(写真は、「大崎下島」の伝統的建造物保存地区「御手洗」)
羽田空港から広島空港へ飛び、JR山陽本線で呉を
経由してJR広駅で下車、路線バスで「とびしま
海道」の最初の島「下蒲刈島」へ。
下蒲刈島で途中下車して、前回ご紹介した「朝鮮
通信使資料館」等を見学したあと、路線バスで、
「下蒲刈島」から、下の写真の「蒲刈大橋」を
渡って、「上蒲刈島」に入ります。
パンフレットを見ると、この「上蒲刈島」(かみ
かまがりじま)は、風光明媚な海岸が続きますが、
この雨なのでこの島での途中下車は止めます。
次に、上蒲刈島から、下の写真の「豊島大橋」を
渡って「豊島」に入ります。
パンフレットを見ると、この「豊島」も、特に
観光地が無さそうなので途中下車しないことに
しました。
次に、豊島から、下の写真の「豊浜大橋」を渡り、
「大崎下島」に入ります。
路線バスは、大崎下島の海岸線に沿って走ります
が、乗客が次々に降りて、車内がたいぶ空いて
きました。
車内が空いてきたと思ったら、今度は何と!、
大勢の小学生が乗り込んで来ました!
丁度、下校の時間帯にぶつかったのでしょう。
路線バスによる集団下校、というところでしょう
か。
路線バスは、たちまちスクールバスに早変わり、
車内は”雀のお宿”と化しました。
一口に小学生達と言っても未だ幼稚園児みたいな
小学生もいれば、私よりも体格の良い小学生も
います・・・
何となく、引率の先生の気分になってきました。
やがて、小学生達は、停留所毎(毎?)に、
固まって降りていきます。
我々2人は、「御手洗」(みたらい)という
バス停で下車しました。
「とびしま海道」のパンフレットによると、ここ
「御手洗」集落は、「重要伝統的建造物保存地区」
だそうです。
写真の「御手洗港」の案内板によると、ここ
御手洗は、古くから遊女の港として船人たちに
広く知られ、瀬戸内海を航行する北前船、参勤
交代の御座船をはじめ、多くの船が寄港したそうです。
そして、ここ御手洗の遊女たちは、吉原や島原の
遊女と同じように高い教養を備えていたそうです。
御手洗バス停の道路から横に入ると、もう
「重要伝統的建造物保存地区」です。
以下の写真は、江戸時代の切妻や入母屋造りの
白漆喰の家屋が並ぶ「常盤町通り」です。
下の写真の右手前は、御手洗で最も大きい茶屋
(遊廓)だった「若胡屋」(わかえびすや)で、
百人以上の遊女をかかえていたそうです。
若胡屋の前の左手前の建物は「北川醤油醸造」
です。
以下、重要伝統的建造物の町並みです。
(日本で一番古いといわれる新光時計店)
(洋館造りの理髪店)
「御手洗」の街並みを見学し終えて、今晩宿泊する
旅館がある「大長港」(おおちょうこう)まで、
路線バスで戻ります。
我々が今晩泊まる上の写真の旅館「オレンジ
ハウス」は、島の「大長」地区にあり、旅館の
前は「大長」の港です。
旅館の宿泊客は、我々2人の他は、島に工事に
来ている方が2人だけでした。
旅館のおやじさんの話しだと、島の産業の農業
である急斜面のミカンは高齢化で困難なので、
イチゴ栽培や花卉栽培に転換中とのこと。
風呂に入り、夕食時間まで一休みします。
夕食は、旅館の水槽で泳いでいた地元で採れた
という「鯛」を、刺身と兜煮に料理してくれ
ました。
鯛の刺身が、コリコリしていて上手い!
旅館「オレンジハウス」は、古くて汚いですが、
この鯛の刺身を考慮すると、1泊2食付5,400円
は良心的です。
雨が降っていることもあり、食後は早めに床に
就きました。
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