、未完の音楽性、そして個性、
人間性をそのまま歌にぶつけてくる出場者
に出逢えるのが楽しみだ。

そうした期待を胸に審査員席に着く。

いい歌が続く。六番目に登場したのが
清水君だった。

その歌を聞いて鳥肌が立つほどの感動
を覚えた。もちろん歌の上手さもあるが、
十六歳の盲目のその少年は十六年間の
人生を総べてぶつけてきている、

喉で歌っているのではなく全身で歌って
いるのだ。 まるでその日その瞬間が燃え
尽きてもいいと思える様にも聞こえた。

家に帰り寝付かれないでいると、同じく
審査委員をされていた作詞家の
たかたかしさんから電話が入る。

「弦ちゃん、俺も眠れないんだよ
、チャンスがあるなら清水君に歌を
書きたいよ」と。

若い遊び盛りの十六歳の少年達は将来
について「まだまだ時間は十分あるさ、

そのうちに」と夢を語りたがらないが、
清水君は「僕の歌を同じ様に目の不自由
な方や、お年寄りの方に聞かせてあげたい、
プロになりたい」と熱く語る。

この度、彼のために書いた曲は大人が
感じる恋歌だが、清水君でなければ
出せない世界だ。 …









「躁うつ病は精神病じゃないね、あれは・・・」 

僻地医療ばかりを30年もやっているという、
その国立尾岱沼僻地診療所の医師は
青いジャンパーの襟を立てながら呟いた。  

名古屋で38℃を記録した真夏の日に、
私は航路、女満別に飛び、そして数日後
にこの別海町尾岱沼潮見町にやってきた。

この地域の厳冬は、流氷が漂着する。

真夏なのに、もう夕刻になるとまるでミルク
のような白く冷たい霧がゆっくりと西へ進み、
その白霧は野付半島を越え、僻地診療所
の宿舎を包み込んで当幌川まで侵入していた。

砂の岬が伸びるオタエトウの夏は寒い。
白霧が海岸から流れてくると真夏でも15℃
を切り、セーターの上に厚手のジャンパー
を羽織る。

「普通に診るとここは精神病が多いん
だけどね、それが変なんだ・・・

不思議だね、ここは・・・躁うつ病も
治るんだ。半年だね。」  

夕暮れの薄闇の中を女の白く細い指が細かく
動いている。そしてその指と同じ乳白色の
長方形の皿の上に北海シマエビが、その
淡朱の体を横たえていく。

どうしてあれほど女の肌は白く透き通っている
のだろうか?

漁師が暇を見てこの僻地診療所の医師に
獲物を投げ込んでくる。それをこうして
女の指が裁いているのだ。

「どうも躁うつ病というのは脳神経の伝達物質
を使いすぎで消費に供給が追いつか
ないらしい。

だから何も考えさせないで栄養を補給して
半年も経つとすっかり直る。」  

そうか、私もその僻地の医師の言うことに
思い当たる。躁うつ病とは躁状態と鬱状態
の繰り返しと習った。

それはとりもなおさず脳神経の伝達物質が
多いときと少ないときという意味でもある。

なぜ、躁になるかという原因は人によって
違うだろう。

あまりに強い集中力がある人はその時に
脳神経の間に行き交う伝達物質を使い切る
だろうし、

もともと脳の活動がそれほど盛んではない
のに心配事や集中して仕事をしなければ
ならないような環境に陥って無理矢理、
脳の伝達物質を多く使うこともある。  

そんなとき、栄養が十分にあって伝達物質
の合成能力が高ければ良いが、人によっては
それもままならないことがある。

そして鬱状態に移行する。この状態が続くと、
本人も周りもこれは精神病と思いこんで栄養
を補給したり、のんびりしたりしようとはしない。

悪いことに鬱状態を克服しようと更に脳を
使うと、伝達物質が不足してますます状態
が悪くなるという具合だ。

「僻地医療というのも面白いね。
ゆっくり患者さんを診察できるだろう?」
と私が聞くと、

「そういう意味もあるが、急患なんかも
あるしね。その時には札幌にヘリで運ぶ」  

その僻地医療に一生を捧げた医師は、
かつて外科と産婦人科を修得して僻地
に向かった。

何が彼を僻地医療に向かわせているの
かは知らないが、彼の存在のおかげで
多くの命が救われただろう。

定年になった今も毎日朝の6時になると
診療所に行って院長室で勉強をし、
いったん宿舎に帰って朝食を採ると
9時からの診察を行う。

人間が僻地で生活をしている以上、そして
人間は故障するのだから、僻地にも医師は
必要である。  

次の料理が冷気の中で消えそうな炭の上
に乗せられる。それにしても白い肌だ。

透き通るような指・・・ 

尾岱沼潮見町の小さな漁港に町営の
温泉がある。この地方は断層の上に
乗っていることもあって、温泉が多いが、
そのほとんどがアルカリ泉である。

真夏でも夕暮れには20℃を切るこの地方
には温泉はありがたい。

白霧に包まれて冷え切った体をその
アルカリ泉が暖めると、肌が溶けていく
ようである。  

アルカリ泉は皮膚を腐食させるから肌は溶け、
つるつるになる。

そして、そのアルカリは肌の内部に侵入して
組織を破壊する。これが人間の作った
化学薬品ならこれほどの症状が出たら、
入院かも知れないが、

自然と伝統に支えられた障害は
障害ではない。  

このアルカリがあのような白く見事な
肌を作るのだろう。

でも、アルカリは肌を侵すだけだろうか?

肌から体内にしみ込んだアルカリはやがて
神経に到達するに相違ない。

この地方に多いという僻地の医師の言う
神経の病はどこからくるのか・・・

この寒い一夜を一人で過ごすと思うと、
なおさらのように湯と肌が恋しい。  

やがて外にいられないほど寒気は鋭くなり、
私は中に入って寝床についた。

ヌプケウシは不思議なところだ。

鬱病はこの地方に独特ではない。
むしろ都会の喧噪の中にこそ、
発祥の原因があるはずだ。

それにしてもあのアルカリ泉は・・・
私は考えをまとめることができずに
まどろんだ。  

オタエトウの夏はもう幻想の中に
消えていきそうになっている。 …