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先日、仙台市博物館の特別展「近江巡礼 祈りの至宝展」を見てきた。「滋賀県立琵琶湖文化館が守り伝える美」のコピー通り、国宝や重要文化財級の展示品は実に見応えがあった。以下はチラシ裏面の説明文。
―かつて「近江」と呼ばれた滋賀県では、琵琶湖の恵みによって古くから文化や産業が栄えてきました。奈良や京都に近く、大津や信楽に天皇の宮が置かれた歴史もあります。また琵琶湖を望んでそびえる比叡山は、日本仏教の一大中心として様々な宗派を生み出す母体となりました。
滋賀県には仏教美術や神道美術をはじめ多くの文化財が伝えられており、それらをまもり伝えるうえで大きな役割を果たしてきた施設が、滋賀県立琵琶湖文化館です。この展覧会では、同館の寄託品・収蔵品から、日本の文化が集約されたような滋賀県の至宝をご紹介します。
チラシや地元紙の広告に載った写真だけでも展示会に行きたくなる。上の画像は作品№21神照寺(長浜市)の透彫華籠で、平安時代の作品という。平安時代にこれだけ質の高い金工芸品が制作されていたのも驚くが、これは国宝となっている。
日本仏教の一大中心地だけあり、今回の特別展で多くの仏像が展示されていたのは嬉しい。一応浄土宗の家で、普段は念仏など唱えたこともない形だけの仏教徒の私だが、何故か若い頃から仏像を見るのは好きだった。上は作品№20帝釈天立像(正法寺)、これも平安時代作とか。ルーツはバラモン教の武神インドラだが、日本の仏像ではすっかり穏やかで端正な姿になっている。
作品№32が上の「女神坐像」(金勝寺)。平安時代作で滋賀県指定文化財となっているが、何の女神なのか解説はなかった。女神像の割にはあまり美しくも気品もないし、フツーのおばさんを映した像にしか見えなかった。当時の近江女性はこのような容貌が多かったのか。
特別展で私が得に見たかったのが、作品№26空也上人立像。空也上人立像といえば日本史や美術史の教科書にも載っている六波羅蜜寺のものが有名だが、今回の展示は荘厳寺(近江八幡市)の立像。六波羅蜜寺の立像を模して作られたそうだが、荘厳寺の空也像は端正な六波羅蜜寺のそれとは違い気迫とリアリティがある。このようなスタイルで辻説法をすれば、現代でもウケるのではないか。
空也はただ南無阿弥陀仏を唱えて諸国廻りをしていただけでなく、道路・橋・寺などを造り、社会事業を行っていたという。宗教法人と化し、施設設備代を社会に要求する現代の仏教僧侶たちを、あの世で空也はどう見ているのだろう。
今回の展示仏像で最もよかったのが、作品№48地蔵菩薩立像(東南寺)で、これも平安時代作。仏像としてはそれほど大きなものではないが、女性的な優美さと気品があり、金勝寺の女神像より優美だ。他に展示されていた仏像も平安時代作品が多く、やはり古くから仏教美術が栄えた地らしい。
会場には仏画や琵琶湖周辺を描いた風景画も展示されており、湖が映える風景画はまさに絵になる。近江だけでもこれだけの仏教美術品があることは、一日本人としても誇らしくなる。
仏教徒が多い国ならば、仏教寺院や文化財は大切にされると日本人一般は思うだろうが、隣国はそうでないことがブログ記事「韓国のキリスト教徒」で紹介されている。管理人氏はwikiの「大韓民国の宗教 宗教間対立」を引用しており、以下はその全文。
―韓国のプロテスタント系キリスト教徒は仏教に対して敵対心を露わにしている。幾つかの大きな寺の破壊を含めて、この二十年間にも仏教寺院や施設が放火や破壊に遭う事件が数十件発生している。これらの事件の幾つかでは、加害者はプロテスタント教徒と特定されるか、或いは「偶像崇拝」と非難する落書きを残している。
他にも仏教寺院の貴重な壁画が「赤ペンキ十字架」で汚されたり、石仏が斧で破壊された事件があったという。韓国の新教徒はタリバーンに劣らぬほど仏教施設の破壊に血眼になるようだが、日本のメディアは例によって韓国の恥部は一切報道しない。このような国と最低千年間は友好はあり得ないだろう。
