(アニメ「未来のミライ」の舞台となった
「旧根岸競馬場一等馬見所」)
今年のゴールデンウイークは、5月5日の子供の日に、近場の
横浜の「根岸公園」に行って来ました。
(紛らわしい名前の横浜の「岸根公園」については
「横浜・岸根公園」を見てね。)
写真は、その「根岸公園」の「旧根岸競馬場 一等馬見所」
です。
ここは、アニメ「未来のミライ」で、主人公のくんちゃんが、
自転車の練習をする場所として有名になったアニメファンの
聖地です。
(アニメ「未来のミライ」から)
また、YMOの映画「プロパガンダ」のロケ地としても有名
です。
前頁の写真の様に、独特なデザインの3基の巨大な
エレベーター塔が特徴です。
壁面を緑の蔦に覆われた廃墟の建物は、かつて上流階級の
社交場だった競馬場の栄華の面影を残しています。
横浜の根岸の丘の上に建つこの「旧根岸競馬場 一等馬見所」
は、幕末に、日本初の洋式競馬場として建設され、東洋一の
規模を誇っていました。
ここでは、毎年、現在の「天皇賞」にあたる「帝室御賞典
競争」が開催されていました。
(帝室御賞典競争の優勝馬主商品:馬の博物館の展示写真から)
最初は、居留外国人の娯楽として始まりましたが、やがて、
日本人の貴族に親しまれ、社交場として賑わいました。
その後76年もの長い間にわたってレースが行われました。
(居留外国人主催の競馬(明治3年):馬の博物館の
展示写真から)
(明治20年代の根岸競馬場:馬の博物館の展示写真から)
(根岸競馬場のスタンド風景(明治30年頃):馬の博物館の
展示写真から)
(明治41年の帝室御賞典競争:馬の博物館の展示写真から)
(明治後期の根岸競馬場:馬の博物館の展示写真から)
(現在も残る新スタンドの完成(昭和5年):馬の博物館の
展示写真から)
(競争風景(昭和9年):馬の博物館の展示写真から)
東洋一の規模を誇るこの根岸競馬場は、第二次大戦の
激化により1943年に閉鎖されました。
そして、終戦後は、この根岸の丘の一帯は、米軍によって接収
されて米軍基地となりました。
その後、この根岸の丘の米軍基地の大部分が米軍から返還
され、現在の様に、広大な芝生が広がる「根岸森林公園」
として一般開放されています。
そして、冒頭の「旧一等馬見所」は、根岸競馬場の唯一
残された遺構として、現在、近代化産業遺産に認定されて
います。
但し、この旧一等馬見所の内部は、損傷が激しく見学は
出来ません。
更に、正面のスタンド席側は、未だ現在も米軍施設のまま
なので、立ち入り禁止で正面から見ることが出来ません。
という訳で、立ち入り禁止の正面の観覧席や全景については、
次頁のグーグルアースの写真でご覧ください。
(正面の観覧席:グーグルアースから)
(全景:グーグルアースから)
旧根岸競馬場一等馬見所へ行くには、JR根岸線の根岸駅で
下車して急な坂道を上って行きます。
(JR根岸駅)
(坂道が嫌な方は、JR根岸駅前から桜木町駅行きの市営バス
に乗り、「滝の上」(根岸森林公園の入口)で下車することも
可能です。)
根岸公園の入口に着きました。
中に入ると、ゴールデンウイーク期間中の企画として、
「馬とあそぼうウィーク」をやっていました。
「移動式のメリーゴーランド」が設置されています。
また、特設ステージで、マジックショーをやっていました。
ゴールデンウイーク期間中にも拘らず、観客が少なかった
ので、係の人が一生懸命に呼び込みをしていました。
根岸公園の中にある写真の「ポニーセンター」では、馬が飼育
されていて、乗馬体験をすることも出来ます。
上の写真は、陶器の木馬です。
(飼育されているポニーではありません・・・念のため)
隣接する「根岸競馬記念公苑」には、写真の「馬の博物館」が
あります。
(通常は、入場料100円ですが、ゴールデンウイーク期間中は
無料でした。)
根岸競馬場や、馬の文化に関する展示を見ることが出来ます。
根岸森林公園を抜けて、今日の目的地の「旧根岸競馬場
一等馬見所」へ向かいます。
上の写真の一等馬見所の前の広場に着きました。
帰り道は、公園の近くの「根岸台」バス停からJR横浜駅東口
行きに乗って帰宅しました。
ps.
これまでの「多摩川を歩く」については、「中山道を歩く」の中程の一覧表をご覧ください。