トーキング・マイノリティ

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原爆とТVドラマ・ホロコースト その四

2013-08-27 21:10:19 | マスコミ、ネット

その一その二その三の続き
悪いのは偏向教育です」というブログ記事に書込みしたΣ・亜歴氏の意見は興味深いので、全文紹介したい。  

私は広島出身なので、原爆の悲惨さは平均的な日本国民よりは理解しているつもりです。しかし、第二次大戦に関して「日本は悪くない」の論理には強く反対します。軍部主導の戦中レジームがいかに抑圧的だったか。思想言論の自由は一切なく欲しがりません勝つまではを強いたような国は、誰がどう見ても良い国ではありませんでした。
 犠牲となった無数の市民には哀悼の意を述べるしかありませんが、窮乏する戦況を竹槍訓練で乗り切ろうとする国を相手にすれば、交戦相手も一体どうやって戦争を終わらせるかを考えざるを得ません。原爆および本土爆撃の死傷者は当時の日本政府の政策の犠牲者です。

 もちろん、当時の日本も非人道的な政府なりに終戦のための出口戦略は模索していたとは思われます。少しでも日本の立場を守って終戦させたいと。これは日露戦争でのロシアがそうです。ただ、これは日本国民ではなく彼らの利益を守るために劣勢な戦争が伸びてしまいました。
 いかに占領軍が宣伝しようとも、このような悪しき国のくびきから自由になれた安堵感はあったでしょう。そうでなければ、戦後の日本国民がこぞってアメリカ文化を喜んで受け入れたかどうか。最近の中韓の対日要求から、ネトウヨを中心に日本は悪くなかった論が蔓延っています。それは極めて危険なことです。

 上の文章の太字はΣ・亜歴氏自身によるもの。氏はブログ「グローバル・アメリカン政論」管理人であり、プロフィールには90年代に市民運動に参加したが、左翼イデオロギーこそ市民の声だとする彼らの偽善を疑問視したと書いている。そして「英米の覇権と自由主義世界秩序」支持者となり、現代は外交評論家政治運動家とのこと。元市民運動家らしく氏は戦後レジーム脱却には頭が直情的になる反応をしており、ネトウヨを敵視しているのは確か。また氏は欧米、イスラエル敵視は過激左派呼ばわりしたことがあった。

 氏に対し、主婦ブロガーrobitaさんは品性と礼節ある反論をしており、その全文も紹介する。

「日本は悪くなかった」論について、「ネトウヨ」と言われる人たちがどのようなことを言っているのかつぶさには知りません。侵略だったとか侵略ではなかったなどについては私にはっきりとした主張があるわけでもありません。
 ただ、植民地争奪戦があった時代に「どこの国が悪い」も何もないだろうと思いますよ。だから、戦争責任者は戦争の進め方や終わらせ方に関して日本国民に対する責任はあるでしょうが、戦勝国が日本を「平和に対する罪」で裁く理不尽さを日本人として覚えておかなければいけないと思います。つまりA級戦犯と言われる人たちは日本国民に対しての罪はあるけれども、外国から責められるいわれはないということです。恨みは水に流すとしても、経緯は知っておくべきですよね。日本人の多くは、とっくに恨みつらみを水に流し、A級戦犯が祀られている靖国神社にお参りをするのです。

 原爆が落とされる前から、日本政府は終戦交渉をしたいと申し入れていたのに、アメリカは無視して原爆投下したんですよね。もし「早く戦争を終わらせるため」だったら、なぜ交渉に応じず、長崎にまであんなことしたんですか。日本が悪いのではないです。もし誰かを悪者にしたいのなら、アメリカやそれを取り巻く国際情勢を、じゃないですか。
 中国韓国が「南京虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」などの嘘を世界に広めるから、私達は怒るんじゃないですか?いろいろな人がいろいろなことをいいますが、戦争や戦後の経緯について日本人としてこれだけは知っておかなければならいということはあるはずです。

 実は2008年の拙記事「アメリカン・ダブルスタンダードの背景」で、私はΣ・亜歴氏を悪意と意地悪を込めてネタにしたことがある。「他国の提灯持ち」「英語が出来ても猿同然なだけ」とまで腐したが、上のコメントからも決して的外れではなかった。特撮ヒーローの世界ではあるまいし、「良い国」「悪しき国」の単純な二元論式分類には失笑した。氏の論法に倣えば、ベトナム戦争9.11の死傷者も当時の米政府の政策の犠牲者となろう。また国民全ての情報を盗聴、管理したり、プロジェクト112という自国兵士を化学兵器の人体実験にした米国は人道的な「良い国」なのか?

