![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b7/d423a37fbb4233e6deb62966a90ecaae.jpg)
(写真は、黒田官兵衛のシンボルである朱漆塗合子形兜と黒糸威五枚胴具足。)
8月19日(火)から29日(金)まで実家の熊本へ
帰省しましたが、29日に帰京する際に、航空便の
都合で熊本から福岡空港へ向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0037.gif)
飛行機の待ち時間を利用して、福岡市博物館の
黒田官兵衛展(7月26日~9月21日)に寄って
来ました。
博物館へのアクセスのパンフレットに従い、
繁華街の天神バスセンター前の「1Aバス停」
に停まっていたいたバスに乗り込みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
バスは、発車すると直ぐに都市高速に入ります?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/37/99ba8b87d245f3eef1dd0d6d4f3b4adc_s.jpg)
え? すぐ近くの博物館へ行くだけなのに、何で高速に?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
しまった!? 行先を確認しないで乗ってしまった・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/74/8158b8c714cb6e8e4ef94f3258f0992b_s.jpg)
高速に乗ったということは、佐賀県へ向うのかな・・・
でも、バスは、直ぐに、同じ市街地の百道(もも
ち)ICで高速を降りました。
博物館北口で下車。やれやれ、ホッ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/cd/e92a7e32595263b78417fa90ba3cb46d_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f3/3933fbb9fe5cb5b7c68a056850489a49.jpg)
福岡市博物館の敷地は広大で、建物も前の池も
写真の様に立派です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/00/b65490d26a0d8a6406d769b49d61099f.jpg)
博物館の前の素敵な通り沿いには、福岡タワーや
図書館もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/38/e4/0389fb2ddfd137c3a34e3cb0db64da5e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/28/2d/fbc60dc309378c8d1e1827c4a26ce829_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b1/273c57b8c06139df3370edf48988cef3.jpg)
博物館の1階には大きなエントランスがあり、
2階には、黒田官兵衛の生涯を表した博多人形
が並んでいます。(無料)
(下の写真の博多人形は、大宰府で和歌を詠み
ながら光と二人で暮らす勘兵衛です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/68/9b501040990eeb1644a5c279d675b43c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/42/d8b3ba902c8620d1edc938cdeaf46a4c_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8a/d6310ed28d9d2d3ebc6f1e090834532b.jpg)
同じ2階の黒田官兵衛展(1,300円)の入口には、
ドラマで岡田准一と竹中直人が実際に着ていた
衣装が飾られています。
大河ドラマのこれまでの前半は、兵庫県が中心
でしたが、これからの物語後半は、大分県と
福岡県が中心になります。
官兵衛は、大分・中津藩の初代藩主になったのち
に隠居し、長男の長政が福岡藩の初代藩主になり
ます。
ちなみに福岡という地名は、黒田家ゆかりの岡山
の福岡という地名を付けたものだそうです。
館内は、全て撮影禁止のため、以下の写真は、
全て購入したカタログの写真です。
今回の展示物は、官兵衛のシンボル「白檀塗
合子形兜 」、国宝太刀「押切長谷部」、
家臣・母里太兵衛の槍「日本号」など、
目玉がいっぱいです!
会場の順路は、官兵衛の人生に沿って5部構成に
なっていますので、私もこれに沿ってレポート
します。
「プロローグ 戦場のよそおい」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/64/e948e7b4b8bb2a8e78f0cb8d876693fc.jpg)
上の写真は、官兵衛のシンボルである「白檀塗
合子形兜 」(びゃくだんぬり ごうす なり
かぶと)」の本物です。
(岩手・もりおか歴史文化館蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
官兵衛が、常々、陣中で実際に身につけていた、
この白檀塗合子形兜の本物は、8月19日(火)
~8月31日(日)の期間限定展示です!
ラッキー!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0087.gif)
この一風変わった兜は、身と蓋からなる容器で
ある合子をかたどったものだそうです。
でも、白檀塗合子形兜が、なぜ東北の博物館に
あるの?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
官兵衛は、家臣の栗山善助に、この兜を与え
ましたが、1632年の黒田騒動の際に、善助の子
の栗山大膳が、盛岡藩に「お預け」になって
しまいます。
その時に、大膳が、この兜を一緒に盛岡藩に
持って行ったのだそうです。
そうか!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
それで、本物は現在も「岩手・もりおか歴史
文化館」にあるんだ!
