かもうな
思わず治郎はその子馬に駆け寄り頬釣りをした。子馬は治郎が来るのをまるで待っていたかの
ように軀を治郎に預けた。運命とはどのような出会いを生むか分からない。神はすず風と言う
駿馬を治郎に授けたのである。馬を飼うについて養父時右衛門は一つだけ治郎に約束させた。
すず風の手入れはすべて次郎が行うこと、只それだけであった。それからの治郎は常にすず風
と共にあった。夜は厩舎ですず風と寝、朝起きては水やり、飼葉を与え、毛並みを整え周囲を
散歩する日課が続いた。月日が巡るのは早いものである。宝暦2年(1752)次郎は19歳の凛々し
い青年、すず風は逞しい6歳駒にと成長していた。子馬の時には目立たなかった白い七班がくっ
きり見えて際立っている。
幸福をもたらす馬
幸福をもたらすという”七班”とは
宮城県塩竈市に奥州一宮 塩竈神社が鎮座している。春には桜が咲き誇り花見客でも賑わう
ところでもある。そこに”七班”由来の幸福をもたらすと言う御神馬の由来がある。
では七班とは何を称するのかと疑問が湧くのではないのでしょうか。七班とは馬の特徴を表
しており、上の御神馬金龍号の写真ををご覧頂きたい。白の模様が七ッあるのが分かるかと
思います。つまり、鼻筋に一、舌筋に一、四脚に四、尾尻に一の白い班で、この班がある馬
は非常に珍しく「才馬」とも呼ばれ、よく神社などにも奉納される特別な馬になりまさす。
塩竈神社御神馬略記には、文和5年(1356)奥州探題によって寄進され、延宝3年伊達四代の
綱村公から伊達家が寄進し十三代伊達慶邦公まで続いたと記載されています。残念ながら馬
の需要が減り昭和55年宮城県鳴子町で参し奉納された「金龍号」が最後となりました。
運命とは不思議なものである。もし治郎との出会いが無かったらすず風は、おそらく一生駄
馬として苦難の道を歩んだことであろう。運命の神は治郎に駄馬を与え駿馬にする試練を与
えた相違ない。
集約(9)に続く