ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

横浜・根岸公園   2023.5.5

(アニメ「未来のミライ」の舞台となった

「旧根岸競馬場一等馬見所」)


今年のゴールデンウイークは、5月5日の子供の日に、近場の

横浜の「根岸公園」に行って来ました。

 

(紛らわしい名前の横浜の「岸根公園」については

「横浜・岸根公園」を見てね。)  

 

写真は、その「根岸公園」の「旧根岸競馬場 一等馬見所」

です。

 

ここは、アニメ「未来のミライ」で、主人公のくんちゃんが、

自転車の練習をする場所として有名になったアニメファンの

聖地です。   

                                                             

 

 

 

(アニメ「未来のミライ」から)

 

 

 

また、YMOの映画「プロパガンダ」のロケ地としても有名

です。

前頁の写真の様に、独特なデザインの3基の巨大な

エレベーター塔が特徴です。

 

壁面を緑の蔦に覆われた廃墟の建物は、かつて上流階級の

社交場だった競馬場の栄華の面影を残しています。  

 

横浜の根岸の丘の上に建つこの「旧根岸競馬場 一等馬見所」

は、幕末に、日本初の洋式競馬場として建設され、東洋一の

規模を誇っていました。

ここでは、毎年、現在の「天皇賞」にあたる「帝室御賞典

競争」が開催されていました。 

(帝室御賞典競争の優勝馬主商品:馬の博物館の展示写真から)

 

最初は、居留外国人の娯楽として始まりましたが、やがて、

日本人の貴族に親しまれ、社交場として賑わいました。

その後76年もの長い間にわたってレースが行われました。

(居留外国人主催の競馬(明治3年):馬の博物館の

 展示写真から)

(明治20年代の根岸競馬場:馬の博物館の展示写真から)

 

(根岸競馬場のスタンド風景(明治30年頃):馬の博物館の

 展示写真から)

 

 

(明治41年の帝室御賞典競争:馬の博物館の展示写真から)

 

(明治後期の根岸競馬場:馬の博物館の展示写真から) 

(現在も残る新スタンドの完成(昭和5年):馬の博物館の

 展示写真から)

(競争風景(昭和9年):馬の博物館の展示写真から) 

東洋一の規模を誇るこの根岸競馬場は、第二次大戦の

激化により1943年に閉鎖されました。

そして、終戦後は、この根岸の丘の一帯は、米軍によって接収

されて米軍基地となりました。

その後、この根岸の丘の米軍基地の大部分が米軍から返還

され、現在の様に、広大な芝生が広がる「根岸森林公園」

として一般開放されています。

そして、冒頭の「旧一等馬見所」は、根岸競馬場の唯一

残された遺構として、現在、近代化産業遺産に認定されて

います。

但し、この旧一等馬見所の内部は、損傷が激しく見学は

出来ません。

更に、正面のスタンド席側は、未だ現在も米軍施設のまま

なので、立ち入り禁止で正面から見ることが出来ません。

という訳で、立ち入り禁止の正面の観覧席や全景については、

次頁のグーグルアースの写真でご覧ください。

 

(正面の観覧席:グーグルアースから)

 

   

 

(全景:グーグルアースから)

 

 

旧根岸競馬場一等馬見所へ行くには、JR根岸線の根岸駅で

下車して急な坂道を上って行きます。 

(JR根岸駅)

 

(坂道が嫌な方は、JR根岸駅前から桜木町駅行きの市営バス

に乗り、「滝の上」(根岸森林公園の入口)で下車することも

可能です。)

根岸公園の入口に着きました。

中に入ると、ゴールデンウイーク期間中の企画として、

「馬とあそぼうウィーク」をやっていました。

「移動式のメリーゴーランド」が設置されています。

また、特設ステージで、マジックショーをやっていました。

ゴールデンウイーク期間中にも拘らず、観客が少なかった

ので、係の人が一生懸命に呼び込みをしていました。

 

