かもうな
話は次郎の幼き日に戻る。
次郎は幼い時から動物が大好きであった。白石では三毛猫をかわいがり
昼は肩に乗せ夜は共に寝た、描く絵には必ず馬がある程馬が大好きであ
った。養父時右衛門はそのような次郎の性格を的確に見抜いていた。
馬市に次郎を連れ出したのはそのような事情があったからである。
養父時右衛門の過っての愛馬疾風(はやて)は十数年前に亡くなってい
る。それ以来二度と馬を飼うことはなかった。疾風(はやて)が愛おし
かったからである。その後、彼は己から馬への未練を捨てた。しかし次
郎の人生はこれからである。幸いにして次郎は利他の心を持ち合わせて
いる。この子を伸ばすには大好きな馬を与え己の力で自分が選んだ道を
貫き通させることが大切だと時右衛門は考えた。
※利他の心とは仏教用語で「自利利他」と言い、自分が幸せになると
同時に他人を幸せにすることと説いている。龍樹菩薩は「利他者即是
自利」(他を利するはすなわちこれ自らを利するなり)と説いている。
さて、次郎が養子に入って間もなく養父時右衛門は「馬相図」「解馬
新書」を与え次郎に読み聞かせた。とくに次郎のお気に入りは馬相図
であり、躍動感溢れる馬の絵が色鮮やかな色彩で描かれているおり、
次郎は片時もその本を離さなかった。馬事に関する知識が次々と次郎
に吸収されるを見届けながら伊達家伝来の「大坪本流武馬必要」で馬
医術を学ばせ次郎15歳のときすず風を与えたのである。
16歳になり仙臺城の追廻馬場での乗馬訓練が始まった。いつも傍には
養父時右衛門が付き従い馬術の基本である”居鞍乗り”から始まり”立ち
透かし”の技を伝授している姿があった。
当時、仙臺城城内の追廻馬場は仙台藩士子弟の乗馬訓練の場所とされ
長さは約200間程あり青葉川(広瀬川)河岸にありその敷地には北厩、
中厩、馬繋舎が配置され、藩の御用馬数十頭余りが養育されていた。
集約(10)に続く
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