(写真は、修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて「毒蛇」に
なったという「葦ケ池」の碑)
「白野(しらの)宿」は、次の「阿弥陀海道(あみだかいどう)
宿」と、その次の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、
問屋業務は、23日から月末までをここ白野宿が勤めました。
「白野(しらの)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、
旅籠4軒でした。
国道20号を天神山を左に迂回しながら進み、中央本線の
ガードをくぐると、前頁の写真の様に、右手に分かれる
旧道がありますが、ここが「白野宿」の入口です。
白野宿の東口から少し歩くと、「白野下宿」のバス停が
あります。
バス停の先には、常夜燈、石仏、庚申塔などが
祀られていました。
その庚申塔の先は、上の写真の「笹子公民館白野分館」
ですが、その公民館の先に、次頁の写真左側の
「元旅籠・よろず屋」(今泉家)があります。
更に進むと、白野宿の2つ目のバス停の「白野中宿」が
ありました。
このバス停を過ぎると、街道の右手の少し奥に、次頁の
写真の様に、山の神、金毘羅、白山権現が祀られて
いました。
その先には、1509年創建の写真の「宝林寺」がありました。
宝林寺から少し歩いただけで、短い白野宿の中に、早くも
3つ目のバス停の「白野上宿」です。
この白野上宿のバス停の先で、国道20号(甲州街道)に合流
しますが、ここが「白野宿の西口」です。
国道20号は大鹿川を大鹿川橋で渡りますが、旧甲州街道は、
橋の直ぐ先から、国道20号から分かれて、斜め右の狭い道に
入ります。
JR中央本線のガードをくぐりますが、ガードをくぐった
左側に、上の写真の「立石坂の立石」の標柱が建って
いました。
大月の桃太郎伝説(注)に登場する「立石」です。
(注)大月の桃太郎伝説:大月市には、桃太郎が、「犬目宿」
で犬、「鳥沢宿」でキジ、「猿橋宿」で猿を家来にして、
「岩殿山」に住む鬼の退治に向かったとの伝説があります。
確かに、言われてみれば、これまで歩いてきた宿場名は、
犬⇒鳥⇒猿の順です!
う~ん、出来過ぎた話ですが、でも、妙な説得力も
ある様な・・・?
そして、左手のJR中央本線の土手越しに、「立石」の頭頂部
が見えました。
この立石の頭頂部の全体像を裏側から見るために、国道20号
から分かれた分岐点に戻って、少し先から柵の中を覗き込む
と、下の写真の様に「立石」の全体像が見えました。
JR中央本線のガードの先の正面のY字路を左折して坂を
上ると、石垣の上に次頁の写真の「万霊塔」が建って
いました。
万霊塔は、三界有縁無縁のありとあらゆる精霊達を供養
する塔です。
三界とは、私達が悟りを得て仏に成るまでの間に、延々と
生まれ変わり死に変わりするこの世あの世をまとめて大きく
3つに分けた世界のことだそうです。
眼下には貯木場が見えます。
旧街道の風情の残る町並みを歩いて行くと、右手に1327年
創建の「稲村神社」があります。
境内には、ひと際大きい石塔の「合体(男根女陰)道祖神」が
祀られていました。
信濃国(長野県)の道祖神は、男女両神が寄り添っている
「双体道祖神」ですが、ここ笹子の「合体(男根女陰)
道祖神」は、男根と女陰の自然石と丸石を合わせたもので、
甲州でも珍しいものだそうです。
稲村神社の向いには、写真の「親鸞上人念佛供養塚」が
あります。
旧街道を進んで行くと、「葦ケ池(よしがいけ)伝説」(注)
に登場する前頁の写真の「小俣家」がありました。
(注)「葦ケ池伝説」:葦ケ窪の地頭の「小俣氏」の娘が、
修行僧に心を寄せたが、悲恋に終わると、「葦ケ池」に
身を投げ、「毒蛇」となり、里人を大いに悩ませました。
ここを通りかかった親鸞上人が、小石に南無阿弥陀仏の
名号を書き、池に投げ入れると、娘の霊は成仏しました。
小俣家から少し戻って右折して進むと、左側のブロックの上に
「葦ケ池碑」と「葦ケ池標柱」が建っていました。
ここが、毒蛇となった娘が棲みついた池の跡です。
葦ケ池碑から旧道に戻り、JRのガードを潜ると、国道20号
(甲州街道)に突き当たるので右折します。
国道20号を進み、笹子川を笹子川橋で渡ると、次の宿の
「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」に到着です。
白野宿から阿弥陀海道宿までは約3キロです。