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山本七平信者との対話 その③

2009-07-12 20:58:28 | マスコミ、ネット

その①その②の続き
 コメントに見るtikurin氏の宗教観は興味深い。氏がキリスト教徒なのか不明だが、親近感を抱いていることだけは分った。氏は聖書も読んでおり、新約聖書からの引用もあった。山本ことベンダサンは『日本人とユダヤ人』の中で聖書でも特に旧約を読むことを勧めていたが、tikurin氏はもっぱら新約の例を挙げていた。氏のコメントを紹介したい。

私は、それは、唯一絶対神と人間との垂直の契約関係を基軸にして、人と人の横の関係のあり方を述べたものと理解しています。「自己絶対化」とは、神ならぬ人間である自己自身を絶対的な位置に置くことです。私はその危険性を指摘しているだけです。mugiさんは一神教が「自己絶対化」につながることを心配しておいでですが、聖書における神と人間との関係は基本的に律法的契約関係であって(それも新訳では隣人を慈しむことを第一義としている)、人間の方から神に接近しそれと無条件に臨在感的に一体化することではありません。いうまでもなく後者は日本的な神人関係ですね。ただ日本の場合は神概念そのものが絶対神ではないので危険性もないのですが、これが平田篤胤のように日本神話を(イザナギイザナミをアダム、エバに擬し)創造神話化すると、その末裔に、神と人が万世一系でつながっているゆえに、自分自身を絶対化するものが現れるのです。これが昭和の超国家主義の源流となったのです。

 聖書の解釈はキリスト教徒の間でも様々だし、tikurin氏が上記のように理解するのは全く自由である。新大陸での原住民殲滅はさて置き、異教徒から見れば西欧での隣国間の果てしなき戦争、異端審問魔女狩りの歴史から、“隣人を慈しむことを第一義”など理想論の建前に過ぎない。理解というよりも願望解釈にちかいのではないか。そもそも、一神教とは文字通り異端や他の宗教を認めないことで成り立つ宗教ゆえ、信者集団を絶対的な位置に置くのは当然の結果である。
 カトリックの頂点に立つ教皇は建前上は平信徒と神の前では平等だが、“神の代理人”ゆえその存在の絶対化ははかり知れないものがある。ユダヤ教徒にとって新約は教典ではないが、キリスト教徒には新約はもちろん旧約も聖典。現実には後者の振舞いは新約よりも旧約に近いものがあるのは明らかだろう。

「日本神話をイザナギ、イザナミをアダム、エバに擬し…」という発想が実にユニークで唸らせる。そのようなことは全く思いつかなかったし、本当に人の考え方は多様だと感じさせられる。国家神道は一神教に影響を受けて創設されたと私も考えていたが、今時神と人が万世一系で繋がっていると信じる日本人は至って少ないのではないか?若い人はイザナギ、イザナミの名すら知らないのが大半だろう。万世一系の神話を持ち出すのにはアナクロニズムを感じさせられる。
 そして氏が言う超国家主義も、確かに日本史上昭和のそれは異様だが、如何なる形態を超国家主義と定義するのだろう?皇帝は絶対神でもあった歴代中国王朝もその意味では超国家主義だし、聖俗一体のオスマン朝もそれに含まれるだろう。国王が教会の首長(信仰の擁護者)を務め、イギリス国教会を国教としている英国もまた大英帝国時代は超国家主義的ではなかったか。

 tikurin氏とのやりとりで一番驚いたのは以下の応酬。
私:「思想というものは、自分がそれで生きられれば十分のものであって、他人に強制するものではないと、山本は常々いっていたそうですが、これは一神教なら難しいでしょうね。
氏:「では、多神教or汎神論の日本人にはこれができるかというと、難しいようですね

 つまり氏は一神教徒より多神教徒や汎神論者こそ、思想を他人に強制する傾向があると考えているのだ。汎神論の定義もまた複雑なものがあるが、一神教・多神教を問わず殆どの宗教は汎神論的要素を含んでいることはご存知なかったのだろうか?ヒンドゥー教も典型的な多神教or汎神論だが、これほど多様な思想を認めた宗教も珍しい。氏の言葉から山本が多神教or汎神論の日本人をどう見ていたのか、ようやく判りかけた。
 山本は左翼からレイシストと非難されたそうだが、私の印象では彼の思想で差別感が出ているのは朝鮮人でも中国人、ましてアメリカ人にではなく日本教徒、つまり非キリスト教徒日本人に対してだった。敬虔なクリスチャンなら、それも無理はない。同じ日本人ではなく選ばれたるキリスト教徒なのだから、蔑視も不思議はない。

