その①、その②、その③の続き
ツッコミどころ満載だが、私の方からも「風に寄せて」氏のコメントを検証したい。まず、以下の一文。
-キリスト教ないし宗教の歴史を見ればその誤りは明らか、として断罪するのならば、近代の日本が行なったこと、江戸時代までの琉球への政策、日本人だってなんとでも断罪できます。ここのご主人は、中国に対して謝罪し続ける覚悟でもあるのかと疑問を持ちます。歴史の中で、人間が冒してきた罪を、自分とは関係ないものとして捉えているのでしょうか…
これぞ左翼が日本を断罪する陳腐な常套句であり、現代の価値観で過去を見るという史学の外道、マルクス史観の骨董標本に過ぎない。中国のことなど一言も触れてない「マザー・テレサの実像」の記事に、唐突に中国を持ち出すのも、拙劣な論点ずらしが狙いなのだ。
江戸時代までの琉球への政策など、当時の西欧はもちろん、儒教、イスラム、ヒンドゥー社会における異民族支配に比べれば、その酷さは物の数ではない。ヤマトンチューが琉球で横暴に振舞い、現地人を見下し差別したのは事実だが、これが同時代の中国が支配したならば、どのような結果となったのか?台湾化していたのは確実である。つまり、漢族による大量移民で原住民は僻地に追いやられ、反抗すれば虐殺で屍の山を築く。それが世界史でありふれた現象だった。
台湾は17世紀の一時期、オランダ東インド会社による支配を受けるというオランダ統治時代もある。『日本大王国志』(フランソワ・カロン著、東洋文庫90)には台湾に赴任した東インド会社社員による記録も載っており、台湾原住民の当時の暮らしも伺える。そして原住民は中国人を非常に恐れているとも書かれていた。台湾に関心のある職場の上司からも、漢族による台湾原住民の虐殺の話を聞いたことがある。
近代の一時期を除き中国は常に覇権国家であり、この先もそれは全く変わらない。日本が江戸時代の清朝、周辺への拡張政策で最盛期の乾隆帝の頃には最大の領土を誇った。「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回の外征の結果である。その際、遊牧国家ジュンガルは壊滅させられ、ジュンガルの支配地は新疆として清の領土に組み込まれる。
中国にもイスラムを信仰する回族がおり、清朝時代、この少数民族への政策は苛酷の一言に尽きる。回族について以前、「回教から見た中国」「馬明心-乾隆帝時代の回族反乱者」という記事を書いているが、これだけでも回族の苦難が忍ばれよう。また、17世紀後半以降は流罪で済んだ日本と異なり、清朝中国でキリスト教徒は徹底して迫害、虐殺された。キリスト教に親近感を寄せているような「風に寄せて」氏には、中国が冒してきた罪を自分とは関係ないものとして捉えているのは確実と思える。
そして「風に寄せて」氏の宗教感も滑稽だった。ならば、是非“十字架”を背負わせて差し上げたい。
-宗教に関する歴史観は、一人の日本人としてあり得るとは思いますが、それは高校の教科書かwikipediaでも見れば書けることで、宗教を持たない多くの日本人が、宗教とは何なのか、なぜ宗教が求められてきたのか、という人間の悲しみを考えずに安易に発する、使い古されたものに過ぎません…
「宗教とは何なのか、なぜ宗教が求められてきたのか、という人間の悲しみを考えず…」など、甘ったるい感傷主義の極みであり、青臭い学生なみの感性と底の浅い宗教観を曝している。宗教の本質やそれが求められた背景など、社会人体験が少しでもあるなら、宗教学者ならずとも分かるはずだ。宗教は悲しみというより過酷、苛烈な迫害の類のもたらしたが、権力統治や秩序にこれほど貢献したものもない。苛酷な現実に向き合うより、生者なら誰も見たことのない雲をつかむような死後の世界の夢を見ていた方が、遥かに心地よいからだ。
「風に寄せて」氏は私も含め多くの日本人の宗教観を、高校の教科書かwikipediaでも見れば書けると断じている(※たぶん「宗教の衣をまとった帝国主義」への批評)。これだけで、何故氏がHPを開設しない理由が分かった。教科書かwikiだけでは、高校の歴史課題を書き上げるのさえ不足である。教師は課題となるテキストを出し、それについて論文を書くように求めるが、教師もアホではない。ネットで調べただけの内容なら即座に見抜き、赤点をつけることだろう。まさか、氏は高校で学んでもいないのか?見るのが高校教科書かwiki程度なら、ブログを始めてもたちまちネタ切れになるし、基礎知識もない者ならwikiも使いこなせず、情報を鵜呑みにする。
「人は己の体験に基づいて書く」と言った人もおり、「風に寄せて」氏は己の体験と他人のそれを混同している節が見られる。匿名が効くネット世界では殊更学があるフリをして、掲示板などで学者と名乗る者も珍しくない。しかし、その書込みはwiki等から検索したものを、そっくりコピーしているだけ。wikiも怪しい面があり意図的と思える誤記述も見られるが、高校の教科書を見た程度では見抜けないだろう。「風に寄せて」氏の最終学歴は不明だが、社会性や歴史観では高校生レベルも危ういことだけは理解できた。高校世界史教科書はもちろんwikiにも、ネルーの言葉など載っていないのだが。
その⑤に続く。
◆関連記事:「無神論者」
「父が子に語る宗教への対応」
