(「多摩川浅間神社」の「シン・ゴジラ」のお守りと絵馬)
前日は、涼みながら六郷用水を抜けて、東急東横線の多摩川駅
から帰宅したので、本日はその多摩川駅からスタートします。
上の写真は、多摩川駅の正面の丸子橋の交差点です。
丸子橋の交差点の道路向かいの上の写真の小高い丘が、今日の
目的地の「多摩川浅間神社」(たまがわ せんげん じんじゃ)
です。
石橋山の戦いに敗れた「源頼朝」は、安房国で再起し、
上総国・下総国の諸将を味方に付け、隅田川を渡り、
瀧野川(東京都北区)に陣を布きました。
このとき、夫の身を案じた「北条政子」は、瀧野川の陣を
目指します。
しかし、政子はその途中、ワラジで足を痛めたので、
ここ多摩川の川べりで休み、夫の武運を祈って、
身につけていた正観世音像をここにに安置しました。
それ以来、村人達は、この像を「富士浅間大菩薩」として
祀ったのが、多摩川浅間神社の起こりだそうです。
多摩川浅間神社は、古墳の上に建てられており、多摩川沿いの
舌状台地の先端にあります。
浅間神社の参道の階段には、多数の溶岩が置かれ、
富士塚の様に、富士登山の疑似体験が出来ます。
階段の左右にあるゴツゴツした岩は、富士山の溶岩を
運んできたものだそうです。
階段の中程には、上の写真の「白糸の滝」もあります。
その少し上には、次頁の写真の「小御岳石尊」(こみたけ
せきそん)と刻まれた石碑があります。
これは、富士山五合目にある小御岳神社を現しているのだ
そうです。
更に上がると、上の写真の「食行身禄(じきぎょう みろく)
之碑」と刻まれた石碑がありました。
食行身禄とは、富士山の八合目で断食修行をし、浅間信仰の
団体である富士講の祖となった人物だそうです。
多摩川浅間神社の本殿の建築様式は、都内唯一の「浅間造り」
です。
浅間造りとは、社殿の上に社殿が乗る2階建ての構造です。
社務所では、「シン・ゴジラ」をデザインしたお守り、絵馬、
手ぬぐい等を売っています?
自動販売機にも「シン・ゴジラ」が・・・
社殿の左脇には、写真の広い展望スペースがあります。
展望スペースから眺めると、左手に丸子橋、右手に東急東横線
がよく見えます。
対岸は武蔵小杉の高層マンションで、更に、晴れていれば
富士山も眺望出来ます。
素晴らしい眺めです!
映画「シン・ゴジラ」では、ゴジラは、武蔵小杉の
高層マンション群に現れました。
(武蔵小杉の高層マンション群を破壊するゴジラ
:映画「シン・ゴジラ」から)
防衛隊は、ここ多摩川浅間神社に指揮所を置いて、多摩川を
防衛線としました。
(多摩川浅間神社に向かう防衛隊:映画「シン・ゴジラ」から)
映画の中では、この神社が破壊されるシーンがないことから、
「シン・ゴジラの破壊から難を逃れた厄難消除」の神社として、
「厄災よけ」のご利益があるそうです。
う~ん、そんな理由で?
ロケ地として、現在も大勢の映画ファンが参拝しているのだ
そうです。
(浅間神社の展望スペースに設置された防衛隊の指揮所
:映画「シン・ゴジラ」から)
(丸子橋の下の河川敷を埋め尽くす防衛隊の戦車群
:映画「シン・ゴジラ」から)
陸と空からあらゆる兵器を使って攻撃します。
(空からの攻撃:映画「シン・ゴジラ」から)
しかし、ゴジラが蹴った丸子橋の鉄橋がぶつかり、何と!
指揮所は壊滅してしまいます!
(ゴジラに蹴飛ばされる丸子橋の鉄橋
:映画「シン・ゴジラ」から)