 他にtikurin氏の紹介した山本の言葉で、面白いものがあった。
-山本七平の『一つの教訓・ユダヤの興亡』には、竹山道夫(竹山道雄?)氏が、「新訳のなかのユダヤ人呪詛の文句を法王はどうして削除しないのだろう」といったことについての反論が書かれています。要するに、「正確に記録して後世に残す」こと。「恥になるからといって隠蔽しないこと」これがどれだけ重要か、ということをいっています…

 異教徒の私には全く苦笑させられる。ユダヤ・キリスト教徒が「正確に記録して後世に残す」ことばかりしていたと見ていたのならば、実にお目出度いとしかいう外ない。新訳のなかのユダヤ人呪詛の文句も法王は恥とは考えてなどいない。聖書の中の誇張、矛盾、歪曲などから、どれだけ正確さが期待できようか?聖書そのものが神話的要素をかなり含んでおり、いくら不都合な記録が抹殺されたのやら。聖書専門書店経営者の山本に、このようなことは絶対言えないだろうけど。
その④に続く

◆関連記事:「キリスト教の本質

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4 コメント

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Unknown (ap)
2009-07-27 01:28:55
>私:「思想というものは、自分がそれで生きられれば十分のものであって、他人に強制するものではない」と、山本は常々いっていたそうですが、これは一神教なら難しいでしょうね。
氏:「では、多神教or汎神論の日本人にはこれができるかというと、難しいようですね」


すみません。ここ以降よく理解できません。
仰せのとおり、これは一神教では難しいというのは、理屈ではそうなんですが、現実の日常では汎神主義の日本人が一番同調圧力が強く、私の知るどの欧米人、中東・パキスタン出身のイスラム教徒とも、そのほか日本人以外の誰も、日本人のように自分の生き方を他人もすべきという考えの人にはお目にかかったことがありません。だから実感としては、
氏:「では、多神教or汎神論の日本人にはこれができるかというと、難しいようですね」
というのは、体験上、全くその通りだと感じるのですが、もう少し説明していただけないでしょうか。
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apさんへ (mugi)
2009-07-27 22:19:45
 記事にも書きましたが、汎神主義というのは一神教でも含まれる要素があります。そして汎神主義の強さでは日本人よりヒンドゥー教徒のインド人が上。しかし、同じヒンドゥー教徒でさえ複雑なカーストと人種さえ違う有様。日本人が同調的圧力が強いのは農耕社会という点があるはず。団結する必要がある農耕社会では、どうしても同調性が求められる。教義上では汎神主義がないはずの儒教圏もまた、同調性はきわめて強い。ヒンドゥー社会もカースト内で掟に背いたとなれば、カースト追放など激しい処置をとります。火事と葬儀は除く日本の村八分など、他国ならば村十分ですよ。これはインド、西欧、中東も全く同じであり、村から追放、葬儀も出さない。

 在日パキスタン人の夫を持つ女性から何度かコメントを頂いており、彼女の話では一概に教条的なムスリムばかりではないにせよ、ガチガチの原理主義に凝り固まっている者もおリ、その類に限って宗教戒律の遵守を同胞に求め、厳格な態度を取ったりするとか。あの国自体、宗派間の対立は凄まじく名誉の殺人も世界で最も多いわ、不信仰者とみなされれば生命の保障もないのをご存じないならば、あなたはパキスタンについて何も知らないとなりますね。イスラムの名での同調圧力は宗教的に正しい行為だから。

 そして、欧米もまた村社会は日本に劣らずあるのです。拙ブログにブックマークしている「ブルガリア研究室」さんは海外生活が長かった方ですが、共産圏のブルガリアはもちろん欧米もまた同調圧力はあり、日本以上にコネが効く社会であると仰っていました。
 あなたの知る欧米人、中東・パキスタン人も異教、異民族の国で日本の習慣に合わせている可能性もあるはずです。しかし、慣れてくれると己の宗教を迫る者もいる。現にパキスタン移民など、イスラムに改宗しないと地獄に落ちると現地人を脅す者もいるし、私も子供の頃、欧米人宣教師に「キリストを信じないと、地獄に落ちる」と言われました。あなたの知る外国人も本国ではどのような態度をとるのか、見ものです。現代、私の知る限り最も同調圧力が強いのは儒教圏に思えますし、五人組の発祥の国も中国ですよ。

