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(写真は、「超高速!参勤交代」の1場面)
今週、NHK歴史秘話ヒストリで参勤交代秘話に
ついてやっていましたが、興味深かったです。
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東海道と中山道を歩いている私は、参勤交代に
非常に興味があるので、映画「超高速!参勤
交代」を見てきました。
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結構、面白かったです。
主人公の湯長谷藩藩主・内藤政醇(まさあつ:
佐々木蔵之介)は、実在の人物だそうです。
史実では、内藤政醇は、この物語の10年前に8代
将軍・徳川吉宗に御目見えしており、この物語
の6年後に享年31歳で亡くなっています。
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映画は、老中・松平信祝(のぶとき:陣内孝則)
が、1万5000石の貧乏藩・湯長谷藩が所有する
金山を奪うために、湯長谷藩を取り潰そうと
画策するところから始まります。
そして、参勤交代を終えて、江戸から国元へ
戻ったばかりの一行に「5日以内に江戸へ
参勤せよ!」という無理難題をふっかけます。
知恵者の藩の家老・相馬兼嗣(かねつぐ:西村
雅彦)を中心に、5日間での参勤交代を可能に
すべく策を練ります。
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幕府の役人の監視のある宿場のみ日雇い中間を
揃えて大名行列を組んで進み、最短の悪路を
選びます。
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街道を外れた山中は、忍びの雲隠段蔵(伊原剛志)
を道案内人として、少人数で走り抜けます。
参勤交代のお供の家臣は、寺脇康文、知念侑李、
上地雄輔、柄本時生、六角精児らが演じています。
また、お咲と言う遊女を深田恭子が演じて花を
添えます。
しかし、老中・松平信祝も、超高速・参勤交代を
阻止するために刺客を放っていました・・・
遅いかかる刺客、災難、不運、ピンチが続きます!
果たして、期限までに江戸に到着出来るのか?
映画は、コミカルで軽快なテンポで、最後まで
進んでいくので観ていて飽きません。
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以下、この映画を観ての私の個人的な感想です。
軽妙なドタバタ喜劇としては、テーマの主要部分
が史実に沿っている、という感触はあり、全体
として好感が持てました。
でも、せっかく、すばらしいアイデアの映画なの
で、ワンパターンのチャンバラ劇を映画の中心に
持ってこない方がよかった。
忍者も、脇役程度にすべきで、ストーリーの主要
部分を占めすぎです。
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残念ながら、上の2点によって、歴史の
リアリティが薄れています。
また、延々と街道を歩いた私からみると、映画
からは、参勤交代が、かなり長い距離を歩いた、
という実感があまり感じられませんでした。
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※以下は参勤交代についての史実、ウンチクです。
1.参勤交代の江戸への行きが「参勤」、帰りが
「交代」です。「交代」の意味は、他の大名の
「参勤」と入れ替わりで領国に戻っていたから
です。
2.参勤交代では、日数節約のため、早朝から日没
まで、1日約40キロを歩きました。
3.参勤交代の行列は、いつも整然と行進している
訳ではなく、宿場町などのピンポイントで、
人足を雇い、整列し直しました。
街道は、三々五々歩くことが多かったそうです。
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4.「下に~、下に」という制止声は、御三家に
しか許されてませんでした。
5.大名行列見物を楽しみにしていた庶民の間
では、各大名の家系図、石高、家紋や行列
道具などの詳細データが載った「文化武艦」
という”大名行列見物ガイドブック”が
ベストセラーでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
6.参勤交代は、ルートの確認、藩士の選任、
道具・衣装・献上品の手配など、準備に
半年を要しました。
7.道中、雨で橋が流されたり、川止めに
あったり、宿場で他の藩とかちあったり
と、トラブル、事件も多発するので、
臨機応変な判断や宿役人との交渉力が試され
ました。
8.湯船に細工しての暗殺や、疫病感染を防ぐ
ため、大名行列では、”my風呂桶”を運び、
宿の湯船は使用しませんでした。
9.草津宿に残る本陣の上段の間は、畳を何枚も
重ねてあり、床下から忍者が刀で刺し殺すの
を防ぎました。
また、天井裏からは、屋根裏からの暗殺を
防ぐためにばら撒いた大量のイバラのトゲ
が発見されています。
(「東海道を歩く・草津」、
「バスで行く東海道・水口~草津」
を見てね。)
10.平均的な13日間の参勤交代の費用 =
約5億円 = 宿泊代×食事代×衣装代×
馬のエサ代×参加人数+道具一式+献上品
11.参勤交代を怠った例:筑前藩主・松平忠直は
江戸に参勤しなかったために豊後に流罪に
なりました。
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12.「参勤交代道中記」(平凡社)によれば、加賀
藩の場合を以下の様に書いています。
・殿様の前に立てられている槍は、長さ、
鞘の形、種類、色により、遠方からでも、
何家の行列か見分けられた。
・殿様の駕籠は、14人で担いだ。
・上級藩士、高齢者、脚気の者、医師以外に、
前夜の不寝番なども駕籠に乗った。
・最大の大名行列は加賀藩で2,000人。
・駕籠の床にただ座っているのは辛かった
ので、殿様は、山道では4~8キロ歩いて
気晴らしをした。
・”my風呂桶”以外にも、携帯用トイレ、
重石を載せたままの漬物なども担いでいた。
・江戸時代後半になると、奴踊りをする奴を
雇い、馬を美しく飾り、先箱を金紋にする
等、大名行列は形骸化し、互いに奇を
てらい、旅装は華美になった。
しかし、その後、これが藩財政を圧迫した
ので経費節減に方針転換、お昼は殿様まで
弁当持参、古着を着た藩士も多く、服の
色が統一されない貧弱な隊列となった。
13.浅田次郎著「一路」でも、江戸への到着遅れは
大罪となるため、「安中の遠足(とおあし)」
が江戸へ向けて、昼夜を問わず走り続けます。
![]() | 一路(上) |
浅田 次郎 | |
中央公論新社 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c8/d212cb9bae8ac489162c402097e329f9.jpg)
(大名行列の”my風呂桶”:歴史秘話
ヒストリア)