ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(17-2:坂本・碓氷峠) 15km  2013.5.17   


(写真は、「熊出没注意」の看板)
いよいよ、中山道の中で、和田峠と並んで最大の難所
「碓氷峠越え」を目指します!
坂本宿を抜けて、国道を少し歩くと、写真の林道始点の
標識があり、旧中山道はここから山道に入ります。





やがて、階段状の道を上ると、直ぐに、先ほど別れた国道
を横切ります。

そして、その国道の脇に、大きな「中山道入口」の看板が
あり、その横にバス停風の休憩所もあります。

碓氷峠の頂上の熊の神社まで、8キロ余りです。
いよいよ峠越えのスタートです!!

坂本宿の峠の湯で、露天風呂に入り、ソフトクリームを
食べたりして、随分と寄り道をしてしまったので、スタート
時刻がお昼になってしまいました・・・
あまりノンビリしてると、道に迷った場合、山道で日没です・・・

歩きだすと、いきなり、”熊出没注意”の標識が!!
しまった!
熊避けの鈴をリュックに入れるのを忘れた!

仕方ない・・・、ラジオを鳴らしながら歩こう・・・。
しまった!!
ラジオもリュックに入れるのを忘れた!
認知症の始まりか・・・
仕方なく、枯れ枝を拾って、石を叩いて音を立て、下手な
歌を歌いながら進みます・・・
トホホ、情けない・・・!


中山道の入口から、いきなり急な登り坂が始まりました!

それでも、しばらくすると、いったん緩やかな道になり
ました。



横川関所の出先の番所で、ここで関所破りを見張っていた
という「常峰番所跡」の説明板がありました。
常峰番所跡を過ぎると、道は、石がゴロゴロしている崖状
の急な登り坂が、延々と続きます。

激しい汗が吹き出し、だんだんと息が切れて苦しくなって
きました!
スタート早々、早くもへばってきました・・・
この急な上り坂には、「刎(はね)石坂」の名前が付いて
いるみたいです。
しかも、狭くて険しい山道の横は、急斜面で、断崖絶壁
です・・・・
当初碓氷峠越え予定だった先週の土曜日は、雨だったので
峠越えを中止しましたが、止めて正解です・・・
雨の日だったら、ぬかるんで足を滑らせ転落死かも
でも、こんな登り坂が、あと7キロも続くなら、晴天でも
ギブアップです・・・・


その急な坂の途中に、写真の「柱状節理」という噴火で形成
された壁がありました。
これは、山の斜面が削り取られて、柱状の岩盤が露出した
のだそうです。

柱状節理から先も難所だからでしょうか、石仏群が続きます。



刎石坂の急な登り坂が続き、更に息が苦しいなってきたとき
に、「覗き」の看板があり、一休みします。

木々の合間から下を覗いてみると、案内板の通り、坂本宿の
家並が眼下に見えます!
小林一茶が、”坂本や 袂の下の 夕ひばり”
と詠んだ場所です。






覗きから少し歩くと、溶岩の裂け目から水蒸気が噴き出す
という「風穴」がありました。

湿った空気が穴から噴き出すためでしょうか、岩の周りは
苔がむしています。


風穴を過ぎると、道は、両側が土手状で、中央がえぐれた
安全で緩やかな坂になりました。

ホッ・・・

木の根っこを跨ぎながら歩いてゆくと、弘法大師が掘り当てた
という「弘法の井戸」がありました。

長い柄杓が置いてありますが飲めそうな感じではありません。

そして、ここにも「熊出没注意」の看板が!

熊が井戸の水を飲みに来るのでしょうか・・・




弘法の井戸を過ぎて、狭くて急な上り坂を登ると、写真の
「四軒茶屋跡」がありました。


急坂が一段落するここに、4軒の茶屋があったそうです。

今は、茶屋の建物はありませんが、写真の茶屋の石垣が
残っています。
そして、このすぐ近くに、平成9年に作られたという写真の
真新しい休憩所がありました。

ここで、水分を補給して一休みし、備え付けのノートに名前
を記帳します。


休憩所の辺りから、尾根伝いの平坦な道になり、暫く歩くと、
やがて下り坂になりました。
その下り坂を歩いてゆくと、写真の様に、道の両側が掘り
切られた狭い道になりました。


ここが「掘り切り」で、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際
に、北陸・信州軍を松井田城主・大導寺が、道の両側を掘り
切って狭い道にして防戦しようとした場所だそうです。



掘り切りを更に進むと、南向き馬頭観音、そして北向き馬頭
観音がありました。





馬頭観音を過ぎると、再び、急な上り坂になり、そこが座頭
泣かせの難所と言われた「座頭ころがし坂」でした。



ここは、道が赤土で湿っていて、目の見えない座頭の人達が、
滑りやすかったのだそうです。

更に暫く歩くと、やや広い道になり、「山中茶屋跡」が
ありました。
ここに13軒の茶屋が並んでいたそうです。
こんな山奥に13軒も!
 凄い!



