脇道に映える一輪の花の如く

一人一人の内なる力を活性化しながら、外の環境に依存することなく、自身の内側を信じながら歩き続けましょう。

死んだら、泣く?

2018-04-09 21:51:02 | 日記
人は色んな人の関わりの中で生きています。
その絆は、深いものもあれば薄いものもあります。
ものすごく感謝する人もいれば、一生許すことのできない人もいます。
それは、その人の関係性、物語を通じていますので、とても合理的です。

突拍子もない質問ですが
人はだれかが死んだときに泣くと泣かないの区別はどこなのでしょうか?
また、自分が死んだときに泣いてくれる人はいるのでしょうか?

今の質問は自分を通してですが
私たちまで遺伝のバトンをつないでくれたご先祖様たちにも同じことが言えます。
亡くなった人たちは、忘れ去られた存在になりつつあります。
その人が生前に残したものを思い出して、記憶を横切ることはありますが
基本的に人間は生きたもの同士の関わりで生活をしていますので
亡くなった人たちのことを思い出すことはあまりありません。

自分がもし亡くなった側の視点にたつとき(遅かれ早かれこちら側にはいつか行きます)
自分の子孫たちが、自分のことを思い出し感謝してくれたどうでしょうか?

これはあくまで仮説ですが
肉体は滅びても魂は不滅ですので、その感謝の気持ちは本人たちに必ず届きます。

ですので、思い出したときでよいので自分にまで命をつないでくれたご先祖様たちに感謝をしましょう。
見返りを求めた気持ちも全部届きますので、それも知って置いてください。

感謝の気持ちは空間を超えて、必ず相手に届きます。
そして巡り巡って、あなたが窮地のときに様々な形で手を差し伸べてくれるでしょう。
可愛げのある子孫(常日頃に感謝を行う)が困っているときに、何かをしたくなるのは当然でしょう。
それが出来るのがご先祖様の特権なのですから。
素直なご先祖様への感謝は、何ものにも勝ります。

今日という日も、丁寧に大切に生きていきましょう。
ありがとうございます。

本物になるか、贋作になるか

2018-04-09 21:01:35 | 日記
巷には、様々なものが販売されています。
金額が高い一点ものから、量産型の格安品までいろいろ出回っています。

高いものはそれなりの品質が保証されており(中にはぼったくりもありますが)
安いものは、やはり安いなりの理由が存在しています。

人間も同じような理屈が成り立ちます。
まず、今の社会に当てはめれば
一点ものの価値があれば、それなりの給料を提示されることでしょう。
逆に、秀でたものがなければその他大勢と同じような給料を提示されてしまうことでしょう。

そして、また別の視線から考えてみましょう。
魂の観点からです。
魂にとっての一点もの、価値の高いと言われる所以は何でしょう?
資格などの技術でしょうか?
それとも、秀でた頭脳なのでしょうか?
実は魂にとって一番大切で唯一の価値は愛情です。
どれだけの愛情を発露できているかが大切なのです。

これは、今の社会では評価をされませんし、逆に甘いという低評価を受けることになります。
社会にとってはいらない人というレッテルを張られかねません。
今の社会で上に登ろうとするならば、情を捨てることも必要と思うこともあるでしょう。
情があるために他人に欺かれることもあるでしょう。
人を切り捨てることも必要となることもあるでしょう。

このバランスはとてもあいまいで誰もが答えを出せないのが正解なのかもしれません。
生活のため。
生きていくため。
この世界はときにとても残酷で、どこまでも公平であるがゆえに私たちも手段を選ぶ余裕がないときがあります。

それでも、私たちは本物になるか贋作になるかを選ばなければなりません。
それは時代によっての価値観、そして魂の価値観でいとも容易くうつろぎます。
心の内に秘める尊い価値観と本物志向により、日々の生活の中で自分の個性(色)を磨き上げてください。
時間はかかれども、それはあなただけの本物になります。