日本の戦国時代も西欧人宣教師が煽動、仏教寺院はじめ仏画仏像への凄まじい破壊が行われており、「戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か」というブログ記事にはその詳細が描かれている。結論から言えば、寺社や仏像の破壊は宣教師の教唆によるものであり、キリシタンの少年たちを招集させ、仏像への冒涜や破壊行為を命じたこともある。
先に蛮行を働いたのはキリスト教徒の側だった。しかし、日本の歴史教科書でキリシタン迫害は特筆しても、キリシタンのテロ行為は全く載せないのはいかなる理由なのか。
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我が家は京都の古い町屋でして、一族がキリスト教に改宗した理由と時期もはっきりしているのですが、菩提寺との付き合いも相変わらず続いておりまして、改宗前の先祖の墓参は菩提寺で行います。
菩提寺は滋賀、大津市の坂本というところにある延暦寺の系列に連なる別派の大本山です。仙台で「近江の巡礼」という展示があったことをお教えいただきましたので、坂本の寺のことなど色々と思い出しました。
また、拙記事に言及いただきまして恐縮です。ありがとうございました。
実は貴方の記事で初めて私は、韓国でクリスチャンが仏教寺院や施設を放火・破壊する事件が数十件も発生していたことを知りました。既に隣国では仏教徒よりもキリスト教徒の方が多いのですね。このようなことはネットをしていなければ、まず知らなかったはず。来日した韓国人キリスト教徒がトラブルを起こすのも、これでは当たり前です。かつての西洋人宣教師に劣らず危険ではないでしょうか。
ある秋の日、とても面白いことが起こりました。関西では紅葉の名所として有名な箕面(みのお)大滝を見に行ったときのことです。ちなみに、それは日曜日ではありませんでした。まず、出発直前になって、1名がドタキャン。理由は「教会の仲間に、やめろと言われたから。」でした。(かの有名な役の行者にゆかりのある場所だったから。)そして、所々に石碑が立っていたので、私が読んでいたら、最もファナティックな人が怒り出して、読むのを妨害し始めたのです。(役の行者について長々と書いてあったから。)朝も早かったし、長距離を歩いたので、そば(「行者そば」)を食べようとしたら、全員が激怒。お土産も買わせてもらえず、「こいつら、何が楽しくて、わざわざこんなところまで来たんだ?」と内心思いました。きっと、「俺様は、テメー(=私)とちがって立派なクリスチャンだ。」と自己陶酔するのが楽しくて休日を潰して大阪府箕面市までやって来たのでしょうね。ファンダメンタリストの相手は、本当に疲れます。
なお、箕面の行者そばは、乾麺ならば通販で手に入るので、私は時々これを食べて思い出し笑いをしています。
今回のファンダメンタリスト・クリスチャンのお話もすごいですね。確かに仏教文化の拠点だった関西には偶像が多いし、彼らは隣国のような仏教寺院や施設への放火や破壊を、内心は羨ましく思っているならば恐ろしいですね。
ファンダメンタリストからすれば紅葉の名所として有名な大滝でも、異教の行者ゆかりの地というだけで避けるのですか。そして貴方が石碑を読むのを妨害したファンダメンタリストまでいたとは…
ところで、貴方の石碑の読み方は黙読だったのでしょうか?音読ならファナティックな信者の勘に障ったかもしれませんが、黙読で妨害したなら救いようがありません。本当に何のために箕面市まで来たのか、異教徒には実に不可解です。
最も分からないのが「行者そば」を食べようとした貴方に、ファンダメンタリスト・クリスチャン全員が激怒した個所。クリスチャンにも食のタブーがあったのですか?自己陶酔して楽しむのは勝手ですが、自分の信仰心を見せつけて悦に入っているとしか思えません。こんな連中は行楽地に来ず教会に籠っていてほしいものです。
当時は趣味でやっていたとはいえ、歴史学を本気で学んでいる者であれば、歴史のある名所を訪ねた時は碑文を読むのは常識です。ましてや現代日本語に近い文章で書かれているものであれば。私は子供ではなかったので音読などせず、それぞれの碑文の前に立ち静かに眺めていました。すると、狂信者が「早く行こう!」と喚いて、私に読ませないようにしたのでした。
