ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その8) 安達ケ原の鬼婆(福島県) 2017.11.15


(写真は、奈良時代に「鬼婆」が住んでいた「岩屋」。)

今回は、「安達ケ原の鬼婆」を訪れますが、先に、その
「安達ケ原 」の「鬼婆(おにばば)伝説」について、以下に
ご紹介します。

ここ安達ケ原の「鬼婆」は、京都のある公家屋敷の乳母
でした。
長年、手塩にかけて育てた姫の病気を治したい一心から、
「妊婦の生肝(いきぎも)を飲ませれば治る。」という易者

の言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、ここ安達ケ原の岩屋

にたどり着きました。

そして、木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、生駒之助
(いこまのすけ)・恋衣(こいぎぬ)と名のる旅の若夫婦が
一夜の宿を求めてやって来ました。

その夜ふけ、恋衣が急に産気づいたため、生駒之助は産婆
を探しに出て行きました。

鬼婆は、この時とばかりに、出刃包丁をふるって、苦しむ
恋衣の腹を裂き、「生肝」を取り出しました。

恋衣は、苦しい息の下から、「私は、幼い時に京都で
別れた母を探して歩いているのです。」と語り息を
ひきとりました。

鬼婆は、亡くなった恋衣のお守り袋を見て、昔、別れた
自分の愛しい娘であることに気付き、驚きのあまりに気が
狂い、鬼と化してしまいました!

以来、宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、肉を食らい、
いつとはなしに「安達ケ原の鬼婆」と言われる様になり
ました。

数年後、何も知らずに宿を求めた紀州熊野の僧・東光坊は、
岩屋の秘密を知り逃げ出しますが、鬼婆はすさまじい形相で
追いかけて来ます。
東光坊は、もはやこれまでと、如意輪観音が入った笈(おい)
を降して祈願すると、観音像が空高く舞い上がって、一大光明
を放ち、白真弓(白木のマユミで作った弓)で鬼婆を射殺して
しまいました。

鬼婆は、阿武隈川の川岸に埋められ、その塚は「黒塚」と
呼ばれる様になりました。

奥州街道の道筋ではありませんが、江戸時代、二本松地方を
通る多くの旅人が、「安達ケ原(あだちがはら)の鬼婆」

伝説の地に立ち寄る様になりました。

芭蕉も、奥州街道から外れて寄り道しています。

私は、「安達ケ原」は、奥州街道の「二本松宿」の近くに

あると思っていました。
しかし、調べてみると、二本松宿から4キロ余り離れており、
徒歩往復に2時間かかることが分かりました。

という訳で、1日徒歩5キロ制限の私は、今回の「奥の細道」
の「安達ケ原の鬼婆」も、バスツアーのお世話になります。


(バスの中)

鬼婆が住んでいたという「岩屋」が境内にある「観世寺」
(かんぜじ)に着きました。





観世寺の境内にある色々な岩の前には、それぞれ説明の

立て札が立っています。

上の写真が、鬼婆が暮らしていたという岩屋で、張り出した岩

が笠のような屋根になっています。
ここで、旅人が来るのを虎視眈々と待っていたのでしょう。


上の写真は、鬼婆が旅人を殺した時に出刃包丁を洗った
という「出刃洗いの池」です!
怖っ~・・・

上の写真は、「蛇石」で、この石には、参詣人の安全を

守ってくれる白蛇が住んでいたそうです。

上の写真の「安堵石」は、悩み事を聞いてくれるという石
です。

次頁の写真の「胎内くぐり」は、巨岩が組み合わさった、
かろうじてくぐり抜けられる隙間のある岩なので、スリムな
体型でないと無理みたいです・・・


境内の「宝物資料館」では、鬼婆ゆかりの品々の展示が
見られます。


写真撮影は禁止ですが、ここの岩屋から出土したと言われる
鬼婆の使った出刃包丁、人肉を煮た鍋、生き肝を入れた
ツボ等、おどろおどろした品が並んでいます。

更に、鬼婆が殺戮する生々しい場面の絵巻も・・・


背筋がぞっ、ぞぞ~。



観世寺の前の阿武隈川の河原には、写真の「黒塚」が
あります。


黒塚には、杉の大木がそびえていて、その根本に「黒塚の
石碑」があります。


ここには、退治された鬼婆の亡骸が埋められているそうです。



(NHK・BS「鬼伝」から)