ブルガリア研究室」さんから、こんなコメントも頂いた
 ―冷戦後の情勢を見ると、ますますユダヤ系は欧米社会における反ユダヤ的言辞の取り締まりに厳しくなっているように見える。これは中東情勢がイスラエルに不利になってきている中で、なんとか、欧米社会を使ってイスラエル存続の世界世論を形成しようと焦っているからかもしれません。

 イスラエルは自国存続のための世界世論形成には手段を択ばないし、代弁者になるゴイムはいくらでもいる。この先も映像を駆使した情報戦を国策として続けるはず。未成年の頃、ホロコーストもののТVドラマを見て泣いた私だが、今は冷たい感情しかない。
 インドに「犬にはギーの味が分からない」という諺がある。字面だけ見れば「豚に真珠」と同じ意味の言葉に思えるが、「卑しい者には居場所がない」という意味が正しいという。

◆関連記事:「イスラエル・ロビー
 「イスラエルを擁護する人々

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26 コメント

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Unknown (クッキングホイル)
2013-08-29 19:59:21
アーリントン国立墓地にはベトナム戦争の作戦指揮官やWWⅡの海軍元帥、陸軍少将、ミッドウェー海戦の英雄、統合参謀本部議長なども葬られていますが、日本は敗戦国として、米国の大統領がアーリントン墓地に参詣することに対して別に避難しませんよね。生きているものが戦争のために命を捧げた人を尊敬してその死を悼むことは当然のことだと思います。

敗戦国だって同じことでしょう。自国のために命を捧げて戦った人を自分たちの方法で偲んだからといって、なぜ外国から避難されなければならないのでしょうね。また、「戦犯」ということは、日本人が、自分たちのためにどうであったかという評価付けを行う目安としてのものであって、外国の人がどうこう言う事では無いと思います。

ただ、「喧嘩両成敗」ということもあると思います。戦争が起こったこと、結果として行われたことについて、どちらか一方が完全に悪い、悪くない、ということは言えないように思うのです。
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クッキングホイルさんへ (mugi)
2013-08-29 22:53:24
 wikiの靖国神社の解説には興味深いことが載っています。GHQは靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていましたが、ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父はこれに反対した進言をします。その一部を引用します。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E7.84.BC.E3.81.8D.E6.89.95.E3.81.84.E8.A8.88.E7.94.BB.E3.81.A8.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.83.9E.E6.95.99.E7.9A.87.E5.BA.81

 ドイツにはヒトラーの誕生日を祝ってはいけないという法律があるそうです。これまた敗戦国の悲哀としか思えません。そして故ジョージ・フィールズさんが言っていましたが、「喧嘩両成敗」という考え方は欧米にはないそうで、やはりキリスト教圏では善悪二元論が基本なのでしょうね。これは儒教圏も全く同じであり、どちらか一方が完全に悪いという思考になるのです。

 滑稽なのは米国の御用評論家でしょう。ツッコミどころ満載ですが、現代でも思想言論の自由が保障されているのは日本や欧米の一部の国々だけであり、欧米もそれが完全に保障されているのか疑問ですね。件の外交評論家殿、アメリカによるイラン工作を「イランの自由作戦」と呼び、コメントを頂いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/37801b86e272a8e88bef8ac1ccc71864#comment-list

 以上から広島出身でも彼は日本国民ではなく、己や自分の属する組織の利益を守るための発言に過ぎないのです。
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こんばんわ (robita)
2013-09-02 00:00:14
3・4日寝込んでまして、mugiさんに私のブログのコメント欄を取り上げていただいているのを知りませんでした。
アメリカのやり口だとか中国のやり口だとか、国益をかけた策謀を知るにつけ、日本という国に生まれて良かったなと思います。
大国というのは維持するのが大変なんだろうなと苦労をお察しするばかりです。
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RE:こんばんわ (mugi)
2013-09-02 21:23:11
>robitaさん、