根岸公園の中にある写真の「ポニーセンター」では、馬が飼育

されていて、乗馬体験をすることも出来ます。

上の写真は、陶器の木馬です。

(飼育されているポニーではありません・・・念のため

隣接する「根岸競馬記念公苑」には、写真の「馬の博物館」が

あります。

(通常は、入場料100円ですが、ゴールデンウイーク期間中は

無料でした。)

根岸競馬場や、馬の文化に関する展示を見ることが出来ます。

    

 

 

 

 

 

 

根岸森林公園を抜けて、今日の目的地の「旧根岸競馬場

一等馬見所」へ向かいます。

 

 

上の写真の一等馬見所の前の広場に着きました。

 

 

帰り道は、公園の近くの「根岸台」バス停からJR横浜駅東口

行きに乗って帰宅しました。

 

 

 

   

 

 

ps.

これまでの「多摩川を歩く」については、「中山道を歩く」の中程の一覧表をご覧ください。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

mrsaraie
iinnaさんへ

そうでしたか、一等馬見所は、横浜時代に営業でまわっていて偶然に見つけたのでしたか。

あの辺りは、急な坂が多いので営業も大変でしょうね。

確かに、グーグルアースの全景は、まるでローマ遺跡みたいですね。

高台の美空ひばりの石碑は気付きませんでした・・・
iinna
日本初の洋式競馬場になった「旧根岸競馬場 一等馬見所」は、横浜時代に営業でまわっていて、偶然に見つけました。
グーグルアースの全景は、ローマ遺跡のようです^^

ここを見下ろす高台に、美空ひばりの石碑があったような・・・❔

「この国のかたち」著:司馬遼太郎は、とても勉強になりました。
神教の神さま的天皇が、仏教を採り入れたのは神教を宗教という意識がなく、新しい文物に興味を抱いただけでした。

https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/112067a46fe2ae5569d01689c7ad1230

mrsaraie
s1504さんへ

ええ、根岸競馬場跡地の公園は、今は、横浜市民の憩いの広場になつています。

博物館の中に入るのは初めてだったんですが、色々と根岸競馬場の歴史の勉強が出来ました。

ここの展示物によると、最初は外国人居留者や貴族の楽しみのために創られたみたいです。

馬券を売る様になった歴史については、説明がなかったので、多分、s1504さんの方が詳しく、中央競馬会社、農水省管轄の中央競馬会に変わって行ったというのが正しいと思います。

ええ、広々とした根岸競馬場跡地は、ガラガラに空いていたので、GWのお散歩としては最高でした。
s1504
〈ウォーク更家)さん、おはようございます。
根岸競馬場跡地は公園になっているんですね。
話には聞いているけど・・・・程度しか知りませんが、博物館に写真や天皇杯にあたるものが残されているんですね。
そうですか、外国人居留者や貴族の楽しみのために創られたんですか。
それがいつの頃か中央競馬会社になり農水省管轄の(財)中央競馬会になって馬券を売るようになったと覚えていますが、勘違いがあるかもしれません。
GWのお散歩としては最高でしたね。
mrsaraie
hidebachさんへ

説明板によると、「二等馬見所」などもあったみたいなので、「一等馬見所」は、一番良い席という意味だったのだろうと思います。

既に、現在の天皇賞が行われていたとのことなので、賭け事をする馬券の販売場所もあったのかも知れません。

まあ、馬の美しさを見る場所というよりは、欧米では競馬場が上流社会の社交の場所だったので、負けない様に追い付き追い越せで、必死で欧米の物まねをしたのではないかと思います。
hidebach
「旧根岸競馬場 一等馬見所」では、
競馬馬の一等早い馬はどれか。
賭け事をする馬券の販売場所ではなかったのですね。

馬の美しさを見る場所だったのでしょうか?
そんな社交の場所だったのでしょうか?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事