(写真は、笹子峠の名物だった「笹子餅」)
笹子川橋のバス停を過ぎ、笹子川を笹子川橋で渡ると
「阿弥陀海道宿」に入ります。
「阿弥陀海道(あみだ かいどう)宿」は、本陣1、脇本陣1、
問屋1、旅籠4軒でした。
この前の宿場町の「白野宿」と、この次の宿場町の
「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、
16日から22日までを阿弥陀海道宿が勤めました。
笹子川橋を渡り、橋の脇の狭い坂道を下りて行きます。
民家の先を右折して、突き当りの小山を回り込む山道を
進みます。
狭い山道の先に写真の「阿弥陀堂跡」がありました。
奈良時代の名僧「行基」は、笹子峠に出没する悪霊を鎮める
ために、この地にお堂を建てて、自ら彫った阿弥陀如来像を
安置しました。
行基が、この地を「阿弥陀海」と命名したので、このお堂に
通じる参道は「阿弥陀海道」と呼ばれる様になりました。
それにしても、山奥の甲州街道沿いの地名に、
「阿弥陀”海”」と、海の字が付くのは変に思われます?
阿弥陀堂への参道なので、本来「阿弥陀街道」とすべきところ
を、行基がここに住む人の心が広くあるようにと願って
「海」の字を充てて、この地を「阿弥陀海」と命名したから
だそうです。
う~ん、分かった様な分からない様な・・・
この「阿弥陀堂跡」に安置されていた「阿弥陀仏」は、
現在は、次の宿場町の「黒野田宿」の「普門院」に
移されているそうです。
ところで、前回、「修行僧」に心を寄せた地頭の「小俣氏」の
娘が、悲恋に終ったため、葦ケ池(よしがいけ)に身を投げて
毒蛇になった、という伝説をご紹介しました。
この地頭の小俣氏の娘が思いを寄せた僧は、実はこの阿弥陀堂
の修行僧でした。
(上記の「葦ケ池(よしがいけ)伝説」については、「白野宿」
を見てね。)
阿弥陀堂跡から国道20号に戻ると、左手に、大正8年創業の
「笹一酒造」の大きくて立派な工場が見えます。
工場の中にある販売所に入って、銘酒「笹一」を買います。
笹一酒造を出て、街道を少し進むと、右手に
下の写真の「笹子餅店」があります。
江戸時代、この先の甲州街道の最大の難所である「笹子峠」の
茶屋で、「峠の力餅」として売られていた「笹子餅」です。
(5個入り500円)
上の写真は、1,000円の笹子餅(10個入り)ですが、前頁の
写真の500円の笹子餅(5個入り)とは、包装が異なる
だけで、中の餅は同じものです。
1,000円の笹子餅のパッケージには、前頁の写真の様に、
笹子峠の茶屋で、峠の力餅を売っている様子を描いた
「甲州街道膝栗毛」の絵も付いています。
名物に旨い物なしと言いますが、こちらは粒あんがたっぷりの
ホントに美味い餅で、2種類・15個買って帰って良かった
と思いました。
笹子餅店の道路向かいは、上の写真のJR中央本線の
笹子駅です。
笹子駅の広場には、次頁の写真の「笹子隧道記念碑」が
あります。
明治35年に完成した笹子隧道は、全長4,656メートルの
当時東洋一の鉄道トンネルでした。
緩やかな上り坂の国道20号を少し歩き、変電所前バス停
の先の相模川水系の辰巳沢を越すと、もう次の「黒野田宿」
に入ります。
帰宅の途中でスーパーで刺身を買って帰り、自宅でこの刺身を
肴に「笹一」で一杯やります。
「夏純米吟醸」という夏限定販売だけあって、飲み易い
スッキリした味でした。
阿弥陀海道宿から次の黒野田宿までは約1キロと近い
です。