誰でも自由なこころで 時代小説「かもうな」掲載中

江戸時代の仙臺藩髙橋家に養子に入った治郎の生涯を愛馬のすず風を通して描いた作品です。時代考は本当に大変でした。

かもうな すず風 第二之巻(九)

2024年02月29日 13時42分07秒 | 日記

躑躅岡(榴ヶ岡)

                          宝暦二年(1752)清明の四月五日は穏やかな小春日和であった。                                       

                 奥州仙臺ではこの時期が一番住みやすい季節である。

 いつもは寂しい梅屋敷の前も軽やかに歩く人達の姿が見えるのであった。

 

 一方、梅屋敷では時右衛門が武士にあるまじく尻張折り(しりはしり)を

  して庭の手入れに夢中である。だいたい時右衛門は何事にもまめな性分だ。

出仕から帰宅すると継上下を脱ぎかえ着流しとなる。

水桶で顔手足を洗い、番茶を飲みながらの読書が始まる。

    腰の小刀は邪魔だと称し、扇子を帯に差して極楽、極楽と云っては笑っている。

 

    ちなみに、髙橋家の日課は明ヶ六ッ(日の出)と持って起き、暮六ッ(日没)に

    は寝るようにしている。「米一升、油三升」と云われたくらい当時の油は高かっ

のでそうならざるを得なかった事情もある。

 

    朝食はいつも一汁三菜、それを食べ終わるとお豊が時右衛門の月代(さかやき)

に剃刀をあて、櫛で鬢を整える。治郎はその次となる。

 

    昼食はぬきで夕飯も朝食と同じく一汁三菜であるが、時右衛門だけは朝食と夕飯

を晩茶のお茶漬けで過ごすことがある。

 

   今日は雲一つない快晴、次郎はすず風を駆って躑躅岡(榴ヶ岡)の桜見物にと

思い馬袴を穿き玄関に向かった。その時お豊(養母)が納戸から

「次郎 今日はすず風と躑躅岡に参るのですか」

「はい 天気も良いので参ります」

「私もお供してはいけませんか」と養母の控えめな声が聞こえた。

 

治郎は突然のことなので返事に窮しながら

「はい どうぞ」と云ったが、心ではすず風に乗馬できないという失望が

あったことは歪めない。

・・・・・次回に続く・・・・・

 

編集後記

妻が要介護2となり何かと忙しい毎日を暮らしています。

遅ればせながら続編を書いて行きたいと思っております

のでよろしくお願い申し上げます。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