![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/2a/fb0c7e2afcec18eab5c66b8f291d156b.jpg)
(写真は、「一夜城」の「井戸曲輪
(いどくるわ)」)
先週の日曜日(10/21)、近場なので、前から
一度行きたいと思っていた「石垣山一夜城」へ
行って来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0087.gif)
込み合う「一夜城まつり」の日を避けて、他の日
に行ってもよかったのですが、一夜城へ行くには、
急で厳しい坂道を上る必要があり、股関節炎を
抱えている私としては躊躇していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
「一夜城まつり」の当日だけは、東海道線の早川駅
から、一夜城直行のシャトルバスが20分毎に出る
ので、これを利用すれば股関節炎が悪化する
恐れもありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
1585年、豊臣秀吉は、大名間の領地争いを禁じる
「惣無事令(そうぶじれい)」を出します。
1589年、北条氏は、この惣無事令に従わず、秀吉
の裁定で真田領とされた群馬県沼田市の名胡桃城
(なぐるみじょう)に侵攻しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
(名胡桃城については、(名胡桃城)を見てね。)
1590年、これに対し、秀吉は、22万の大軍を
動員して、5万人が籠城する北条氏の本拠・
小田原城を包囲しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
強固な守りの小田原城を短期間で攻め落とすのは
困難と考えた秀吉は、長期戦の構えで、小田原城
を見下ろすここ笠懸山(かさがけやま)に、
本陣の「石垣山一夜城」を築きました。
石垣山城は、城攻めのための臨時の城ですが、
3万4千人を動員し、80日かけて築いた
本格的な総石垣の城でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
「石垣山城」が、「一夜城」と呼ばれるのは、秀吉
が城の完成とともに、一斉に周囲の木々を伐採し、
立派な城が突如現れたような演出をしたためです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
一夜にして城が浮かび上がる様を見て、小田原城
に籠城していた北条軍は驚き、戦意を喪失した
そうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
石垣山城が完成すると、秀吉は、この城に、淀君
や千利休らを呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使
を迎えたりしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
北条氏の降伏後は、そのまま徳川家康の領地と
なりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ec/0ad7c565a624bf3aa0ec8282e662060e.jpg)
JR東海道線・早川駅で下車、駅前から箱根登山
鉄道のシャトルバスで、急な坂道を上ること
10分で「一夜城」に到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d4/a37890507cb95b27f994b3c13de197cb.jpg)
現在の城址は「石垣山一夜城歴史公園」として
整備されており、 ひらけたところに駐車場が
ありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/05/56322a5d9c98175ae5cff900ed5853aa.jpg)
シャトルバスを下りて、バス停の前の臨時案内所
で、一夜城のパンフレットを貰います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b2/9a684829e7b9df78f8c61e297ee14f79.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9c/6f58647682f4833841e37548728ad985.jpg)
臨時案内所の隣の上の写真の「南曲輪の石垣」が、
先ず目に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/56/06c11a96311ab5a0b82f13f1663557ed.jpg)
この南曲輪の石垣の前の坂道を「二の丸(馬屋
曲輪)」へ向かって上って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5a/04ac83c31f82c3fe5143de6a770698b7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/90/729196fcbfbe0746cea1e0e42088c25e.jpg)
坂道の左側が「二の丸」の石垣です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/74/07d99a31d8a5963c20b2454c652b46a7.jpg)
直ぐに、本日の ”一夜城 まつり”会場の「二の丸
跡」に着きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/7e/148286c7e7ee68763c8e3d84d6d2ad5a.jpg)
正面の舞台では、和太鼓演奏、甲冑隊の
パフォーマンス等が演じられ、脇のテントでは、
茶会が催されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ee/66f6c5e03fc9c72978bb8939140b6fc8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/2a/d23380d32065a2f615d46c0df5f4d0cd.jpg)
私は、一夜城名物の「勝鬨(かちどき)玉こん」
(150円)をつまみに、生ビールを飲みながら