知らなかったなあ~!
この兜は、白檀塗り(びゃくだんぬり)といって、
銀箔を施した上に朱の透き漆(すきうるし)が
かけれられているので赤く見えます。
現在は、表面が黒ずんでいますが、これは銀が
酸化して黒くなったためだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/9d/939a6e7b0fa8e36dc2a260c5d45dd7ec.jpg)
上の写真は、黒田官兵衛のシンボルである
「朱漆塗合子形兜」と「黒糸威五枚胴具足
(くろいと おどし ごまいどう ぐそく)」
の甲冑です。
この兜は、三代藩主・黒田光之が、官兵衛の
白檀塗合子形兜を模して作らせたものであり、
官兵衛が着用した兜ではありませんが、その下
の鎧は官兵衛が実際に着用したものだそうです。
「第一章 播磨に生まれ」
官兵衛は、小寺政職の重臣として姫路城を預かる
黒田職隆(ドラマでは柴田恭兵)の長男として
誕生しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a2/75b97861ede0d60fc13bb65934e10a3d.jpg)
上の写真の「国宝太刀:圧切長谷部(へしきり
はせべ)」は、官兵衛が織田信長に初めて謁見
した時に与えられたという刀の本物です。
(福岡市博物館所蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
私は、刀の価値は分かりませんが、黒く重厚な
光を放っていて印象的です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/89/8b8539f70b7bf6a8e082067ce31efa5f.jpg)
(上の写真の博多人形は、官兵衛が織田信長への
初めの謁見で、圧切長谷部与えられている
ところです。)
「第2章 有岡城幽閉」
秀吉の中国攻めの最中に、官兵衛は、信長に謀反
を起こした荒木村重を翻意させるために、有岡城
に乗り込みますが、逆に囚われの身となって
しまいます。
下の写真の博多人形は、土牢に閉じ込められた
官兵衛の世話をした牢番の加藤又兵衛と息子・
王松で、後に官兵衛の家臣になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d7/3f0211738bc5bb887b0d412758e023a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cc/ac6ede189aa85cb1757847f94dd25c8b.jpg)
上の写真は、官兵衛が有岡城に幽閉された時に、
黒田家家臣団が一致団結を妻・光(てる:ドラマ
では中谷美紀)に誓った「黒田氏家臣連署起請文
(きしょうもん)」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/78/7afa37c60a298445622996ee9298e9fe.jpg)
上の写真は、竹中半兵衛(重治)(ドラマでは
谷原章介)が、岐阜の寺に送った書状です。
(岐阜・敬念寺所蔵)
竹中半兵衛の史料は少なく、斎藤、浅井、秀吉と
仕えたにも拘わらず、現存する書状は、この一点
のみだそうです。
下の写真の博多人形は、"そんな紙切れに頼るな”
と、意見して、 勘兵衛が秀吉から貰った領地約束
の誓文を、半兵衛が火中に捨てているところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/52/1cbdaeb1b2f012f269e965f5314a669f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/049d4146e80053655a4d00b01b34f3e2.jpg)
上の写真は、家臣・母里太兵衛の槍「日本号」です。
(福岡市博物館所蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
刃長79.2センチ、総長321.5センチと、
3メートルを超える非常に長い槍です!
日本号には、敵の刃を受けた傷があります!
官兵衛の家臣の母里太兵衛(ドラマでは速水
もこみち)は酒豪で知られ、福島正則に強要
された大盃の酒を見事に呑みほし、正則から
この鎗を手に入れたとされます。
このため「日本号」は、別名を「呑み取りの鎗」と呼ばれています。
このエピソードをモチーフにしたのが民謡「黒田節」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0146.gif)
この槍を♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0146.gif)
黒田武士♪
柄は螺鈿細工で、刃先には龍の彫刻があり、武器
と言うより芸術品の様です。
キラキラとしていて非常に綺麗です!
