ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 10: 小原)   (神奈川県相模原市) 2km   2020.11.4

(写真は、小原宿の本陣の豪壮な門構え)

 

小仏峠の急坂を必死で駆け下り 、国道20号に合流、それを

どんどん進んで行くと、下の写真の「小原の郷」が見えて

来ました。

「小原の郷」は、地野菜や特産物のなどの販売店みたいな外観

だったので、日没までにJR相模湖駅に着こうと、先を急いで

いたこともあり、素通りします。

 

しかし、後で、駅の説明版を見たら、小原宿本陣保管の古文書

や資料等も展示されている、とあったので、立ち寄れば

よかったと後悔しました。

 

小原の郷の少し先の下の写真が小原宿の東口です。

小原宿(おばらじゅく)に到着です!

 

小原宿の本陣前には、次頁の写真の高札場が復元されて

います。

小原(おばら)は、尾原とも書かれましたが、これは、

古文書に「嶺(小仏峠)の尾さきにて くだりはてたる

ところのすこしひらけたるところ」とあるのに由来する

そうです。

小原宿は、小仏峠を前にして、本陣1、脇本陣1、問屋1、

旅籠7軒でした。

 

「問屋業務」については、小仏宿から峠を越えてこの小原宿へ

来た荷物を、次の与瀬宿を通り越して、更に先の吉野宿まで

継ぎ立てしました。

逆のケースでは、隣の与瀬宿へ来た荷物は、この小原宿は

通り越して、峠を越えて先の小仏宿まで継ぎ立てしました。

この片方の流れの荷物だけの問屋業務を行う宿を「片継ぎ」の

宿場と言い、この様に、二つ以上の宿で、一つの宿の機能を

持つ宿を「合宿」(あいじゅく)と言いました。

甲州街道は、山あいの小規模な宿が多かったため、この様な

「合宿」が多くありました。

 

ちなみに「東海道には53の宿場」があり、全ての宿場に、

荷物を継ぎ送る「次(つぎ)」があったので、「東海道

五十三宿」であり「東海道五十三次」でした。

これに対し「甲州街道」は「合宿」が多く、「甲州街道

四十五宿」であり「甲州街道三十二次」でした。

 

 

写真の「小原宿本陣」(旧清水家住宅)に入ります。

 

小原宿本陣は、神奈川県内の東海道、甲州街道にあった

26軒の本陣の中で、唯一現存する本陣遺構です。

 

この本陣を利用したのは、家康が最も信頼した高島藩(長野県

諏訪市)、高遠藩(長野県伊那市)、飯田藩(長野県飯田市)

の大名と甲府勤番の役人だけでした。

 

瓦屋根の豪壮な門構え、入母屋造りの本陣建物、13室の部屋

などが往時のまま残され、無料で一般公開されています。

 

本陣を営んだ清水家の祖先は、北条氏の家臣の清水隼人介で、

北条氏が減亡した後に、ここに移住し、その子孫が、代々、

本陣、問屋、庄屋を勤めました。

 

本陣建物の入口を覗いていると、脇から現れたのは、

ボランティアのオジサン風ではなく、どうもご子孫の

風格の方です。

 

 

建物の中を、一部屋づつ丁寧に説明してくれました。

 

上の写真は、大名が泊まった「上段の間」です。

 

 

(控えの間)

上の写真は、畳敷きの大名専用のトイレです。

この形式のトイレは、トイレの下が砂箱の引き出しになって

いて(赤色矢印部分)、専任の医者が、毎回、砂箱を

引っ張り出して、殿様の健康状態をチェックしていた

そうです。

「写真をドンドン撮ってブログにアップして構いませんよ。」

と言われたので、遠慮なく沢山の写真をアップさせて

いただきます。

2階にも上がってみます。

2階には、写真の様に、機織り機や養蚕棚がありました。

(五街道の本陣については、「東海道・草津宿本陣

舞阪脇本陣」、「中山道・松井宿:お西茶屋本陣」、

「日光街道・雀宮宿脇本陣」、「奥州街道・白河宿

柳屋脇本陣」、「甲州街道・日野宿本陣」を見てね。)

小原宿本陣を出て、 小原宿を散策します。                                                                                                                                                                                       

 


上の写真は「小松屋」跡ですが、小松屋は、「ひかえ宿

小松勇右衛門」とも呼ばれ、本陣と脇本陣の控え(予備)の宿

の位置づけで、小松勇右衛門が営んでいました。

 


 上の写真は「伊勢屋」です。

 

 