舞台を見物をします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/oden.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/drink_glassbeer.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0203.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/fe/0dc19d5fd5c8947f1a23b1941956a537.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/08/180e4cfe6f53f2a60dd589b1bd998517.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e0/e7ff08480064c41b84ce88acf8c9d719.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/49/535f4dc6631a4047070b1c690a95e087.jpg)
祭りの会場の二の丸跡の奥の方に見える石垣が
「本丸」の石垣です。
本丸の石垣は、穴太衆(あのうしゅう)による
野面積みです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/53/9c80da6bb6c6d2800b4b459164b5320a.jpg)
二の丸跡から、「本丸跡」(本城曲輪)への
坂道を上ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/9b/910ff55e0b3d2cceb1927e65ea148b71.jpg)
上の写真は、本丸へ上る途中から、二の丸を
見下ろしたところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/ecddde0ce4c3a215842c637871b76791.jpg)
本丸跡は、眺めの良い場所にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/fc/4b4664b85d7b7295f36f0b31cbc909e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/95/9fb37eaec3cf23f335fb01d7c6364d93.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/32/452750454dafaf9e0c0b21111bdac549.jpg)
本丸跡の更に奥の緩やかに小高くなっている場所
に「天守台跡」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/fb/d883334d4b8ebf71737895c9b8204eb1.jpg)
天守台跡は、正面からは緩やかな坂ですが、
背後は切り立った石垣になっています。
天守台跡から祭り会場の二の丸跡へ戻り、二の丸
跡の北の端にある「展望台」へ行ってみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
次頁の写真の展望台からは、小田原の市街地と
相模湾が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/8c/377858810f4e68891bde473eec4a523e.jpg)
目を凝らしてみると、かすかに小田原城の天守閣
の上の部分が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1c/5f75947ffe86ccb15fb5d95c1c17eeb8.jpg)
秀吉も、この展望台から、小田原城の天守閣を
囲む全国の大名達の色とりどりの旗印と、
相模湾から小田原の町を包囲している無数の
軍船を眺めていたのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
その秀吉が立っていた展望台に、今、私も立って
いると思うと微かに感動します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
(小田原城の天守閣からの一夜城の眺望について
は、(小田原城址公園)を見てね。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c6/b717fd1988a51d0af23563d29569b838.jpg)
物見台の右側に、上の写真の「櫓台( やぐらだい )
跡」があり、ここから、一夜城の最大の見所
である「井戸曲輪(いどくるわ)跡」へ坂道を
下りて行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dd/25b7fc9692e2e75d71fe95eb70a3d92e.jpg)
すり鉢状の形をした坂道を下り切った底には井戸
がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/61/db302bc2606463c6f812b82bed7751ec.jpg)
井戸を囲む様に築かれた石垣の壁は、想像以上に
大きくて、圧巻です!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
この井戸は、「淀君化粧井戸」とも呼ばれた
そうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d8/51cf07caa9bf6e3f6610e3c36c370b24.jpg)
秀吉に呼ばれて一夜城に来た淀君は、この井戸の
水で化粧したのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
今でも湧き水が出ているとのことでしたが、
確認できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/df/f874e7baa5488da1be01cbfcd69d6a07.jpg)
井戸曲輪跡から、再び祭り会場の二の丸跡へ戻り、
天守台の裏側にあたる道を進んで行くと
「西曲輪跡」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/85/c21a6c556854c7dc66724869d63f25c0.jpg)
天守台の下にあたる西曲輪跡の下の道を更に進む
と、上の写真のスタート地点の南曲輪跡の見事な
石垣に戻って来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/52/f0782a4ea071f7bfdda6f1d35dce0dd8.jpg)
帰りのバスの一番前の席からは、一夜城への
急で厳しい坂道が良く見えて、股関節炎の私は、
祭りの日を狙って来て正解だったと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e2/d3d9674d533eda8fabd85ce3dfafe2de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d6/4c5add0ec53379653a55aa0fb98f4e7b.jpg)
写真右側の赤い四角枠に囲まれた部分が、淀君が
化粧したと言われる井戸がある「井戸曲輪
(いどくるわ)跡」です。