トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

カエサルとウェルキンゲトリクス その二

2011-10-17 21:11:58 | 音楽、TV、観劇

その一の続き
 BBCの『地球伝説』で8年間に及ぶガリア戦争で、ローマ軍による百万人以上の虐殺と800もの街の破壊を挙げ、カエサルを非難するフォークナー氏。私はカエサルの『ガリア戦記』は未読だが、百万以上の犠牲者数の根拠はここから来ているのだろうか?百万人以上の死者説は今回の番組で初めて知った。
 さらに氏はアウァリクム包囲戦での4万名のガリア人虐殺を強調、老若男女問わない惨い虐殺を想像してほしいと言う。もっとも、アウァリクム(現ブールジュ)住民の内で僅か800名だけが逃れたことがwikiに記載されているが、番組では触れられなかった。

 フォークナー氏による非難は現代のヒューマニズムに基づいており、いかに紀元前でも凄惨な包囲戦だったのは間違いない。ただ、2千年前の虐殺を挙げ、現代人にそれを非難する資格はないはずだ。20世紀の2度の世界大戦では、4万名を軽く超える虐殺が世界の各都市で繰り返されたのだから。当時爆撃機があったならば、ローマ軍は無差別爆撃を躊躇わなかっただろうが、果たして古代人は現代人より非情さでは勝るのだろうか?

 番組ではウェルキンゲトリクスの非情さとして、アレシアの戦いで食糧不足を理由にアレシアの非戦闘員の住民全て追放したことを紹介していた。ローマ軍が住民を奴隷にするのを期待してのことだが、ローマも決戦を前に彼らの引き取りを拒絶する。双方から見捨てられたかたちの住民だが、彼らがどうなったのか番組では触れていない。少なからぬ餓死者も出たろうが、『ローマ人の物語』4巻には、「季節は。難民たちも、さして悲惨な末路を迎えなくてすんだのではないかと想像する」(388頁)とある。

 古代の戦史の特徴に犠牲者数の多さがある。ガリア戦争での百万人以上に及ぶ犠牲者数も、いささか誇張があるのではないか?古代に限らずとかく戦死者には水増しもつきものなのだ。ただ、実際の犠牲者がその半数だったとしても、未曽有の戦禍だったことは否めない。カエサルが世界史史上、屈指の英雄なのは確かだが、英雄という人種は敵国にとっては禍以外の何者でもない。カエサルの始めたガリア戦争が虐殺、破壊、暴行、略奪に満ちたものだったのは書くまでもない。カエサルのガリア平定の目的はローマの国益もあるが、己の野心が第一だったと思う。戦場となり、敗れたガリアが辛酸をなめたのは想像に難くない。

 カエサルが侵攻する前のガリアはローマより後進地帯でも、さぞ平和を享受していたかと思いきや、必ずしもそうではなかったことが『ローマ人の物語』に描かれている。ガリアには様々な部族がおり、互いに部族同士が争う群雄割拠状態でもあったのだ。それに加え、ゲルマン人の移動が既に見られた。
 ローマ文明の影響を受け、生活水準が向上したガリア人に対し、相も変わらず貧しく定住しないゲルマン人。勢い後者が強くなり、ライン川を越えガリアに侵入、略奪したり、気候の温暖なガリアに土着人を追い出し住み着くゲルマン人もいた。ガリア最大の部族さえ、ゲルマン人に人質を出す始末だった。BBC番組がこれには全く触れなかったのも、制作者がゲルマン人の子孫ゆえだろうか。

 ガリアはゲルマンの脅威を受けており、前者の同盟者であるローマはゲルマンに対処したのも確かである。カエサルもライン川を超え、ゲルマンを攻撃している。カエサルはガリアのローマ化は可能と考えたが、ゲルマンにはその考えは適応しなかったという。
 カエサルがゲルマンを撃退、その脅威が失せた後、皮肉なことにガリアで反ローマ感情に火が付いたのだ。それまで同部族内でも親ローマ派と反ローマ派の対立は見られたが、大同団結が不得手なガリア人ゆえに強力な指導者が表れなかった。その流れを変えたのこそ、ウェルキンゲトリクス。ガリア民族には稀な指導力を発揮、決起諸部族の総司令官になった彼はガリア人の団結を訴え、強権を振るう。以下は『ローマ人の物語』4巻からの抜粋。

そして、若き総大将はこれらのことの実現を、説得よりも厳罰主義で獲得する方法を選ぶ。約束が遅れたり果たさなかったりした部族には、火あぶり耳を削ぎ落す刑や、目をくり抜くという苛酷さで臨んだ。戦いで敗れた訳でもない他部族に対して、このような苛酷なやり方で対した例は、ガリアではかつてなかった。だが、オーヴェルニュの若者のこの厳格さが、分離しがちなガリア人を結合することになったのである…(357頁)
その三に続く

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ     にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
記憶の彼方のガリア戦記 (スポンジ頭)
2011-10-23 18:50:20
 お久しぶりです。近頃ネットに書き込む元気がなくご無沙汰しておりました。

 ガリア戦記は遥か昔に読んだことがあり、今は記憶の彼方となっているのですが、犠牲者の数に関してそこまでの記載はなかったはずです。第一100万人などとは現在でも異常に多い犠牲者ですのでそんな数値があれば記憶していると思います。
 寧ろ記憶に残ったのは数多くの部族名で、あまりにも○○族、××族、と言った名称が多く、そのあたりはきちんと読む気も失せ読み飛ばし状態でした。そして、ヨーロッパもアラブのような部族社会だったのが、今ではそんな片鱗も感じさせない点が不思議です。
 また、変わっていると思ったのが筆者のカエサルが自分のことを「カエサル」と三人称で記載している点で、客観的報告の体裁を持たせるためなでしょうか。

 >カエサルはガリアのローマ化は可能と考えたが、ゲルマンにはその考えは適応しなかったという。
神聖ローマ帝国はゲルマン系統ですし、ナチスドイツの科学者がアウグストゥスをゲルマン人仲間である北欧人の末裔と主張したという話を見つけた時は呆れ返りました。カエサルも想像しなかったことでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E4%BA%BA%E7%A8%AE#cite_ref-13
返信する
RE:記憶の彼方のガリア戦記 (mugi)
2011-10-23 21:58:07
>こんばんは、スポンジ頭さんさん。お変わりありませんでしたか。

 記事にも書いたとおり私はガリア戦記は未読ですが、やはり犠牲者数百万人とは書かれていなかったのでしょうか?古代の戦記では誇張もあるにせよ、BBCは何を根拠に百万人説を訴えたのか不可解です。
『ローマ人の物語』でも数多くのガリアの部族名が載っており、当時は部族社会だったことが伺えました。部族社会が変わったのも、ローマ支配が原因かもしれません。

 カエサルが何故三人称を使って記したのか不明ですが、ローマ元老院向けのプロパガンダ目的もあったと思います。もしかすると功績の誇張もあるかもしれませんが、彼の記録のおかげで当時のガリアが後世に伝わることになりました。
 それにしても、ナチス時代の科学者がアウグストゥスを北欧人の末裔と主張していたとは知りませんでした。ローマ帝国枠外の蛮族の子孫という劣等感があるのでしょうけど、帝国支配思想がゲルマン人に受け継がれるとは、カエサルも想定外だったでしょうね。
返信する