ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 24:白野)(山梨県大月市) 3km 2021.4.12

(写真は、修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて「毒蛇」に

 なったという「葦ケ池」の碑)

「白野(しらの)宿」は、次の「阿弥陀海道(あみだかいどう)

宿」と、その次の「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、

問屋業務は、23日から月末までをここ白野宿が勤めました。

「白野(しらの)宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、

 旅籠4軒でした。

国道20号を天神山を左に迂回しながら進み、中央本線の

ガードをくぐると、前頁の写真の様に、右手に分かれる

旧道がありますが、ここが「白野宿」の入口です。

白野宿の東口から少し歩くと、「白野下宿」のバス停が

あります。

バス停の先には、常夜燈、石仏、庚申塔などが

祀られていました。

その庚申塔の先は、上の写真の「笹子公民館白野分館」

ですが、その公民館の先に、次頁の写真左側の

「元旅籠・よろず屋」(今泉家)があります。

更に進むと、白野宿の2つ目のバス停の「白野中宿」が

ありました。

 

このバス停を過ぎると、街道の右手の少し奥に、次頁の

写真の様に、山の神、金毘羅、白山権現が祀られて

いました。

 

 

その先には、1509年創建の写真の「宝林寺」がありました。

 

宝林寺から少し歩いただけで、短い白野宿の中に、早くも

3つ目のバス停の「白野上宿」です。

 

この白野上宿のバス停の先で、国道20号(甲州街道)に合流

しますが、ここが「白野宿の西口」です。

 

国道20号は大鹿川を大鹿川橋で渡りますが、旧甲州街道は、

橋の直ぐ先から、国道20号から分かれて、斜め右の狭い道に

入ります。

 

JR中央本線のガードをくぐりますが、ガードをくぐった

左側に、上の写真の「立石坂の立石」の標柱が建って

いました。

 

大月の桃太郎伝説(注)に登場する「立石」です。

 

(注)大月の桃太郎伝説:大月市には、桃太郎が、「犬目宿」

で犬、「鳥沢宿」でキジ、「猿橋宿」で猿を家来にして、

「岩殿山」に住む鬼の退治に向かったとの伝説があります。

(上記については、各々、「犬目宿」、「鳥沢宿」、

猿橋宿」、「駒橋宿」をクリックしてね。)         

                                       

確かに、言われてみれば、これまで歩いてきた宿場名は、

犬⇒鳥⇒猿の順です!

 

う~ん、出来過ぎた話ですが、でも、妙な説得力も

ある様な・・・?

 

そして、左手のJR中央本線の土手越しに、「立石」の頭頂部

が見えました。

 

この立石の頭頂部の全体像を裏側から見るために、国道20号

から分かれた分岐点に戻って、少し先から柵の中を覗き込む

と、下の写真の様に「立石」の全体像が見えました。

 

 

JR中央本線のガードの先の正面のY字路を左折して坂を

上ると、石垣の上に次頁の写真の「万霊塔」が建って

いました。

 

万霊塔は、三界有縁無縁のありとあらゆる精霊達を供養

する塔です。

三界とは、私達が悟りを得て仏に成るまでの間に、延々と

生まれ変わり死に変わりするこの世あの世をまとめて大きく

3つに分けた世界のことだそうです。

 

 

眼下には貯木場が見えます。

 

旧街道の風情の残る町並みを歩いて行くと、右手に1327年

創建の「稲村神社」があります。

 

境内には、ひと際大きい石塔の「合体(男根女陰)道祖神」が

祀られていました。

信濃国(長野県)の道祖神は、男女両神が寄り添っている

「双体道祖神」ですが、ここ笹子の「合体(男根女陰)

道祖神」は、男根と女陰の自然石と丸石を合わせたもので、

甲州でも珍しいものだそうです。

稲村神社の向いには、写真の「親鸞上人念佛供養塚」が

あります。

 

 

旧街道を進んで行くと、「葦ケ池(よしがいけ)伝説」(注)

に登場する前頁の写真の「小俣家」がありました。

 

(注)「葦ケ池伝説」:葦ケ窪の地頭の「小俣氏」の娘が、

 修行僧に心を寄せたが、悲恋に終わると、「葦ケ池」に

 身を投げ、「毒蛇」となり、里人を大いに悩ませました。

 

 ここを通りかかった親鸞上人が、小石に南無阿弥陀仏の

名号を書き、池に投げ入れると、娘の霊は成仏しました。

 

小俣家から少し戻って右折して進むと、左側のブロックの上に

「葦ケ池碑」と「葦ケ池標柱」が建っていました。

ここが、毒蛇となった娘が棲みついた池の跡です。 

葦ケ池碑から旧道に戻り、JRのガードを潜ると、国道20号

(甲州街道)に突き当たるので右折します。

 

国道20号を進み、笹子川を笹子川橋で渡ると、次の宿の

「阿弥陀海道(あみだかいどう)宿」に到着です。

白野宿から阿弥陀海道宿までは約3キロです。


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コメント一覧

ウォーク更家
為替の語源
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、株ではなくて、為替(外国通貨の購入、またはオプション?)で儲けたんですね。

もっとも、私の仕事は、外国為替だったので、株ではなくて、外国通貨などを買ってもらう側の仕事だったんですが・・・

そうですか、為替の語源は、「交ふ+す」→「交はす・かわす」でしたか。
iina
(ウォーク更家) さん へ
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a9995f5f8b74d1c6e53c80afa75c7907
 交ふ+す →交はす〔かわす〕         (名詞化)〔かわせ〕
      →為交〔かわす〕 →為替〔かわす〕        為 替

外国のお金を日本の「円」にいい「躱せ(かわせ)」て、
外国のお金を「買わせ」るので、「為替」というのでしょうね ❔

iinaは、株をやらぬ代わりに「為替」ですこし儲けたいきさつもあり、ちょっと ことば遊びしてみました。
ウォーク更家
甲州街道の伝説
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、大月の桃太郎伝説は、私も知りませんでした。

どうせいい加減な伝説だろうと思っていたのですが、説明版を読んでみたら、意外と面白い話でした。

修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて毒蛇になった、と似た伝説は日本各地にあるみたいです。

英彦山の大蛇は、水が涸れて身を隠す事が出来ないので、耶馬溪に引っ越したのでしたか。
もののはじめのiina
伝説 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1c6d7a19607606413adfc21a60abdc9a
大月に桃太郎伝説があるのでしたか( ^ω^)・・・

> 修行僧に失恋した娘が、池に身を投げて「毒蛇」になった
街道を歩いての伝説は、その地域をおもいやって一息つけますね。

そういえば、英彦山に行く途中に「大蛇伝説」がありましたょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ad6a278aef9605fa06a7a4edc883ba2f
蛇足ですが、きょうとおとといのiinaブログに、伝説を扱っています。


> 欧米の銀行がテスト電文を送信してくるのですが、その電文のほとんどが「A quick brown ~」なのです。
定例文で、文字化け等が起きていないか見て欲しい、と促していたのでしたか・・・おもしろいですね・・・

ウォーク更家
興味をもって一気に
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。

興味をもって一気に読んで頂いたということで、文章構成?に自信を持ちました。

そうですね、江戸時代の宿場の上、中、下宿の並びは、京都に近い方が上で、江戸に近い方が下というのは、全国で徹底していたみたいですね。
hide-san
興味ある
https://goo.blog.ne.jp/hidebach
興味ある街道歩きでした。
一気に読み終わりました。

上、中、下宿の並びは、やはり京都に向かって上ですね。
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