ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 25:阿弥陀海道) (山梨県大月市) 1km 2021.4.12

 

(写真は、笹子峠の名物だった「笹子餅」)

 

 


笹子川橋のバス停を過ぎ、笹子川を笹子川橋で渡ると

「阿弥陀海道宿」に入ります。

「阿弥陀海道(あみだ かいどう)宿」は、本陣1、脇本陣1、

問屋1、旅籠4軒でした。

この前の宿場町の「白野宿」と、この次の宿場町の

「黒野田宿」の3宿で1宿を構成し、問屋業務は、

16日から22日までを阿弥陀海道宿が勤めました。

笹子川橋を渡り、橋の脇の狭い坂道を下りて行きます。  

民家の先を右折して、突き当りの小山を回り込む山道を

進みます。  

 

 

 

狭い山道の先に写真の「阿弥陀堂跡」がありました。

奈良時代の名僧「行基」は、笹子峠に出没する悪霊を鎮める

ために、この地にお堂を建てて、自ら彫った阿弥陀如来像を

安置しました。

行基が、この地を「阿弥陀海」と命名したので、このお堂に

通じる参道は「阿弥陀海道」と呼ばれる様になりました。

 

それにしても、山奥の甲州街道沿いの地名に、

「阿弥陀”海”」と、海の字が付くのは変に思われます?

 

阿弥陀堂への参道なので、本来「阿弥陀街道」とすべきところ

を、行基がここに住む人の心が広くあるようにと願って

「海」の字を充てて、この地を「阿弥陀海」と命名したから

だそうです。

う~ん、分かった様な分からない様な・・・

この「阿弥陀堂跡」に安置されていた「阿弥陀仏」は、

現在は、次の宿場町の「黒野田宿」の「普門院」に

移されているそうです。

 

ところで、前回、「修行僧」に心を寄せた地頭の「小俣氏」の

娘が、悲恋に終ったため、葦ケ池(よしがいけ)に身を投げて

毒蛇になった、という伝説をご紹介しました。  

この地頭の小俣氏の娘が思いを寄せた僧は、実はこの阿弥陀堂

の修行僧でした。

(上記の「葦ケ池(よしがいけ)伝説」については、「白野宿

を見てね。)  

                  


阿弥陀堂跡から国道20号に戻ると、左手に、大正8年創業の

「笹一酒造」の大きくて立派な工場が見えます。

工場の中にある販売所に入って、銘酒「笹一」を買います。

笹一酒造を出て、街道を少し進むと、右手に

下の写真の「笹子餅店」があります。

江戸時代、この先の甲州街道の最大の難所である「笹子峠」の

茶屋で、「峠の力餅」として売られていた「笹子餅」です。

(5個入り500円)

上の写真は、1,000円の笹子餅(10個入り)ですが、前頁の

写真の500円の笹子餅(5個入り)とは、包装が異なる

だけで、中の餅は同じものです。

 

1,000円の笹子餅のパッケージには、前頁の写真の様に、

笹子峠の茶屋で、峠の力餅を売っている様子を描いた

「甲州街道膝栗毛」の絵も付いています。  

 

名物に旨い物なしと言いますが、こちらは粒あんがたっぷりの

ホントに美味い餅で、2種類・15個買って帰って良かった

と思いました。

 

 

笹子餅店の道路向かいは、上の写真のJR中央本線の

笹子駅です。

笹子駅の広場には、次頁の写真の「笹子隧道記念碑」が

あります。

明治35年に完成した笹子隧道は、全長4,656メートルの

当時東洋一の鉄道トンネルでした。

 

 

緩やかな上り坂の国道20号を少し歩き、変電所前バス停

の先の相模川水系の辰巳沢を越すと、もう次の「黒野田宿」

に入ります。 

 

 

帰宅の途中でスーパーで刺身を買って帰り、自宅でこの刺身を

肴に「笹一」で一杯やります。 

 

  

 

「夏純米吟醸」という夏限定販売だけあって、飲み易い

スッキリした味でした。

 