 逆光で見辛いですが、上の写真の左手前が「藤屋」です。

街道沿いには、写真の様に、太い化粧桁を並べた「出桁造り」

と呼ばれる民家が点在していて雰囲気があります。

 

出桁造りの民家の2階は、蚕の飼育、機織りなどに使用されて

いました。

 

小仏峠の急坂を駆け下りた影響か、股関節炎が再発した

みたいで、足を引きずりながら歩きます。

 

 

日没前に、JR相模湖駅に到着しました。 


小原宿から次の与瀬宿までは僅か2キロです。

 


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コメント一覧

ウォーク更家
小原宿の次は無理せずに
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、宿と次の違い、ややこしいです。

ええ、小原宿本陣は、ホントに立派な造りのうえに、傷んだ箇所もなく素敵でした。

股関節炎をおしての街道歩きで、小仏峠の急な下り坂で再発してしまいました。

これからは、駆け下りたり無理せずに、山道をゆっくりと歩く様に心がけます。
もののはじめのiina
小原宿の次は・・・ 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/131880284aeb932e404a81cbe77f4c29
> 「甲州街道」は「合宿」が多く、「甲州街道四十五宿」であり「甲州街道三十二次」でした。
宿と次に違いがあったのですね。ややこしいです。

小原宿本陣はずいぶんと立派な宿ですね。
身だしなみをととのえるために、「ちょんまげ」を結って旅をつづけるのも、たいへんなことのように思えました。

また、股関節炎をおしての街道歩きは大変でした。


ウォーク更家
苦戦しながら楽しんでます
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。
股関節炎が悪化しない程度に、細切れでスケジュール調整します。

そうでしたか、小仏峠越えは、紅葉観賞が目的で、6年前の12月でしたか。

峠越えは、私は一人だけでも大変でしたが、奥様の面倒を見ながらだと更に大変そうです。
でも、結果的には奥様もご満足の様子だったみたいで良かったです。
みや
楽しんでますね
ちょっと見ない間に、日野宿~小原宿と甲州街道の楽しい部分を走破していたのですね。
http://miyakatsu1968.livedoor.blog/archives/2423510.html
私がこの区間を歩いたのは、最近と思っていましたが、8~6年前です。
年を取るはずだ...
股関節炎が悪化しない程度に甲州街道を楽しんでください。
ウォーク更家
次と宿の違い
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
何となく使っていた「次と宿」、正確に調べてみると面白いですよね。

色々と調べながら街道歩きをしているので、私自身も勉強になっています。

そうですか、「とある旧街道」の走破、ブログアップを楽しみにしてます。

ついにGoToキャンペーンも打ち切りになりましたね。

私は、GoToキャンペーンの規制論議が始まる前の10月から、これを利用して、鳴子温泉と銀山温泉に3泊して、奥の細道の平泉から最上川の間の芭蕉遺構を全て見物してきました。
厳しい寒さのためにこの甲州街道踏破を一時中断する予定ですが、そこから、この奥の細道の続編をブログアップ開始する予定ですのでお楽しみに。
コスモタイガー
次と宿
https://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
なるほど!
次と宿!
まさに似て非なるもの。
今更ながら、そこの部分、深く考えてなかったので、勉強になりました。
分かりやすい説明、ありがとうございます。

ネタバレになるので言えませんが、今もとある旧街道を粛々と走ってるわけですが…。
ついにGoToキャンペーンも打ち切りになりましたね。
再び自粛モードが強くなるのでしょうか…?
ウォーク更家
「東海道53次」の「次」の意味
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、何となく自然に「東海道53宿」のつもりで「東海道53次」と言っていましたが、「次」の意味を理解すれば頭の中がクリアなりますよね。

ええ、私の股関節炎は爆弾を抱えての街道歩きなので、極力、1日の歩く距離を短くしようとするのですが、山梨県の甲州街道は、電車もバス無い長い区間も多く、計画を練るのに苦労しています。

そうですか、糖尿病の合併症ですか。
私も糖尿病なので、用心しながら歩く様にします。

手術が巧くいって、来年の春先から、おくの細道の続きが出来る良いですね。
hide-san
東海道53次
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
53次の「次」の意味がよく解りました。

股関節炎は無理をすると、取り返しがつきませんので、
どうぞお気を付け下さい。

ボクは糖尿病の合併症で、右足の血管が一部詰まって居り、
直そうと調べたら、まず最初に心臓の冠動脈が先で、
以後、足の動脈を広げる手術をします。
それが終わったら、「おくの細道」を続けようかと・・・・
来年の春先ですね。
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