(写真は、湯殿山の参籠所と大鳥居)
前回の宮城県の「登米(とめ)」に続き、今回は山形県の
「湯殿山」(ゆどのさん)です。
芭蕉は、前回の登米から、奥の細道のハイライトである
平泉を目指しました。
しかし、我々のツアーは、平泉や立石寺などについては、
メンバーの皆さんが複数回行ったことがあるということで、
これらを飛ばして、新幹線で山形へ向かいました。
新幹線の山形駅で下りると、山形の市街地は、8月5~7日
の山笠祭りの飾り付けの準備一色でした。
やたら漬本舗が経営する明治18年創業「香味庵まるはち」
で昼食です。
趣のある蔵座敷で、漬物の寿司などの山形の郷土料理の
会席膳を食べます。
土産に、写真の青唐辛子の香りと辛味、甘味噌の風味を
加え漬けあげたピリ辛味の「山形やたら漬」を買いました。
ごはん・お粥・雑炊やチャーハンにもぴったりです。
昼食を済ませた我々のバス旅行は、山形の市街地を抜け、
健脚の芭蕉も苦労して歩いたという湯殿山、羽黒山、月山
へ向かいます。
江戸時代には、”西の伊勢参り、東の奥参り”と、並び
称され、庶民の信仰の中心でした。
”奥参り”とは、出羽三山の「生まれ変わりの旅」の
ことです。
「生まれ変わりの旅」とは、「過去=月山、現在=羽黒山、
未来=湯殿山」の三山を訪ねることで、過去、現在、未来を
巡ることになります。
山形の市街地から貸切バスで約1時間、「湯殿山」の
湯殿山神社の参籠所駐車場に着きました。
前頁の写真の左は、食事および宿泊が可能な湯殿山の
参籠所です。
前頁の写真の石碑には、「湯殿山本宮の東にある仙人沢
は、即身仏となるための修行地である」旨が記されて
います。
「湯殿山(ゆどのさん)神社」は、山形県の庄内地方に
広がる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、
湯殿山の中腹にあります。
湯殿山神社は、月山の頂上から尾根づたいに西へ8キロ
下りた地点にあり、また、月山から流れる梵字川(ぼんじ
がわ)の川沿いにあります。
出羽三山の総奥の院である「湯殿山」の神の世界に、
人工の建造物を造ることは許されませんでした。
従って、湯殿山神社には、本殿も社殿もありません!
湯殿山神社へは、自家用車乗り入れ禁止のため、参籠所
駐車場から、参詣用シャトルバスで湯殿山神社へ向かいます。
上の写真は、参拝バスの終点にある「湯殿山本宮」への
上り口の石段で、石段の先の巨石は「湯殿山本宮」の碑
です。
この石段の途中の撮影禁止の立て看板から先は、神聖な場所
なので、一切の撮影が禁止です。
古来、湯殿山については、「語る無かれ、聞く無かれ」との
戒律が守られ、霊地を見た人は、絶対にその姿を他人に
言ってはいけない。
見てない人は、絶対に他人から聞いてはいけない、と
決められていました。
この様に、”聖地・湯殿山本宮”については、ブログへの
本宮の写真や風景描写も不可ということで、最もブログ向き
でない場所です・・・
湯殿山神社の本宮は、俗世と隔離された神域であるために、
参拝の際には裸足になり、祓を受けなければなりません。
我々も、禊場(札所)で、靴を脱いで素足になり、身代わり
の紙人形に禊をしてもらい、ようやく、湯殿山の御神体の
脇を上って行きます・・・
実際に足を運べば、真近かでご神体を目にすることが
出来ますが・・・(これ以降に見聞きしたことを、
他人に話したり、ブログに書いてはならない・・・)
と言う訳で、実際に見たご神体について描写したいのです
が・・・
無事に湯殿山本宮の参拝を終わり、参籠所駐車場へ戻って
来ました。
図説 地図とあらすじでわかる!おくのほそ道 (青春新書INTELLIGENCE 399) | |
クリエーター情報なし | |
青春出版社 |
「奥の細道」によると、月山の頂上から尾根づたいに8キロ
も下りてきて、湯殿山を訪れた芭蕉は、
”語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな”
の句を残しています。
(語ることを禁じられた神域のありがたさに涙がこぼれる。)
芭蕉も、他人に語る事が出来ない程の、有難い聖地を
見る事が出来て、涙が出る位の感動を覚えた、と率直な
感想を表現していると思われます。