その横に「山中学校跡」の説明板があり、それによると、
明治の頃には、この小学校に、25人の生徒が通学していた、
とあります。ひ~ぇっ!
こんな険しい山の中に小学校があったの!!驚き!
茶屋の家族とか、この辺に住んでいたのかな・・・
暫く歩くと、道の右手に子持山の説明板があり、そこが
道の分岐点になっています。

写真の左の細い道が、和宮降嫁前の中山道、右が和宮降嫁後
の中山道である「皇女和宮道」です。

つまり、和宮降嫁の碓氷峠通過のために、わざわざ新たな
道が開拓されたわけです!
和宮が中山道を通るというだけで、こんなに立派なルート
が造られたなんて!
公武合体にかける幕府の熱い想いが伝わってきます。

私は、広くて気持ちの良い「皇女和宮道」の方の道を歩く
ことにします。

五月晴れのもと、そよ風にふかれながら、森林浴の和宮道
ウオーキングです!

気持ち良い!

「安政遠足(とおあし)」と書かれた立て札が点在しており、
心強いです。


安政遠足は、安中藩主が、藩士の心身鍛錬を目的に、安中宿
から碓氷峠の熊野神社までの約28キロの中山道を走らせた
のが始まりで、現在も復活して、今年は先週の日曜日(5/12)
に行われました。

やがて、和宮道をかなり進むと、「仁王門跡」と「思婦石
(おもふいし)」の説明板がありました。



思婦石の説明板には、群馬の国学者・関橋守の作で、
「ありし代に かえりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 
 吾妻路のそら」とあります。
(日本武尊が、妻を恋い偲んだ歌らしいです。)
「思婦石」の横には、また「野生動物<クマ>生息地域」の
 看板が!

暫く歩くと、碓氷峠の頂上に到着です!!




ついに、安政遠足マラソンのゴールである熊野神社
(碓氷峠の頂上)に着きました。



坂本宿から、熊野神社までの碓氷峠越えでは、2人のおじ
さん、それに老若男女の外人グループ6人と途中ですれ
違いました。
気候が良かったせいでしょうか、皆さん、楽しそうに歩い
ていました。

熊野神社の真ん中が、写真の様に、長野県と群馬県の県境
になっています。

賽銭箱も、県境を挟んで二つ並んでいるのには、驚きです。
熊野神社の前には、名物「力餅」を売る茶店が並んでいます。
力餅屋も、写真の様に、店の真ん中が、長野県と群馬県の
県境になっています。



一口サイズの力餅は、赤福に似た味です。

茶屋からの群馬側の絶景を眺めながら、力餅と、本日2個目の
ソフトクリームを食べて一服します。
しかし、そんなにゆっくりと休んではいられません。
と言うのは、安政遠足マラソンのゴール・熊野神社が、私の
ゴールではありません!

軽井沢宿まで、まだ碓氷峠の下り坂が、あと4キロも残って
います。
碓氷峠の見晴台へ向う道の途中から、旧軽井沢へのハイキング
コースを下りてゆきます。

上の写真の左が見晴台へ向かう道、右が軽井沢へ下りる
ハイキング道です。
楽なハイキングコースかと思ったら、意外と狭くて急斜面の
道も所々にあります。

まあ、碓氷峠の登りに比べると、たいしたことはありません
が・・・
車道の上の橋を渡り渓谷に沿って下り坂を延々と歩きます。


途中で、写真の様な、腐って穴のあいた板の橋をいくつか
渡ります。


40分位歩いたところで、写真の吊橋を渡ると、道は広く
なり、別荘地帯に入りました。


また、熊注意の看板が!




別荘地帯を暫く歩くと、ようやく、軽井沢宿のはずれの
「二手橋」に着きました。

今晩は、軽井沢のビジネスホテルに泊まり、明日の朝、
軽井沢宿のこの二手橋から、再びスタートします。

坂本宿から軽井沢宿までは、約15キロの峠越えです。

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コメント一覧

更家
iinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
中山道は、たくさんの逸話、伝説に彩られていて、
しかも、この遺構が綺麗に残っているというのが、
素晴らしい魅力ですよ!

iinaさんの「もののはじめblog」の「日本武尊」を興味
深く拝見しました。

特に、”足が三重に折れ曲がってしまったように、
ひどく疲れた)ので、この地を「三重」というようになった。”という部分です。

東海道を踏破した時に、四日市宿(2012.1.7)の先の
杖衝坂という坂がありましたが、懐かしいです!
iina
中山道
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e0b1585e6a0297846222fd36a3eec764
中山道は、時代じだいの伝説にいろどられているのですね。

中尊寺金色堂 とマイライト でTBを貼らせていただきました。m(__)m


更家
第一関門突破
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、東海道の峠では経験しなかった、予想したより
厳しい山道でしたね。

同じ峠とはいっても、人口の多い海岸沿いの峠に比べ、
人口の少ない山奥の峠では、整備の費用も違う
のでしょうね。

底が見えない断崖絶壁なので、やはり、道が見えない
霧の日や、足元が滑る雨の日は、かなり怖いと
思いますね。

なるほど「遍路ころがし」ですか、「座頭ころがし」と同じですね。
船橋原人
碓氷峠
「第一関門」を無事突破されたようですね。
中山道はもっと道幅は広いのかなと思っていましたが・・・

雨の日にあのような道を歩くのは大変ですから、仕切り直しが正解でしたね。「お遍路」ではあのような道を「遍路ころがし」と呼んでいます。(所々にそこで行き倒れになった人の墓もありました。)
山登りの会で登山後、「力餅屋」で食べたことを、写真を見せて頂いて思い出しました。
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