佐倉順天堂記念館に行って調べてきました
先日、佐倉新町通りのイベント中に お寺の敷地内に佐藤泰然氏の石碑を偶然見つけ 興味を持ったのがきっかけ
泰然といえば幕末の蘭方医 長崎で蘭医学を学んだ後江戸に塾を開き 近代医学に大きく貢献した。
「西の長崎 東の佐倉」など標語ができているくらい近代医学に影響を及ぼした人物だ。
だが、そこには興味などない。
「東洋医学が現在ここまで影をひそめたのはなぜか」を単に知りたいだけで、記念館にそのヒントになる資料を探しに行った。病気になったお陰で 希薄な無関心男ではいられなくなっただけ。病気の原因を理解し 二度と再び病気にならないようにする為には、東洋医学の知識が必要だと感じていたからだ。
■ 西洋医学は 「病気になってから」 病気やケガの治療をするのが目的
■ 東洋医学は 体の内側から治療する あるいは「病気になる前に」防ぐ治療法 薬物療法=漢方医学,物理療法=鍼灸医学 両者まとめて東洋医学
~ 本題に入ります ~
古文書は撮影禁止 説明書きにより
▼ この建白書には漢方医術に抵抗して、藩内に西洋医術を発展させると書いている
<157年前>
▼ 尚中の建白 藩においては西洋医術のみを採用して漢方医術は廃止し、 年若い藩医や藩医の子息などは、西洋医学を学ぶことになった
■ お互いの得意不得意を補いながら共生するという発想はなく西洋医学を推して、従来の日本の伝統医学である漢方医術 (東洋医学) を意図的に衰退させたと自分なりに解釈した。
■ 思案すると、西洋医学に驚嘆している隙を突かれた日本の政府は”あの勢力”によって力で支配され 意のままに操られ (病気やケガの原因が何であるか突き止め その原因の除去を目的とする) 漢方医術が衰退するように貶められてしまった。
その成れの果てが今の世で 病人が増加、医療費が増加、おまけに医療ビジネスは外国資本。 敗戦国となった日本は詐欺の手口に貶められ邪悪な者の隷属国家に成り下がってしまった。
しかしこれから先の世界は自分達で創造できるのです。世界的な不正は暴かれ邪悪な者は駆除される。 必ず改善されて塗り替えられていくと信じています。詐欺の手口を理解し 恐怖に洗脳されず 現状に押し潰されることなく 素晴らしい未来を想像しましょう。
■ 尚中氏とは…… 佐藤泰然は、自分の子どもにあとを継がせるのではなく、優れた弟子の中から後継者を決めた つまり、尚中を養子とした。果たして泰然の本心でそうしたのでしょうか?
■ 漢方医術は5千年の歴史がある?西洋医術に驚嘆している様子が読み取れる。
▼ 中学生向けの本
佐倉順天堂三代目院長 (佐倉近代医療を担う)
■ あの オランダ医学の塾が旧佐倉順天堂
■ 現在自分達が 外科的手術や救急救命など 東洋医学にはない治療が受けられるのは、先人達が西洋医術を習得し世に浸透させたからだと思います。 当時はオランダ語の書物しかなく 西洋医術を習得するには、先ずはオランダ語を一から勉強することから始まったとのこと。尊敬に値します。