下の写真は、「黒田二十四騎図」で、勘兵衛・
長政を支えた家臣たちです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1f/4375c5857dc4ae162315991a9ff5564b.jpg)
「第3章 秀吉を天下人に」
官兵衛は、中国大返し・山崎の戦いにより、秀吉
を天下人の地位に導き、九州攻め・小田原攻め等
で活躍し、戦国時代に終止符を打ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/05/0e237baa19d73baa9d8093f5d8a79536.jpg)
上の写真の観音菩薩立像は、官兵衛が所持して
いた念持仏で、兜に取り付けて、戦場でのお守り
にしていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
本物は、意外と小さく高さ僅か3.9cmです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/cd/9d99b75aa9e6eca51a6968387c11ff4d.jpg)
上の写真は、黒田長政(ドラマでは松坂桃李)が
若い頃から最も愛用した甲です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/63/4f7fc9e8cc8cb9c2ed522694a83de13a.jpg)
(関ヶ原戦陣図屏風:福岡市博物館所蔵)
官兵衛は、秀吉没後には、関ヶ原の戦いで、徳川
家康に味方して九州を席巻しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/bb/5810b6288c7f5a18b8191fc53ea28e1d.jpg)
上の写真は、黒田長政が関ヶ原の戦いで着用した
甲冑です。
四角の兜は、源平合戦の”一の谷”の厳しい崖を
表現したものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
「第4章 如水となりて」
官兵衛は、朝鮮出兵の途中で帰って来たと秀吉
の怒りをかいます。
官兵衛は、この事で死を覚悟したことを機に
出家し、これ以降、如水と号しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/43/ffe5a3650dcda0faa591a92d4db5d735.jpg)
上の写真は、死を覚悟した勘兵衛の遺言状です。
「第5章 文雅のたしなみ」
秀吉の軍師として勇名をはせた官兵衛は、また
文武両道の人でもありました。
茶の湯や和歌・連歌に造詣が深く、またキリスト
教徒でもありました。
連歌好きだった官兵衛は、晩年を大宰府で過ごし、
連歌で悠々自適な生活を送っていたようです。
”松梅や末永かれと緑立つ山より続く里はふく岡”
下の写真のこの歌に、「福岡」という地名が
初めて出てきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/80/01ecd273e7681ca13fa59d3771835205.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/aa/0ac2a6b57368863f3e7a8b5b03d37ffb.jpg)
上の写真の様に、キリシタンだった官兵衛の書状
には、ローマ字の印が押されています。
「エピローグ」
何枚もある官兵衛の肖像画の中で、下の写真が、
実際に晩年の官兵衛を見て描いたのではと
思われる細かな描写の肖像画です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/2f/cd5f60b6cac8483a3718c993cc43d3de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a7/56f660162d8bc45295e7dc743a11ecc7.jpg)
上の写真は、官兵衛の辞世の和歌短冊です。
「思いおく 言の葉なくて ついに行く
道は迷わじ なるにまかせて」
(世を達観した心境と、59年の生涯を存分に
生き抜いた満足感があふれています。)
見終わっての感想としては、内容としては官兵衛
関係のものが多かったんですが、信長、秀吉、
黒田家家臣団などの周辺人物のゆかりの品の展示
・解説もあり、なかなか見ごたえがありました。
展示室を出て、同じ2階のレストランで、写真の
「勘兵衛篭盛膳」を食べました。(1,500円)
黒田藩が栽培を始めたとされるレンコンや、
黒田家の戦陣料理だった郷土料理・筑前煮、
福岡名物・おきゅうと等の食材を組み
合わせたお膳です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/1a/d598fc69258486ab221d33cd6dcd4f58.jpg)
その中でも、写真の左下の「おきゅうと」は、
懐かしい一品です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_grin_s.gif)
寒天みたいな味ですが、材料は海藻です。
学生時代、下宿の朝食で毎日出ていました!
福岡市博物館から福岡空港は近いので、4時頃
には、羽田空港に到着しました。
ついでに、羽田空港内の無料循環バスに乗って、
国際線ターミナルに立ち寄ってみました。
羽田空港の国際線ターミナルでは、「羽田
江戸まつり」(8/28~8/31)をやっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b7/44e0cdd971072046d1b0420f5ff7b75f.jpg)
写真の様に、江戸時代の扮装をした役者が歩き
回っていました。