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ドキュメンタリー『クイーン ヒストリー 1973-1980』『クイーン ヒストリー2 1980〜1991』を先日映画館で見てきた。実はこの2作品は、行き付けのツ○ヤからDVDを借りて見ていた。アマゾンのレビューからも長年のクイーンファンからの評価は低く、「コアファンには観る価値なし」というのは同感だった。見知らぬ「有識者」とやらが傾けるウンチクにはイライラさせられたし、全くの期待外れだった。
それでも映画館に足を運んだのは、大音量でクイーンの音楽を聴けるなら悪くない……と思ったためだ。実際に家の32型ТVで見るのと、大画面では迫力がまるで違う。PVやライブ映像を大画面で観賞できたのは嬉しい。尤も映像はかなり荒く、画面の左右が黒くなっていたは残念。
映画館に置かれていた『クイーン ヒストリー2』のチラシ裏には、こう解説されている。
「伝説から社会現象となった、史上最高のライブバンド=クイーン」
「アンダー・プレッシャー」「ボディ・ランゲージ」「RADIO GA GA」「ブレイク・フリー (自由への旅立ち)」…
「激動の音楽シーンの渦中、常に変貌し議論を呼んだ、“その後の”クイーンをLIVE&秘蔵映像と共に時系列に徹底検証。“ライブ・エイド”に 於ける圧巻のパフォーマンスも一部収録!全ての登場曲に日本語対訳入り」
PVコレクション『グレイテスト・ビデオ・ヒッツ2』は既に持っており、チラシで挙げられた曲のビデオは何度も見ている。初めて大画面で観賞したら、「ボディ・ランゲージ」は現代でもかなりエロい映像。むしろ'82年当時だからこそ、この種のPVが撮れたのだろうか?冒頭からモロに“本番”を思わせるシーンが出てくる。これではMTVでワイセツビデオとして、放送禁止を喰らったのは当然かも。
もっと不可解なのは、メンバー全員の女装が話題となった「ブレイク・フリー」のPVすらアメリカで物議を醸すとされ、MTV他多数の放送局で放送禁止の処置となったこと。日本の洋楽ファンでも女装は話題になったが、お笑いネタ扱いだった。既に'84年というのに、たかが女装程度で物議を醸すというのだからアメリカの頑迷さには驚いた。
「ブレイク・フリー」には、実はゲイに捧げた曲というヘンな解釈をする者が一部いるようだ。ブラジルのТVレポーターの女もフレディにその類の質問をしている。もちろんフレディはきっぱりと否定、あれはジョンの書いた曲だ、彼は結婚して4人の子供(※当時。フレディの死後、さらに2人の男児を儲けている)がいる、と答えていた。
歌詞には様々な受け取り方があるにせよ、あの曲がゲイに捧げたものという発想をする者がいること自体、私的には驚いた。妻子持ちのジョンの曲なので、古女房から自由になりたいという真意があるのでは?と解釈してしまった。新婚ホヤホヤの頃は「マイ・ベスト・フレンド」を書いていたのに。私の解釈は所帯クサすぎるが。
ボウイとの共作ゆえクイーンとしては異色作だが、「アンダー・プレッシャー」は名曲だと思う。実はフレディはボウイの才能を恐れていたと言った人物がいた。ボウイの方がリラックスしている印象はあるものの、本当のところは判らない。
もう1曲くらい、ボウイとの共作があってほしいと願ったファンも少なくなかったろうが、この曲だけで終わった。その原因はフレディよりもブライアンにあったようで、「ブライアンは性格的にボウイとはウマが合わなかったみたい」、とジョンは『ミュージック・ライフ』誌とのインタビューで答えていた。
何故2人が性格的にウマが合わなかったのかは不明だが、フレディ最後の恋人ジム・ハットンはボウイを「変なやつ」と手記で描いていた。フレディの方がもっと「変なやつ」だろうが、彼にはボウイにはない天性の陽気さがある。
私的に最も見たかったのはライブ・エイドの場面。シーンは一部に過ぎなかったものの大満足だった。自宅でDVDは何度も観ているが、大画面の迫力は桁外れなのだ。映画ボヘミアン・ラプソディ最大の見せ場であり、このシーンで泣いた観客も結構いたようだ。現に私が見に行った時、ほぼ同世代の右通りの女性は泣いていた。
しかし、私には全く泣けなかった。ボラプ役者たちの熱演にも関わらず、やはり本物には敵わない。ライブシーンではそれが如実に表れ、所詮はイミテーションか、と興醒めさせられた。ボラプボーイファンの方々、本物の実力はこうですゾ。