 3・4日寝込まれていたとは大変でしたね。まだまだ残暑が厳しい折、お大事にしてください。

 Σ・亜歴氏に対する貴女の返答が痛快だったので、拙ブログで勝手に引用させて頂きました(笑)。一般日本人に「良い国」「悪しき国」論を振りかざしても通じないのに、親米と称する者とサヨクの論調はそっくり。ちなみに拙ブログで、竹槍はゲリラ戦では効果を発揮するとコメントされた方がいました。現にベトナム戦争で竹槍も使われていたはず。

 小国だけでなく大国は大国で悩みがあります。国益をかけた策謀なら小国も劣らず行っており、そうでなければ生き残れません。むしろ策謀を駆使しない国の方か危ういのではないでしょうか?策謀で滅ぼされた国や集団はいくらでもあるし、これが国際世界や政治の現実ですよね。日本に恐るべき策謀を仕掛けているのは、米中だけではありませんから。
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信仰と宗教的慣行を分けて考える?? (室長)
2013-09-04 13:56:32
こんにちは、
 『正論』9月号に、ケヴィン・ドーク(1960年生まれの米国人、現在ジョージタウン大学教授、日本留学は高校時代を含めて4回、専門は日本の近代史)と産経新聞元ワシントン支局長の湯浅博の対談記事があります。題名は:「憲法改正と靖国参拝で民主主義国家たれ」です。
 この中で、ドーク氏は、基本的には、日本の憲法改正に賛成です。拡大解釈とか、解釈改憲方式では、だんだんと法治主義精神から乖離するとの警戒心から、きちんと条文改正すべきとの立場。他方で、慰安婦に関しては、「日本は全く正当化できない。売春が法律で認められていたことは、社会道徳上、売春を軽く見ていた、そのこと自体が社会的な罪だ」という。「ごめんなさい」以外の言葉を言う必要性はない、という。ただし、国家としての謝罪はもう必要はない、とも。
 この点が、唯一ドーク氏の米国人的意見で、その他に関しては、親日的立場が多い。
 
 しかし、小生が注目した靖国参拝に関しては、信仰と宗教的慣習を分けて考えるという、小生には少しわかりにくい議論を述べている。もっとも、信仰と、宗教的慣習(行動)を分離して、立場を形成したのは、バチカンなのですが。
 p82にあるドーク氏の議論では、「1932年(昭和7年)5月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが、軍事訓練中に靖国神社への参拝を命じられたのを拒否し、同大学のホフマン学長も彼らを支持するという出来事があった。参拝が宗教、すなわち神道の押し付けになりかねないという懸念でした。
 これに対して、東京地区のシャンボン大司教が、日本の文部省、陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に質したところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得ました。
 これを受けてローマ教皇庁は、1936年5月に、日本の信徒に向けて、「靖国参拝は、宗教的行動ではないため、日本のカトリック信徒は自由に参加してよい」という通達を出しました。その結果日本のカトリック教徒は、自由に靖国を参拝するようになりました。
 教皇庁は、戦後の1951年(昭和26年)にも、36年の通達を再確認し、現在も変更されていません」と述べている。
 小生には、信仰(英和辞書には、第1義としてReligeonと訳されている。他にはfaith、belief,devotion)と宗教的慣行・行動を分ける境界線が分りにくいが、ドークがこれより先に述べているところでは、
 アーリントン墓地での葬儀、追悼式は、何らかの信仰の要素を伴って行われることが多い。多くの場合はキリスト教の牧師らが祈りの儀式を催しますが、参列者は各自の宗派に関係なく追悼します。靖国参拝も、現世を超える他者・死者への追悼という慣行であって、参拝者は神道信者である必要性はない・・・。戦没者に対する慰霊は、宗派を超えた、他者の尊厳に対する精神的な敬意が前提・・とも述べている。

