トーキング・マイノリティ

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中国に対して謝罪し続ける覚悟 その③

2010-01-18 21:16:51 | マスコミ、ネット
その①その②の続き
「風に寄せて」氏は鬼の首を取ったように、ホルガー氏と私の関係を挙げている。「お互いの記事にリンクしあって、他の人も、こんなこと書いてますよ、なんて紹介しあっていますね。それも、この記事を書くより一年以上前から。同志二人で、お互いに褒め合っているということですか」「ここのご主人は、そのドイツ人の方と基本的に同じ考え方をお持ちの方であり」「また、同志?、少なくとも交流があり…」

 ネットをしていれば、同じ考えや趣味の者同士で気の合う仲間も出来るのは普通であり、良いと思った記事をリンクし合うのは当り前だが、自らサイトを開設したことのない者なら、それさえ想像できないだろう。特にブロガーにとって、自分の記事を紹介される程うれしいことは無く、そのお返しに相手の記事をリンクするはよくあること。
 また、氏は私が「ドイツ人の方との関係を明確にしない」と非難するが、ホルガー氏のHPを見れば互いにリンクしあっているのが分かるし、殊更書く必要もないと思ったからだ。「交流」といえ、2回程度メールを交わした程度のもので、互いに友人とは思ってはいないはず。氏のHPは興味深いが無政府主義者の傾向もあり、面白いサイトは他にいくらでもあるので、1年ちかく忘れていた。

 ホルガー氏のHPを知ったのは、キリスト教史の検索がきっかけ。氏の「教会は最大の犯罪組織」がヒット、記事内に「アレクサンドリアの大司教聖キリル(Kyrill)の命令により、キリスト教の狂信者はアレクサンドリアの有名な女性哲学者ヒパチア(Hypathia)を誘拐して教会の中へ引き摺り込み、服を脱がせ、ガラスの破片で彼女の体を切り殺しました…」とあり、ガラスの破片で切り殺されたとの箇所が気になったのだ。私が見た「アシモフの雑学コレクション」(新潮文庫)ではカキの貝殻となっており、その辺はどうなのか、メールで問い合わせてみた。そして、彼から返信があった。
「破片」で切られて殺されたと聞かされた場合、ガラスの破片と思い込むことが多いと思います。少なくともドイツ語ではそうです。Scherbenとはまず第一にGlassscherbenです。

 私はドイツ語は読めないため、ヒパチア惨殺の凶器がガラスの破片かカキの貝殻かは確認は出来なかったが、wikiはカキの貝殻と書かれている。この程度の“交流”であり、ホルガー氏のメールアドレスはスパミングの総攻撃の的にもなっていたので、私以上に“交流”したがる人が多いようだ。それでも、メールアドレスを公開し続けるのだから、並みの日本人より肝は据わっている。匿名で噛み付くだけの者、コメント・トラックバック欄を閉鎖しているブロガーより立派。

 別にクリスチャン及びシンパでも全く構わない。信仰の自由があるし、異教徒に己の宗教を押し付けなければ、何を信仰しようが勝手。しかし、シンパを疑われる文面なのに、見え透いた欺瞞が通る思い込んでいる幼稚性。疚しいことがあるから偽証するのであり、文面から「風に寄せて」氏の社会性も浮かぶ。
 もし、本気で中国に謝罪する覚悟があるなら、「風に寄せて」氏自らその身を捧げればよい。臓器を提供するなり、その後プラスチックでガチガチに固められ、「人体の不思議展」の類の見世物になるのもよし、喫人(食人)宴会で食われても構わないではないか。殉教すれば天国で永遠の命が得られるのだし、これぞ真の謝罪である。

 キリスト教徒やそのシンパではなくとも、かつての私のようにマザー・テレサを文句なしに尊敬する日本人が大半である。その理由はインドのスラム街での奉仕活動なのだ。それだけでマザーへの批判を許さない空気があり、特に現地でボランティア活動体験のある者はその特徴がある。何もしない者なら、黙っていろということだ。しかし、その奉仕活動なるものも疑問だと私は考えている。

 wikiにマザーは「1910年8月26日、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアスコピエ)でアルバニア人の家庭に生まれた…」とあり、しかも、ムスリムが大半のアルバニア人の中でも両親は少数派のカトリック。ならば、修道女として教会に入るのは教育も受けられる上、生活の安定を得られることになるのだ。特に敬虔でなくとも安定した職を求めて、聖職に就く者は珍しくもなく、特にカトリックなら多国籍企業よりも基盤は磐石である。永久就職先には最適なのだ。
 そして、彼女の故郷は旧ユーゴスラビア連邦の領土でもあり、冷戦時代は共産主義国だった。そのような地域で、少数派カトリックがどのような扱いを受けるのか。財産や自由のみならず、下手すると命も奪われたかもしれない。ブログ「ブルガリア研究室」の「マケドニアにおける民族紛争」という見事な記事には、冷戦終結後の凄惨な民族対立が描かれている。これに比べれば、インドのスラムの方がずっと安全と自由が保障されている。カトリック教会の庇護もあり、スラムの住民よりは恵まれていたはずだ。
その④に続く

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 「ワクフ-イスラム式脱税

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