トーキング・マイノリティ

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現代版特攻ママ その①

2017-07-22 21:10:15 | マスコミ、ネット

 河北新報には時々、名の知られている学者が投稿したコラムが載る。ひと口に学者といえピンキリだし、上に御用や莫迦の言葉をつけたいほどの者もいるが、7月10日付の「きょう―時評―あした」に山折哲雄氏のコラムが載った。
 タイトルは「テロへの耐性 欧米との落差」。氏は日本で第一人者とされている宗教学者のはずだが、コラム全体は酷いものだった。今回の記事名はコラムから取っており、先ず前半を引用したい。

毎朝、散歩に出かける。6時から7時にかけて小一時間ほど。休日、祝日には疾走する車が少なく、歩道も穏やかだが、週日となると人が群れ始め、混雑が始まる。
 ときどき自転車にまたがり、前後のカゴに2人の幼児をのせて、さっそうと走り去る若いママに出会う。すごいなと舌を巻くが、思わず「ああ現代版特攻ママ」と、同じ日本人として自嘲とも皮肉ともつかないつぶやきが噴きでる。

 ある宇宙飛行士が語っていた。超航空、超音速のジェット機を操縦している時、からだと気分は安定していたが、計器のスピード表示の数字を見たとき、いい知れぬ恐怖を覚えた、と。超以上のスピードに、からだは慣れていっても、視覚はついていくことができなかったということだろう。あの疾走ママの振る舞いは、どこかそれに似ている。そのとき感じた私のいい知れぬ恐怖にも通じる。
 だが、からだは、やがてそれに慣れていく。そのときママたちは、はたして何をどう感じているのだろうか。親子3人の、これからやってくるかもしれない過酷な運命について恐怖を抱くことはないだろうか。いや、おそらく慣れていくのだろう。いやはや、特攻ママは宇宙飛行士よりも強し、ということかもしれない…

“特攻ママ”の箇所だけで、唖然としたと同時に不快を感じた。河北にはクズ同然の有名人のコラムが載るのは珍しくないが、これほど憤慨を覚えたのは暫くぶりだ。山折氏が特攻隊を愚弄するのは自由だが、彼らと子育て真っ最中の現代の若いママを重ね合わせるのは、全くの的外ればかりか、日本の母親への嘲弄と暴言そのものだ。
 さらに宇宙飛行士を引き合いにまでして、特攻ママは宇宙飛行士よりも強し、ということかもしれないと揶揄する。同じ日本人とは到底思えない論調であり、こんな老人が学界を牛耳り、識者としてコラムを寄稿することにこそ、私にはいい知れぬ恐怖を感じる。

 新聞には山折氏の経歴も紹介されており、1931(昭和6)年、米サンフランシスコ生まれとあった。ならば、私の老母とほぼ同じ年齢で、この年代ならば既に孫もいるはず。但しwikiには氏の妻子について記載がなく、案外子供はいないのか?と想像したくなる。
 いずれにせよ、自転車に2人の幼児を乗せ、颯爽と走り去る若いママの姿は日本だけの現象ではない。中国や欧米諸国でも見かける光景のはずだし、幼い子供を抱えたワーキング・マザーなら当たり前なのだ。氏の論法で言えば、世界規模で現代版特攻ママが出現しているとなろう。

 山折氏のような昭和一桁生まれの男は、子育ては概ね妻に任せっぱなしにすることが殆どでも、幼児2人だけで育児にてんてこ舞いになることも判らないのか?職場に向かう必要がない専業主婦なら“特攻ママ”をしなくともよいが、氏の世代と違い幼児がいても、働くことを強いるのが現代社会なのだ。
 もちろん、前後のカゴに2人の幼児を乗せての自転車漕ぎは安全面で問題があり、事故になれば過酷な運命が待っている。しかし、危険性をいえば、自転車に乗らず徒歩で子連れ通勤しても事故に巻き込まれぬ保証はゼロである。通り魔や暴走車に出会うこともあり得るのだ。家事、育児に加え、仕事もこなさねばならない若い母親を“特攻ママ”と嘲弄するだけで、氏のえげつない人格が表れている。

 wikiに目を通したら、山折氏は物議を醸す発言を時々しており、特に私の関心を引いたのが2000年3月に設置された教育改革国民会議での提言。氏の提言は、「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」ことだったとか。朝日新聞あたりが早速取り上げ、問題視したのは当然にせよ、子供や兵士を厳しく「飼い馴らす」結果、生まれたのが特攻隊だったが。
その②に続く

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