 そしで、小生なりに解釈し直すと、「戦没者追悼式、或は、各種の国家行事においては、その国における代表的な宗教、宗派による儀式、儀礼形式が伴われたり、牧師、僧侶、神官などの宗教家が祈りを先導する場合も多いけど、その場に参列する国民、或は外国人も、現実には、その国のために戦死した他者の尊厳を認めて祈りに参加するという外見的行動では、一緒に参加するけど、しかし、各自は、各々の、自らの宗教的信条に基づいて、心の中ではその自らの宗教儀式の形式に従って祈ればよい」のだと思う。

 小生の記憶では、ハワイのパンチボール=戦没者、或は米国の戦争に参加した元兵士のみが葬られる権利がある墓地の場合は、正面の真ん中にキリスト教式祭壇があり、その左右に、ユダヤ教式、仏教式の祭壇が設けられていた。つまり、元兵士の葬儀を行う時には、ユダヤ教徒ならこの祭壇でユダヤ教聖職者が、仏教徒ならこの祭壇で僧侶が、儀式を上げると決まっていた。他方で、何らかの国家の記念行事の時は、代表的宗教であるキリスト教の牧師が、代表して儀式を先導するのだ。
 ともかく、民主主義制度では、個人の権利、市民の自由、の他に第3番目として「他者の尊厳」への精神的敬意が社会の基礎となるとし、他者の尊厳の中には、死者への敬意も含まれるという。このドークの意見は、よく言われる「死者の権利」と考えてよいと思う。
 A級戦犯というレッテルで、誰かを貶め、その人に対する敬意を払わなくともいいのかと言うと、そうではないはずで、お国のために一生懸命働いた人々には、等しく敬意を払い、冥福を祈るのが正しい。アーリントン墓地には、南軍将兵の墓地もあるという。
 
 結局小生としては、信仰と宗教的慣行を分けるというよりは、ある国、社会の中で、他宗教、他宗派との共存を図って工夫していくのは当然のことで、従って、アーリントン墓地、或は靖国神社などが、その国家の主要宗教の影響下で、特定の意識、儀礼を伴いつつ、まつられることはしょうがないし、国民がそれに納得していれば、何ら問題ないことだと思う。
 他国民が、よその国の宗教意識、或は信仰心に対して、干渉するということが、そもそも常識外れなのだから、靖国参拝に関して、中、韓両国の内政干渉ははっきりと拒否していくべきことだ。
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追記 (室長)
2013-09-04 14:14:06
こんにちは、
 よく考えてみると、ドーク氏の意見は、信仰と宗教的行動を別物と考えているのではないと思えてきました。

 アーリントン墓地、或は靖国神社での儀式には、特定の宗教色のある儀礼がおこなわれるけども、これらの「国家的祭典、葬儀」などへの参加者は、別にその代表的宗教の宗教行動に参加していると考える必要性はない。それが国家としての、英霊への追悼意図のために行われているのならば、宗教的色彩は単なる外見で、参列している人々は、それぞれ自らの信仰心に基づいて、祈ればよい、ということでしょう。
 つまり、主要宗教による儀式が行われていても、その趣旨とするところが、戦没者追悼、祖国のために死亡した英霊への追悼であれば、実は、他宗教の宗教行動に参加しているわけでも、他の信仰に対して妥協したという訳でもない、というようなことらしい・・・
   ともかく、信仰と宗教行動は、やはり共にReligeonですから、別物とは言えない。
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内政干渉と基本的人権の侵害 (motton)
2013-09-04 15:59:57
宗教的用語を完全に排除すると、国(社会)を守った先人に『感謝』を述べ、彼らの志を継いで国(社会)を守ることを『誓約』するのは公人の義務(国民の義務)です。

そのために自らの信仰に基づいてとる行動が靖国参拝やアーリントン墓地での追悼だと思います。

そして、公人の義務を外国が制止しようとすることは内政干渉であり、個人の信仰に基づく行動を他者が非難することを基本的人権(信仰の自由)の侵害です。

なお、中・韓の干渉には基本的人権の侵害でつっぱねるのが正しいと思います。彼らの弱点でもありますし、平和条約の11条(戦犯についての規定)が国際法の慣習に反するような内政干渉の条文であるので対アメリカを考えると筋が悪いと思います。
返信する
RE:信仰と宗教的慣行を分けて考える?? (mugi)
2013-09-04 22:13:12
>こんばんは、室長さん。