※ところで、あなたのハンドルの“ap”ですが、もしかすると「一知半解」さんのブログで散々愚にもつかぬコメを書きなぐっていた超暇人apeman殿と同一人物でしょうか?その類ならば、今後一切返信するつもりはありません。あの手合いは相手にする価値もないし、外国人はおろかネットでも同じ左派からも相手にされない惨めなネット廃人の孤立者でしたからね。
 私も昔2ちゃんねるをしていた体験から知っていますが、あの掲示板はニート(中高年もいた)の巣窟でもあり、連中にはやたら外国人と付き合いがあるとホラを吹く者もいて、特に左翼にそのタイプが多かった。
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Unknown (ap)
2009-07-29 12:09:15
管理人様、
大変ご丁寧なお返事をいただき、誠にありがとうございます。とても勉強になりました。こちらのブログはたびたびお邪魔する、一知半解さんのブログからみつけました。そちらのブログにも時々、コメントさせていただいたことがあります。ブログ主さんと比べると、私は思考力も文章力も無いのでコメントの内容も一貫性が無く、誤字・脱字だらけで、見る人によっては私のコメントは、本当に『散々愚にもつかぬコメを書きなぐってい』るに違いありません(笑)。こちらの記事を楽しんで読ませていただいておりますが、単純に良くわからなかったので質問させていただきました。残念ながら、apeman さんという方のことは存じません。私は個人的に接触のあったパキスタン人は一人しか知りません。大変頭の良い方で、もちろん回教徒でした。なぜかインド人のことを、彼らはヒンドゥー教徒にもかかわらず、文化的にはほとんど同じ民族だと、いつも言っていました。インド人は表面的にはもっと多数接触する機会がありましたが、ちょっと仕事上個人的に知ることになった方は(シークなのでヒンドゥーじゃないですが)、一見大人しそうに見えるんですが、ちょっと立場が上になったと見るや、非常に独善的で他人にあれこれ命令し、目上には大変従順で、しかも下をまとめて指導するような良い意味でのリーダーシップもなければ、なんでも人に押し付けて、できるだけ自分は動かない(自国でかしずいてくれる使用人と同じだと思ったのかもしれない)ということがあって、鼻白んだことがあります。
>私の知る限り最も同調圧力が強いのは儒教圏に思えますし、五人組の発祥の国も中国ですよ。
やっぱりそうなんですね。
>連中にはやたら外国人と付き合いがあるとホラを吹く者もいて、特に左翼にそのタイプが多かった。
ひょっとすると、そうなのかもしれません。私は日本にいたときは、戦争放棄、9条支持者で完璧に日教組の洗脳教育が染み込んでいましたが、一度外に出てみると、この考えがいかに異常か、他国の人の生活体験の話から実感することになりました。日本嫌いだと思っていたのですが、ethnocentricity からは逃れられず、アメリカ人に「あなたは国粋主義者か?」とまで言われたことがあり、どちらかと言えば左寄りだったと思っていたのですが、今ではどうやら保守、9条破棄・核武装賛成派です。
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ap様へ (mugi)
2009-07-29 21:10:56
 再びコメントを有難うございました。一知半解さんと違い時事問題もない拙ブログを読まれて頂いたとは光栄です。

 分離独立で別れましたが、パキスタンは元々インド領であり、インド国内にもムスリムは多数いて人種、文化的には殆ど同じ民族です。インド人のイスラム改宗者の大半がパキスタン人の先祖です。
 さてインドですが、カーストは根強く残り、常に自分の階級を意識せずにはいられない社会だと、ヒンドゥーのインド知識人さえ書いています。上下関係は強迫観念となっており、一応平等が教義のはずのイスラムやキリスト、シクまでも、ヒンドゥーほど厳しくなくともカーストはあるそうです。基本的に異教徒、異民族はアウト・カーストですから、下と見れば召使扱いするのでしょうね。特に親切な日本人だと、体よく使われます。

 私は海外に住んだことはありませんが、海外居住した人の殆どは愛国主義となると聞きました。私も若い頃は時代の影響もあり左翼ではなくとも左派寄りでしたが、今は違います。九条固持派の如何わしさは、その平和主義を隣国には絶対言わないこと。ただ、親米保守派も胡散臭い者もいるし、山本七平もどうも怪しく感じる点があります。
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