(NHK・BS「鬼伝」から)



(NHK・BS「鬼伝」から)



(NHK・BS「鬼伝」から)


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コメント一覧

ウォーク更家
iinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、iinaさんが紹介された浅草の姥ケ池の伝説とそっくりですよね。
余りにもよく似た話なので、ひょっとしたら、同じ出どころの伝説なのかも知れませんね。

ええ、ここ二本松の安達ケ原から一番近い山が安達太良山なので、多分そうだと思います。
ウォーク更家
きろはんさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、現代の我々の感覚とはズレた、異質の怖さですよね。
人柱に選ぶ話の様な怖さは、やはり、当時はその様な話しに違和感を感じない様なオカルト的な信仰が通用する時代背景があった、ということなのでしょうかねえ。

ええ、最近、旅の醍醐味はローカルバスの旅へのチャレンジだ!、という気がしてきました。
ウォーク更家
こもよみこもちさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、昔の伝説には、現代の我々からみると、凄いと言うか、すさまじい伝説が結構ありますよね。

そして、昔の旅人も、やはり、現代の我々と同様に、怖い物見たさで、はるばるここを訪れたみたいですね。

ええ、宝物史料館は、鬼婆が殺戮する生々しい場面の絵巻、人殺しに使った出刃包丁、人肉を煮た鍋、等のおどろおどろした品が並んでいました。
笑ってしまいそうな嘘っぽい品々のハズなのに、思わず物語の中に引き込まれて、ついつい食い入るように眺めてしまいました・・・(・_・;)

私も、こもよみこもちさんと同様に、何となくワクワクする、こうした偽物臭い臭B級観光地も好きです!
ウォーク更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
あの岩屋の巨石が、平たい土地に、どのようにして積み重なったのか?、言われてみれば確かに不自然です。

河原を流れて来たにしては大き過ぎるので、誰かが、何かの目的で、ここまで運んだのでしょうかね?
iina
怖い伝説 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/
「安達ケ原の鬼婆」が妊婦の生肝を狙うとは、怖い話しです

僧・東光坊が念じて観音さまが罰っするくだりは、浅草の姥ケ池(うばがいけ)の伝説みたいです。
この老婆も娘を過って殺します。この話題は、(更家)さんにはご案内済みでした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/620fa4c981cec3b618a88d65c90f541a

今週の19日まで福島を旅して、雪に覆われた安達太良山を見ましたが、安達ケ原に近いのでしょうか ❔

きろはん
怖い昔話
http://kirohan.com/
この話は初めて聞きましたが、日本の昔話は怖いものが多いですね。服の縫い目の方向が違った人を人柱に選ぶ話とか。。。怖い方が印象に残っていつまでも忘れないからでしょうか。

ローカルバスの旅にチャレンジというのも面白くて良いですね。
こもよみこもち
スゴい伝説です。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
すさまじい伝説ですね。

昔の旅人も怖い物見たさでここを訪れたのでしょうか。
それにしても「宝物史料館」とはスゴいですね。
私は個人的にはこういう偽物臭がぷんぷんする観光地をB級観光地と呼んでいますが、こういうの嫌いではないです。
hide-san
訂正
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
↑の「滅びろ」は「広々」の間違いです。
失礼しました。
hide-san
岩や
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
滅びろとした平野に真ん中に、
あの岩屋の石は、どのように積み込むようにして重なったのでしょうね。

どこかから運んだにしては、あまりにも大きすぎるし、
いまだに不思議で頭の中で解決できないで居ります。
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