『正論』9月号の対談記事は未見ですが、貴方のコメントからドーク氏のような意見の持ち主の米国学者がいることを知りました。もちろん氏のような見解は決して主流派ではないでしょう。慰安婦に関し、「日本は全く正当化できない。売春が法律で認められていたことは、社会道徳上、売春を軽く見ていた、そのこと自体が社会的な罪だ」は、やはりキリスト教的倫理観丸出しですね。一神教的価値観ではそうなりますが、中華、ヒンドゥーのような多神教圏ではあまり罪悪視されない。

 前に室長さんが米国外交を、「善悪二元論の、「倫理外交理念」」「宣教師的側面」と表現され、米国外交の底流には、今でもやはり、道徳、倫理に基づく判断基準というものが、根強く影響力を有していると述べたことを思い出しました。ドーク氏の慰安婦に関する主張も常識外れにちかいものがあります。
http://79909040.at.webry.info/201210/article_2.html

 ケヴィン・ドークで検索したら、彼の同僚で米国ジョージタウン大学で日本歴史を教えているジョルダン・サンドという准教授による反論サイトがありました。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data12.html

 やはりドーク氏は「米国の日本研究者の間では少数派の意見」だったようです。サンドは「研究論文ではなくて、ただの常識論に過ぎません」と断っていますが、私には不可能事を弄する非常識な極論にちかいとしか思えません。
 彼は「アジア太平洋戦争中に日本が侵略した国々の被害者が許す理由が十分にあると納得してはじめて、すべての日本兵を許し、すべての戦没者を同等に悼むことが可能になるのだ」と言っていますが、これぞ実現不可能な意見そのものです。肉親を殺された被害者全てが日本兵を許すはずはない。

 靖国神社が「日本軍」(官軍、皇軍)を相手に戦った国内外の兵士は靖国に一人も祀られていないなど、よくある靖国非難論ですね。米国人でも祖国のために尽くさず、造反者と判断された人物ならばアーリントン墓地には埋葬されません。
 サンドはまた、「日本の政治家が戦争の加害者を「英霊」として崇めるときに、自分自身あるいは自分の家族が日本軍によって残虐行為を受けた個人的な記憶を持っているアジアの多くの人々が、それに対して怒っても不思議ではない」と書いています。この論法を適用すればアーリントンも同じでしょ!米軍によって家族を虐殺された他国の多くの人々が、米兵を「英霊」化した米政治家に対して怒っても不思議ではないのです。

 彼は「アメリカ人として、われわれも自国軍隊の非人道行為を直視しなければならない」と言っていますが、これはポーズに過ぎないでしょう。その提案をすれば、まず学界を追われる羽目になり、米国人の二重基準は毎度のことです。サンドの末尾は興味深いですよ。
「その「英霊」のために何をするかよりは、その被害者のために何をするかの方が国の道徳的正統性を測るよりよい尺度となるのではないか」

 所詮はイスラエル元高官シーマンの、「日本が追悼すべき相手は、(日本の)帝国主義や大量虐殺の犠牲となった中国人、韓国人、フィリピン人らだ」と主旨は同じでしょう。シーマン発言と表現は違っても意味は同じで、「日本による侵略行為の報い」という本音が見えますね。
返信する
RE:内政干渉と基本的人権の侵害 (mugi)
2013-09-04 22:15:27
>motton さん、

 今回も鋭い正論を有難うございました!ただ、中韓は殊に日本に対しては内政干渉と基本的人権の侵害は平気で行うし、米国もそれを黙認している節がありますね。先のジョルダン・サンドなる准教授が典型ですが、中韓もまた米国人学者の説を良いように解釈、利用するのです。

 今回の「はだしのゲン」騒動のように、この先も中韓はサヨクを利用して、「アジア諸国の人々に申し訳ないことをした」と、この先ずっと謝罪と補償を求め続けると思います。
返信する
バチカン (室長)
2013-09-05 10:27:38
こんにちは、
 要するに小生が一番指摘したかったところは、カトリックの本山であるバチカンは、靖国への参拝は、「日本の当局が、宗教的行動ではなく、教育的、愛国的精神を表明するための行為」、という定義づけを示しているのだから、神道という宗教への参加を意味しておらず、参拝OKとの解釈を示し、今日に至っていることです。
 
