トーキング・マイノリティ

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評論家という名の似非文化人 その③

2010-03-02 21:25:30 | 読書/ノンフィクション
その①その②の続き
 山本七平はクリスチャンであり、聖書関連本を扱う山本書店社長でもあった。キリスト教徒ゆえに「疑い深いトマス」の物語を引用したにせよ、これは虚構に基づくものであり、反証の根拠には値しない。クリスチャン山本はイエスの復活というおとぎ話を真実だと信じていたのか?欧米人キリスト教徒もやはりイエスの蘇りを疑っていないのか?あまり信心深いとは思えないイギリス人作家フレデリック・フォーサイスの著書「オデッサ・ファイル」で、主人公が「死者が復活したのはイエス・キリスト以来…」という箇所がある。
 トマスの話を紹介した後、不可解にも山本は戦前、戦時中の日本の例を持ってきている。「聖トマスの不信【その2】」から引用する。

日本国中が「天皇は現人神」と言った。もちろん新聞もそう書いた。「お前はヤソだそうだが、どう思うか」「私は天皇のところへ行って、直接『私は現人神』だという言葉を聞き、『疑うなら、この手にさわってみよ』といわれて、その手にさわり、その感触から、なるほどこれは人間ではない、やはり現人神だなあと感じない限り、そんなことは信じない」といったところで、「トマスの不信」が当然とされる社会なら、たとえ戦争中でも、これは不敬でなく、むしろ尊敬のはずである。

 第一、「信じない」ということは、自分の状態を正直に表明しているのであっても、客観的に「天皇は現人神でない」と断言しているわけではない。従ってそう私に質問した人間が、本当に天皇を現人神だと信じ、そう書いた新聞記者も本当にそう信じているなら、「なるほどね、そういう機会があるといいね」というだけのはずである。
 ところが奇妙なことに、この「トマス的返答」が、何にもまして徹底的に彼らを怒らせるのである。そしてその怒り方は、まことに壮烈なものであった。だが怒るということ自体が、その人自身が内心では、天皇を現人神だと思っていない証拠である…


 山本は詭弁に長けていたそうだが、それを駆使するにせよ、上記のような馬鹿げたこじ付けがかつて論壇にまかり通っていたとは信じ難い。もしかすると山本の個人体験を書いた可能性もあるが、イエスと天皇を一緒くたにして論じるのがいかにもクリスチャンらしい。キリスト教徒にとっては天皇など多神教の神官に過ぎず、現人神など断じて認められない。仮にその現人神の声を直に聞き、触れてみたところで、何故現人神と感じることが出来るのか?こんなことは絶対にありえないが、私がローマ法王から直接「私は神の代理人だ」という言葉を聞き、手に触れてみたところで、その感触はただの老人となるだろう。ドリアンという果物を知らぬ者が、この果実に触ったところで、ドリアンであると認識できるのだろうか。

 生前のイエスは弱小新興教団の師に過ぎず、聖書では弟子も十二使徒足らず。気軽に教祖と語らえる存在ゆえ、体に触れることも許されただけなのだ。だが、キリスト教団が拡大するにつれ、聖職者に一般信者は触れることも出来なくなる。高位聖職者となれば大いなる恩恵を施すしてやるとばかり、平信者に指輪にそっと接吻を許す始末。もはや、イエスと弟子達のような親密な関係は何処にもない。「トマスの不信」が当然とされる社会でも、この程度なのだ。
 信者が教祖若しくは聖職者の身体に触れられる宗教は、案外少ないのではないか?イスラムも一般信者は聖職者の体よりも衣装の裾に接吻する場合が多いようだし、抱き合うなど恐れ多いだろう。カースト制のあるヒンドゥー社会なら、下位カーストがバラモンに触れるなど、論外である。

 クリスチャンの山本が天皇を現人神と信じないのは当然なのだ。戦前の非キリスト教徒日本人も信じない者が少なくなかったと思われる。そもそも神の概念がキリスト教徒と多神教では異なるのだ。唯一絶対神の前者に対し、後者は何人もの神を認める。現人神も後者には大勢いる神々の中で、あまり力のない最高神の末裔と本気で信じていたのか、疑問に感じる。だから、山本が「信じない」と正直に言うのは正しいが、「天皇は現人神でない」と断言していると見なされたのは当り前である。キリスト教徒の心情を正直に表明して激怒させた例を挙げているが、欧米社会すら思想や信条の自由が認められたのはごく近代に過ぎない。「イエスは神の子ではない」と正直に表明したら、中世欧州はもちろん20世紀初めの米国も身体の安全が保障されたのやら。

 wikiに山本の思想について、次のような説明がされている。
-山本は、『現人神の創作者たち』のあとがきで、「もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に『現人神』を意識し、これと対決せざるを得なかった」と語っている。山本は、クリスチャンであるだけでなく、父親の親族に大逆事件で処刑された大石誠之助をもっていた。これらのことが、山本の日本社会・日本文化・日本人に対する思考の原点であるといえよう…

 これだけで山本の「現人神」を認めた日本社会に対する心情と憤怒が伺える。たとえ親族に処刑者が出なくとも、信仰に忠実であろうとすれば、周囲の日本人異教徒と相容れなくなるだろう。
 いずれにせよ、愛読者「一知半解男」氏による山本評、「「宗教」と「事実」を峻厳して扱う公正な姿勢を持ち、言論に宗教観を絡ませるようなことは無かったと思います」は全く当てはまらない。“宗教”と“事実”を混交するという不公正な姿勢に徹しており、著書名からして『ある異常体験者の偏見』であり、端から偏見で記していると正直に表明しているのだ。
その④に続く

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