歌:原大輔:作曲:三木たかし:作詞:水木かおる
コートなしでは 寒い日ぐれ 風に枯葉が 舞いちる
霧にしめった 肩を抱かれ さまよう 白い街角
忘れないわ あなたのこと 私 泣いてなんかいないわ
忘れないわ とても楽しい きれいな 夢をくれたひとだもの
私 あなたに めぐり逢えて ほんとによかった ありがとう
テレサテンさんが原大輔さんに贈った曲
私が子供の頃、中学1年生ぐらいの時だったと思います。
母が突然、何の前触れもなく、ちょうど肩甲骨と肩甲骨
の間の背中の部分に激痛が走ったように痛いといい
だしたのです。
病院にいっても結局原因が分からないままでした。
母はそれからというもの、原因不明の背中の激痛に
苦しむ日々を送っていました。
おじいちゃんに背中のその部分をもんでもらって
いるのをよく見ていました。
それから半年ぐらいたっても、母の背中の痛みは原因
不明のままいっこうに良くはなりませんでした。
そんなある時、私は夢の中で母の歯が突然抜けるという
不思議な夢をみました。
本か何かに書いてあったのですが、歯が抜ける夢は
人が死ぬ時にみる夢だということがかかれていました。
それを見た時はゾッとして、母が死んじゃうのかなぁと
とても悲しくなったのを覚えています。
しかしその瞬間、私はふと何を思ったのか自分の机に
むかって座り、おもむろに白い自由帳を取り出して
紙を人型に切り抜き始めました。
そして切り抜いた後、その人型のちょうど母が痛がって
いる背中の部分を、ボールペンでグイグイと塗り
つぶしました。
まるでそこに何か悪い者がとりついていて、それを
やっつけるようにエイエイといった感じで黒く
塗りつぶしました。
そして何を思ったのか、その人型を当時住んでいた
マンションの8階の非常階段から外に向かってエイッと
投げ捨てたのでした。
その人型は風に乗ってどこかにいってしまいました。
なぜ突然こんな行動をとったのか今でも不思議なのですが、
その時はそれよりも投げ捨てた人型の紙が下の階のどこか
にひっかかってしまい、ちゃんと飛んで行ってないの
ではないかと、しきりに不安に思っていたのを
覚えています。
もしちゃんと飛んでいってなかったら儀式に失敗して
しまう、ということを恐れていたかのようでした。
それから数日後、母が背中の例の部分が痛いといって
うずくまっていました。
私はその背中の痛い部分をさすさすとさすってあげて、
痛いの痛いの飛んでけ~としきりにココロの中で
念じていました。
その時です、母が突然「あっああ~」とかいって
何かを追うようにベランダの方へ歩いていき、そのまま
窓を開けてベランダから外を眺め始めました。
そして驚くことに、その瞬間から痛みが消えて
なくなったというのです。
後から母に聞いた話では、突然背中の激痛が走る部分
から白いふわふわしたものが出てきて、それがひょろ
ひょろとベランダから窓の外に向かって飛んでいった
というのです。
そのベランダの方角は、私が人型の紙を投げた非常
階段と同じ方角でした。
私はそのとき「そうかあの人型はちゃんと飛んで
行ったんだ」と思ったのを覚えています。
よく、雑草を薬だよとか言って飲ませると病気が
治ったりするというのを聞いたことがあります。
思い込みで治癒能力が高まるということはあるかと
思うのですが、私が行った「儀式」は母はもちろん、
他の誰にもいっていないのです。
そもそも、私が行った儀式で母の痛みが治ったの
かもいまだに謎です。でも、あの時は純粋に母に
良くなって欲しいと思っていたので、それが神様
に通じたと思うようにしています。・・・
介護する息子は増え続けている
家族のあいだに何が起こるか、家族のなかで何ができる
かは、人口や経済を含めた社会の大きな流れの影響を
もろに受けている。
高齢の親を誰が・どう看るか、という「親の介護」問題も、
社会の変化を受けて様変わりしてきた。
その変化の一つが、親を介護する息子介護者の増加だ。
厚生労働省の『国民生活基礎調査』によると、同居の
「家族」から主に介護を受けている高齢者のうち、その
「家族」が息子であるケースは16.3%。
一方、娘や義理の娘から主に介護を受けている高齢者は、
それぞれ19.1%、17.8%である。
子世代が介護しているケースのなかで、息子介護者は
もはや少数とはいえない。 ちなみに、この数字は同居
介護に限った割合だが、日本では、主たる介護者が
同居しているケースがいまだに過半数(6割以上)を
占めている
息子が介護するのは独り身だから?