 キリスト教の他の宗派は知らないけど(靖国への合祀を外せと要求した宗派もあったと聞くので)、カトリックに関しては、上記のように靖国参拝を信徒に「問題なし」とキチンと判断を下したようです。

 そして、その判断の根拠を考えると、やはりアーリントン墓地、その他の欧米の戦没者、或は国軍兵士の共同墓地などの在り方が、結局はその国々における主要宗教の色合いを持ちつつも、それでも他宗教、他宗派の人々の儀式への参加も当然視されているということでしょう。米国で行われているやり方と、靖国の在り方が、根本的には同じなのに、神道色の強い靖国での英霊への慰霊がダメでは、論理が合わない。

 そう言えば、先の英国のウイリアム王子の結婚式も、英国教会の僧侶による式典だったけど、ムスリム、仏教徒、ヒンズー教徒などの異教徒も、参列していました。
 国家的行事、婚礼行事への出席、などは、現地の主要宗教儀式を伴うにせよ、他の宗教の信徒も、自らの宗教への忠誠心とは関係なく、参加してよい、これがすでに長い間続いてきた国際社会の常識なのでしょう。

 もちろん、宗教によっては、そういう宗教儀式のときには、その部分に関して、異教徒は外に出てもらう、というやり方もあり得るでしょうが(未開地域の伝統行事においては、タブーから、よそ者は出席できないことが多い。これはやはり、現地の宗教観で、よそ者は入れてはいけない原則があるからでしょう)。

 ともかく、靖国にいちゃもんをつけているのは、共産党で宗教観の怪しい中国、北朝鮮、そして何でも反日の韓国という3国のみです。無視すべきです。

 ちなみに、慰安所については、当時の言葉ではP屋=ピー屋といい、台湾では、出征兵士同様に、兵隊さんに同行する朝鮮人Pさんたちにも、「お国のために頑張ってきてください」と言って、鉄道駅などで歓送行事があったという。月収200円という高給取り(普通の人は20円)とはいえ、「兵隊さんのために、頑張って奉仕してくれる人々」との感謝の念が、台湾の人々の間にあったという。(西村真悟のブログより。P屋については、別記事。Pの語源は明らかでないが、prostituteの可能性もあるらしい。)

  こちらの話の方が、感動的だし、当時の本来の雰囲気を反映する実話です。慰安婦(当時はPさん)に対しては、心を慰めてくれる方、或は童貞のままに死ぬよりは大人にさせてあげたい、との同情心とか、いろいろの要素があったと思う。そういう意味で、慰安婦の方々への感謝の念を、台湾の現地では人々が素直に持っていたということ。この点は、我々も同じ気持ちで捕えるということでよいのかも。とはいえ、今さら謝罪など要求されても、自分自身とは無関係な話だし・・・・。どこの国でもやっていた普通の話だし・・・。ドーク氏の「ごめんなさい」という言葉に同調する気もない。
 小生の記憶では、1973年の秋NYに出張した時、普通のビジネスホテルのロビー、その隣のカフェには、売春婦が大勢たむろしていた。米国でも、70年代まで、売春婦は(非合法だったかもしれないけど)大っぴらに、営業していたのです!小生は無視したけど、彼女たちにも、軽蔑せずに、「ごめんなさい」というべきなのか??なぜ、米国は、ほんの30年ほど前まで、自国でも普通に蔓延していた売春業を、今になって、断固人道的罪悪と断罪するのか??売春婦も白人、黒人がいたけど、もちろん自国の米国人らしかったし・・・。この点が、現在の欧州における、東欧系売春婦というのとは異なるけど、この東欧系の売春婦には、コソボに展開している国連軍所属兵士たちが、お世話になっているけど、バン・キブン(韓国系)の現国連事務総長は、それらの報道とかは握りつぶしているという。もちろんベトナム出兵時の韓国兵の強姦なども無視です。
 なお、産経紙によると、米国地方都市での韓国人団体による慰安婦少女像建設運動には、背後で、中国人団体が暗躍しているという。中国への米国人の風当たりが強くなっている世論を惑わせる工作らしい。
 本当に卑怯な連中です!!
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