阿弥陀海道宿から次の黒野田宿までは約1キロと近い

です。


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コメント一覧

ウォーク更家
行基は偉大な人物だった
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、行基は、当時としては異端で寺院から外へ出て布教しただけではなく、宿泊と食糧を提供する布施屋を建設したり、橋や道路、新田開発などの土木工事に頑張っていたんですね。

朝廷は、最初は異端として弾圧したものの、行基の活動が民衆に支持されるようになると、行基の活動を認めざるを得ず、聖武天皇から大仏造立という国家の一大プロジェクトを任されたんですね。

それで、行基の阿弥陀海道での逸話がよく理解できました。

ありがとうございました。
もののはじめのiina
行基 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5fdae76cb9b6938afadea58a6504578d
> 行基人気に目をつけられて、大仏建立の寄付集めを依頼されたので、全国各地を回ったのでしたか。
朝廷は、行基を異端視し弾圧していましたが、大仏建立時にその人気を逆に利用して寄付をつのったというのが、時の流れでした。

行基は、全国を行脚して勧進をつのりましたから、笹子や神奈川を歩いたようです。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/ijin/gyoki/

行基は、大仏開眼日まで間に合わずに、世を去っていました。
ウォーク更家
笹子峠周辺の史跡
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、笹子トンネルを利用されているということは、笹子峠周辺は時々車で走っていらっしゃるんですね。

笹子峠周辺は、旧道に入れば車が少ないので、意外と車を止めて史跡見物出来るかも知れませんよ。

行基が命名したという地名の「阿弥陀海」の「海道」の読み替えは、斬新な発想というか、全く考えが及ばす、最初に見たときは、恥ずかしながら、誤字だと思いました・・・
tadaox
笹子峠周辺
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/97b626ae5fe20ccaaaf09f0af5d548c2
(ウォーク更家)様、こんにちは。
行基が命名したという阿弥陀海道の読み替えは、すごく斬新な発想ですね。
実際に行基が考えたのかどうかは知る由もありませんが、よほどの教養人でないと、山中の「街道」を「海道」とは思いつかないでしょう。
「しまなみ海道」は、文字通り海を渡る道ですが、それでも海道というのは新鮮に感じました。
古地図なんかで、いつごろからそう呼ばれているのかわかると面白いですね。

笹子トンネルを利用するしか能のないぼくにとって、笹子峠周辺のいろいろに史跡等を教えていただいてありがたかったです。
ウォーク更家
行基の人気
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
なるほど、行基人気に目をつけられて、大仏建立の寄付集めを依頼されたので、全国各地を回ったのでしたか。

行基は、笹子まで来て、阿弥陀海の地名を命名したくらいだから、田舎でも人気があったのでしょうね。

そう、多分、江戸時代から続く500円の笹子餅が笹に包まれているのは、笹が防腐剤の役割を果たすからでしょうね。
もののはじめのiina
行基 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/583a03b3981c63ce8cbc761b36a24331
> 行基 ・・・ 見不知森の中古木の根洞の観音像が法華経を説話している声を聞いた
行基は、庶民に人気のあった奈良の人としか考えなかったですが、遠くまで彼方此方おでかけしているのですね。^^

この人気を利用して大仏さま建立の寄付集めを依頼されました。

笹子峠に「行基」あらわれて、罪づくりイエ否、仏作りして伝説を残して歩いています。^^
笹は防腐剤代わりになりますから、笹だんごや笹子餅などが重宝されたのですね。

ウォーク更家
笹子餅の中身を
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
さすが鋭いですね!

写真は餅が9個と、中身が分かる様に1個を輪切りにしたものです。

封を開けたら我慢できなくなり、撮影直後に食べてしまいました・・・(-_-;)
hide-san
笹子餅
https://goo.blog.ne.jp/hidebach
十個入りの笹子餅、数えると九個しか見えませんが、
一個は更家さんが食べた後ですか?!(笑)

数が違うと気になって・・・
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