こうした息子介護者の増加を、シングル男性の増加と
結び付けたがる向きがある。息子の妻による介護が
「ふつう」だったこれまでを念頭に、「息子介護者が
増えたのは、妻に親の介護をしてもらえない独身男性
が増えたからだ」
介護する家族の婚姻状況によると男性の「老親介護者」
の50%は、有配偶者である。
対してシングルの方はというと、一度も結婚したこと
がない男性だけでなく、離別シングルや死別シングルも
あわせて、ようやく有配偶者の割合に拮抗する。
「息子介護者が増えたのは、独身男性が増えたから」と
いうには、既婚者の割合が「多すぎる」ことに気が
付くだろう。
つまり、結婚していようといまいと、自分で自分の親を
看る男性が増えたからこそ、息子介護者はここまで娘や
義理の娘の割合に「引けを取らない」程度まで増えた、
ということだ。
そもそもシングル男性が増えたといっても、男性の
生涯未婚率(50歳までのあいだに一度も結婚したこと
のない人の割合)は23.4%(国立社会保障・人口問題
研究所による2015年国勢調査データの分析より)。
シングルは少数派のままだ。だとすれば、
「結局は妻が何とかしてくれる」は変わらない では、
かつては妻に「任せる」のが「ふつう」だった親の介護を、
既婚の男性も自分でするようになったのだとしたら、
これは「自分の親は自分で看る」という意識が男性に
浸透した結果なのでは、と思う人もいるかもしれない。
だが、男性は妻に「手伝って」もらうことを前提に親の
介護を考えているのでは、と指摘している。
というのも、統計解析の結果、妻に専業主婦であることを
期待する男性ほど、「親の介護をするつもりがある」
と答える確率が高くなる、ということがわかったからだ。
親の世話は「嫁」がいる兄弟のところに回るものだと
思っていた、と彼らは口を揃える。
親が倒れて初めてわかる「誤算」
「結局は妻が何とかしてくれるはず」という期待が
あるから、ひとりで親を看ることになった既婚の息子
介護者から、「正直、こうなるとは思ってもみなかった」
という本音を聞くことは少なくない。
親の住まいが近所にあるほど、妻が「関わって」くれる
ことに疑いをもたなくなっていくし、まして同じ建物、
同じ敷地に住んでいるのであれば、自分の親を看ることに
妻は同意している、と確信してしまう。
付け加えておくと、彼らのほとんど全員が、事前に妻の
意向を確認したり、親の介護について話し合ったりした
ことがなかったそうだ。
つまり、自分の思惑と妻の意向はズレていたのだ、
という事実に彼らが直面したのは、親が実際に介護を
要するようになってからだった。 ・・・
困った人たちに救援の手を差し伸べる「おせっかい協会」
会長の髙橋恵さんの活動の原点は、壮絶な幼少期の
体験にあります。
父親が戦死した後、高橋さんの母親は女手一つで幼い
子供たちを育てますが、 母親が手掛けていた事業は破産。
高橋さんの一家は極貧生活を強いられた挙げ句、
離ればなれになってしまいます。
そこで高橋さんを待っていたのが、辛い虐めでした。
妹に続いて姉と私も離ればなれになり、知り合いの家に
預けられた私を待っていたのが壮絶ないじめだったんです。
その家のおばあさんから四六時中小言を言われ、
否定され、どこにも居場所がないように感じました。
何か失敗して手をついて謝っても、許してくれませんでした。
私はこのおばあさんが怖くて怖くて仕方がありませんでした。
涙をいっぱい溜めてはトイレでよく泣いていましたね。
「お母さんや姉、妹はどうしているだろうか」と思っても、
母の苦労を考えると耐えるしかありませんでした。
ある日、トイレの小窓から鳥が飛んでいるのが
見えたんです。
「鳥は自由でいいなぁ」と思った瞬間、壁もない垣根もない
ところで自由に飛べる鳥たちのように、私もどんな時も
プラス思考で、後を振り向かないで自由に生きていこう
という思いが心の底から湧き上がって、胸が高鳴りました。
(中略)
そして、私がお世話になって10年以上経った時、
そのおばあさんが危篤になったという報せが届きました。
最後に会っておきたい気がするけど、どんな話をしたら
いいんだろうと思って病室に入りました。
おばあさんはすっかり弱々しくなっていて、最初にこう
おっしゃるんです。 「当時はすまないことをしましたね」って。
私のことをずっと気にかけてくれていたと分かった瞬間、
それまであったわだかまりが消えていくのを感じましたね。
その時、思い出したのは鹿児島の知覧特攻平和会館に
展示されている 相花信夫さんという十八歳の特攻隊員が
母親に宛てた遺書でした。
その母親は継母で、相花少年は最後まで「お母さん」と
呼べなかったことを詫びる内容です。
「母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。
今こそ大声で呼ばして頂きます。
お母さん お母さん お母さんと」と
締め括られた遺書を見て私は号泣したんです。
私がお世話になったおばあさんもきっと、謝らないでは
死ねないという気持ちだったのでしょう。
この2人を通して人間は死ぬ前にどうしても言っておきたい
ことを言えないでいると あの世に行けない、死ぬ時に
その人の本心が現れると気づかされました。
「許す」ということが、いかに人生において大事かと
いうことをです。 ・・・・