行者そばの件は、彼らが「行者」という言葉に反応したのです。店先で食べる行者そばも、お土産用の乾麺の行者そばも、どちらも役の行者にあやかったものなので、それに腹を立てたのかと思いましたが、彼らにそこまで知識があったとは思えません。
他にも、私が持っていた音楽のCDにタルティーニやパガニーニの曲が収録されていたので、「クリスチャンがそんな物聴くな!」と言われたこともありましたよ。とにかくキリスト教の団体では滅茶苦茶なことを吹き込まれるので、若い時の私は、フランス語の教材にヴォルテールの文章が多用されていたときも、大いに面食らったほどでした。(フランス語を習うのをやめようかと悩んだことも!)似たような話で、『ハリー・ポッター』を禁書扱いにしている牧師たち(主として福音派)のことが報道されたこともあったと思います。
やはり貴方は石碑を黙読で読まれていましたか。狂信者にとって異教の石碑を見ること自体、背教や冒涜に等しい行為なのでしょうね。「行者」の名称がついているだけで、蕎麦もご法度とは…「聖者蕎麦」「マリア饅頭」でも、キリスト教への侮辱と、彼らは怒るでしょうね。
タルティーニやパガニーニの曲もダメですか。やはり「悪魔のトリル」や悪魔的と言われた演奏技術が原因ですか?ローリングストーンズの代表作「悪魔を憐れむ歌」は特に米国で物議を醸し、メンバーが悪魔崇拝者と非難された出来事がありました。デーモンを芸名にするロックシンガーを出す日本とは対照的です。
そいつらがそのようなことをほざいていたのは、タルティーニの代表作の名称が原因ではありません。その曲の代償にタルティーニが悪魔に魂を売った、という伝説です。パガニーニについては、ヴォルテールと同様、彼が生きていた時から教会当局から目を付けられ、どこの教会からも埋葬許可が出なかったからです。私が、ツェッペリン伯爵のことを持ち出し、「飛行船が飛ぶまでは教会は彼を精神異常者として排斥したが、いざ飛行船が飛んだら、英雄扱いし始めた。だから、私は教会が・・・と言っているから自分も・・・といった行動はとらない。何でも自分で確かめるべきだと思っている。」と反論したら、こいつらは激怒しました。また、正教はトルストイが大嫌いです。これも類似の理由です。
ともあれ、キリスト教聖職者の「精神的指導」とやらに従っていると、世の中のことを何も知らない、何もわからない、でも、自分こそが一番の物分かり者、というとんでもない人格が形成されます。棄教しても、以前書いた元男娼のゲイ(牧師と実父にさんざん掘られた人)、ブログやfacebookに複数セフレとのお泊り旅行の実況中継をする女性、・・・のように、生き恥を晒す異常な人間として過ごさなければならなくなります。自分の場合、そうなる前に棄教できて本当に良かったと思っています。
何とタルティーニが悪魔に魂を売った、という伝説だけで「そんな物聴くな!」となるのですか!どこの教会からも埋葬許可が出なかったという理由ならば、パガニーニ以外の芸術家も対象になりそうですね。ツェッペリン伯爵のエピソードは初めて知りました。飛行船飛行に成功するや、英雄扱いとは教会も現金すぎますね。そして、正教はトルストイが大嫌いだったことも初耳です。キリスト教聖職者にかかけば、楽聖や文豪の作品も迂闊に鑑賞できませんね。
>>キリスト教聖職者の「精神的指導」とやらに従っていると、世の中のことを何も知らない、何もわからない、でも、自分こそが一番の物分かり者、というとんでもない人格が形成されます
おそらく他宗教信者にも似た様な人格の持ち主がいるでしょうね。書込みからはその人物の教養や人格も伺えますが、全くの世の中知らずのくせに、自惚れだけは人一倍といった者はネットでも見かけます。その類は誰もがバカばかりと放言、途方もない思い上がりに陥っていますが、正体はヒキニートだったり(笑)。宗教に救いを求めると、社会不適応に拍車がかかる。
貴方の挙げた元男娼のゲイや女性のような異常者は、生き恥を曝しているという自覚さえ既にないのかもしれません。キリスト教聖職者の「精神的指導」とは、精神や社会性破壊としか思えません。