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ツッコミどころ満載だが、私の方からも「風に寄せて」氏のコメントを検証したい。まず、以下の一文。
-キリスト教ないし宗教の歴史を見ればその誤りは明らか、として断罪するのならば、近代の日本が行なったこと、江戸時代までの琉球への政策、日本人だってなんとでも断罪できます。ここのご主人は、中国に対して謝罪し続ける覚悟でもあるのかと疑問を持ちます。歴史の中で、人間が冒してきた罪を、自分とは関係ないものとして捉えているのでしょうか…
これぞ左翼が日本を断罪する陳腐な常套句であり、現代の価値観で過去を見るという史学の外道、マルクス史観の骨董標本に過ぎない。中国のことなど一言も触れてない「マザー・テレサの実像」の記事に、唐突に中国を持ち出すのも、拙劣な論点ずらしが狙いなのだ。
江戸時代までの琉球への政策など、当時の西欧はもちろん、儒教、イスラム、ヒンドゥー社会における異民族支配に比べれば、その酷さは物の数ではない。ヤマトンチューが琉球で横暴に振舞い、現地人を見下し差別したのは事実だが、これが同時代の中国が支配したならば、どのような結果となったのか?台湾化していたのは確実である。つまり、漢族による大量移民で原住民は僻地に追いやられ、反抗すれば虐殺で屍の山を築く。それが世界史でありふれた現象だった。
台湾は17世紀の一時期、オランダ東インド会社による支配を受けるというオランダ統治時代もある。『日本大王国志』(フランソワ・カロン著、東洋文庫90)には台湾に赴任した東インド会社社員による記録も載っており、台湾原住民の当時の暮らしも伺える。そして原住民は中国人を非常に恐れているとも書かれていた。台湾に関心のある職場の上司からも、漢族による台湾原住民の虐殺の話を聞いたことがある。
近代の一時期を除き中国は常に覇権国家であり、この先もそれは全く変わらない。日本が江戸時代の清朝、周辺への拡張政策で最盛期の乾隆帝の頃には最大の領土を誇った。「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回の外征の結果である。その際、遊牧国家ジュンガルは壊滅させられ、ジュンガルの支配地は新疆として清の領土に組み込まれる。
中国にもイスラムを信仰する回族がおり、清朝時代、この少数民族への政策は苛酷の一言に尽きる。回族について以前、「回教から見た中国」「馬明心-乾隆帝時代の回族反乱者」という記事を書いているが、これだけでも回族の苦難が忍ばれよう。また、17世紀後半以降は流罪で済んだ日本と異なり、清朝中国でキリスト教徒は徹底して迫害、虐殺された。キリスト教に親近感を寄せているような「風に寄せて」氏には、中国が冒してきた罪を自分とは関係ないものとして捉えているのは確実と思える。
そして「風に寄せて」氏の宗教感も滑稽だった。ならば、是非“十字架”を背負わせて差し上げたい。
-宗教に関する歴史観は、一人の日本人としてあり得るとは思いますが、それは高校の教科書かwikipediaでも見れば書けることで、宗教を持たない多くの日本人が、宗教とは何なのか、なぜ宗教が求められてきたのか、という人間の悲しみを考えずに安易に発する、使い古されたものに過ぎません…
「宗教とは何なのか、なぜ宗教が求められてきたのか、という人間の悲しみを考えず…」など、甘ったるい感傷主義の極みであり、青臭い学生なみの感性と底の浅い宗教観を曝している。宗教の本質やそれが求められた背景など、社会人体験が少しでもあるなら、宗教学者ならずとも分かるはずだ。宗教は悲しみというより過酷、苛烈な迫害の類のもたらしたが、権力統治や秩序にこれほど貢献したものもない。苛酷な現実に向き合うより、生者なら誰も見たことのない雲をつかむような死後の世界の夢を見ていた方が、遥かに心地よいからだ。
「風に寄せて」氏は私も含め多くの日本人の宗教観を、高校の教科書かwikipediaでも見れば書けると断じている(※たぶん「宗教の衣をまとった帝国主義」への批評)。これだけで、何故氏がHPを開設しない理由が分かった。教科書かwikiだけでは、高校の歴史課題を書き上げるのさえ不足である。教師は課題となるテキストを出し、それについて論文を書くように求めるが、教師もアホではない。ネットで調べただけの内容なら即座に見抜き、赤点をつけることだろう。まさか、氏は高校で学んでもいないのか?見るのが高校教科書かwiki程度なら、ブログを始めてもたちまちネタ切れになるし、基礎知識もない者ならwikiも使いこなせず、情報を鵜呑みにする。
「人は己の体験に基づいて書く」と言った人もおり、「風に寄せて」氏は己の体験と他人のそれを混同している節が見られる。匿名が効くネット世界では殊更学があるフリをして、掲示板などで学者と名乗る者も珍しくない。しかし、その書込みはwiki等から検索したものを、そっくりコピーしているだけ。wikiも怪しい面があり意図的と思える誤記述も見られるが、高校の教科書を見た程度では見抜けないだろう。「風に寄せて」氏の最終学歴は不明だが、社会性や歴史観では高校生レベルも危ういことだけは理解できた。高校世界史教科書はもちろんwikiにも、ネルーの言葉など載っていないのだが。
その⑤に続く。
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