今日という日も、丁寧に大切に生きていきましょう。
ありがとうございます。


変化の兆し

2018-04-09 17:14:30 | 日記
変化を起こすには、ある条件が必要です。
それは、自分自身の行動にたいして疑いをかけることです。

「本当にこれで大丈夫なのか?」

これをきっかけとして、色んなことを再確認を始めます。
そして他の選択肢を模索し始めます。
これが何を意味すかというと、一本道ではなくおぼろげに何本もの道が見えてくるということです。
色んな道が見えてくるということは
より良い道を選ぶ可能性が出てくるということです。

自分自身にたいして、疑問を投げかけるということは
マイナスなことを自分に投げかけるということかもしれません。
けれど、実際にはより良い未来を選ぶ可能性を見つけることをしているのです。

必要な思考というのは
上手くいかないであろう自分を回避するために何を行うことができるのかを考え
実際にそれを行うことだと思います。

大切なことはすべてあなたの中にそろっています。
外ばかりに目を向けると疲れてしまいますが
内側に目を向けていくと楽しさや充実さをたくさん発見できます。

あなたに幸ある芽吹きが起こせますように、良き風が舞い込みますように
ひとつでも良き変化ある行動が起こせますように。

今日という日も、丁寧に大切に生きていきましょう。
ありがとうございます。

あきらめない勇気と、あきらめる潔さ

2018-04-09 14:52:26 | 日記
これに関しては、どこまで問いただしても正しい答えなどないのかもしれません。
後から振り返っても、その選択が本当に良かったかどうかなんて結果論でしかありません。

ただ、その時々の自分が全力だったかどうかで
自分自身を納得されるかどうかが変わってきます。
あれ以上は、もう何もできなかったというくらい
やるべきことをすべてやって
後はお任せの心境で毎日を過ごしていると
あまり後悔をしないような気がします。

これはあくまでも経験論ですので
これを参考にするかどうかは自己の判断にお任せします。

悩む時間は、本気で悩もうと思えば無限に近いほど悩むことが出来ます。
でも時間は有限なのです。
つらい、苦しいと感じる中でも自分のできることを探し
やれることがまだあると発見できたなら
出来ることをただただやり続けていく。

全てをやり切ったあとに答えを出すのもありなんじゃないかなと思います。
早急に答えを出そうとすると判断を誤りますので
まずは、できることを洗い出してみましょう。
宙ぶらりんにした状態で、やれることはすべてやる、というスタンスで臨んでみましょう。
自分でも予期せぬような素敵な未来が待っているかもしれません。

今日という日も、丁寧に大切に生きていきましょう。
ありがとうございます。

たとえ上手くいかなくても

2018-04-09 07:20:46 | 日記
人生において何をやっても何一つうまく行かないときがあります。
パズルでいえば、どのピースもあてはまらず、同じところをずっと行き返しを繰り返している。
そして心身だけが疲れて何も得ることができず、先も見えずにこのままで本当に良いのかと自問自答を繰り返す。

だけど、その中でもへこたれない人がいます。
それは結果をもとめずに、経過だけを楽しむ人です。
行為自体に楽しさを見出す人は、どのような結果が訪れても気にしません。
何回も行動することにも苦にもなりません。
行動自体が楽しいからです。
前進することに戸惑いも迷いもありません。

人生をおおらかに楽しむ人は
視ている視点が違うのかもしれません。
実は、挑戦できること自体が貴重な時間なのかもしれませんね。

一体、人生においては何が大切なのでしょうか?
その価値観は自分を楽しませてくれるものなのでしょうか?

今一度振り返ってみると色んなことに気づくかもしれません。
大切なことだと教えられたことは実は先入観だったかもしれません。

あなたの内側から湧き出る大切な価値観をあなた自身で見出してください。
きっと、見える世界が変わるはずです。

今日という日も、丁寧に大切に生きていきましょう。
ありがとうございます。