音楽評論家ポール・ガンバッチーニはフレディと親交があり、アメリカで流行している病気に気を付けるよう、'80年代初めに警告したそうだ。しかし、フレディはそれを無視、乱交を続ける。ガンバッチーニの危惧は見事に的中したのは書くまでもない。
フレディがメディアに叩かれていたのはゲイだったからというよりも、派手な生活ぶりが批判の的となったという。'80年代は派手な暮らしが称賛される時代だったが、性の乱れる風潮にとどめを刺したのがフレディの命を奪ったエイズである。
乱交の言葉だけで一般庶民は眉をひそめるが、ロックミュージシャンのようにアーティストにはインスピレーションを刺激するプラス面も大きい。創作意欲を掻き立てられるのは確かで、ラブソングは“My Love Is Dangerous”を実践した結果だった。
◆関連記事:「映画ボヘミアン・ラプソディ」
「フレディは幸せだった?」
「堕落した同性愛嗜好者の人生?」
タレコミ フレディがらみのネタなんですが、
徳永エリ議員が「フレディマーキュリーも、ジャッキーチェンも難民だった。避難先の国が受け入れたからこそ、活躍の機会が得られたのだ。日本では毎年約一万人が難民申請をしているが僅か0.4%しか、難民として認定されない。なぜ認定されたか、されなかったのか、認定基準も不透明なのだ!」
と????となるツイートをして話題となってますがフレディマーキュリーは過去のMUGIさんの記事を見ているとサンジバル島の動乱で故郷のインド
へ避難して、のちに英国本土へ移住ですよね?
また変な事実と異なるデマとおもえるのですが?
いくつかクイーンがらみのMUGIさんの記事を読みましたけど全部把握してるかわかりませんので。
出自について適切な過去記事があったらお願いします。
徳永エリなる女議員の名も件の発言も初めて知りました。wikiに目を通したら、元テレビリポーターの野党議員だそうですね。北海道はアカが多いことで知られますが、まさにそんなタイプ。尤も宮城もサヨク政治家を輩出しているから、道民のことはあまり言えませんが(笑)。
フレディマーキュリーも、ジャッキーチェンも難民だったなどというのは極例でしょう。確かに2人は成功者ですが、犯罪者やテロリストになった方が遥かに多い。移民と言えば、カポネやイスラム過激派指導者もそう。全く馬鹿げた論点ずらしですよ。
フレディについてはかなり記事にしているので、出自についてどの過去記事が適切なのか憶えていません。フレディ命日にザンジバルについて書いたことがあります。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/93c8be05012224fe8b9f3a2633bff71b
>>フレディマーキュリーは過去のMUGIさんの記事を見ているとサンジバル島の動乱で故郷のインドへ避難して、のちに英国本土へ移住ですよね?
故郷のインドへ避難し、のちに英国本土へ移住したと書いたことはありませんよ。サンジバル島の動乱で家族と共に直接英国本土へ移住しています。wikiにも、「当時17歳のフレディとその家族は、安全上の理由でザンジバルから逃れ、イングランドのミドルセックス州フェルサムにある小さな家へ移り住み、両親は郊外住宅の使用人として働いた」と解説されています。
あとwikiには載っていませんが、当時インド政府はザンジバルのインド系避難民の受け入れを拒みました。パールシー、ヒンドゥー問わずそのため英国に逃れる他なかったのです。
一応徳永議員の発言は間違いではないのですね。
ジャッキーの件はしらんのですが。ありがとうございました。
>故郷のインドへ避難し、のちに英国本土へ移住した
これは完全に誤解でしたね。なにか勘違いしていたようです。
まあなんにせよ有力な学者、軍人 政治家 技術者
でもない限り、難民なんて、普通は役に立たんでしょうな。別段芸能人の卵など国民の利益になるとは思えません。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/1ad0828a6ed361f18ab01fac45eb398b
難民の子孫から優秀な学者、軍人、政治家、技術者が出ることはあります。しかし一世では無理。芸能人を引き合いにだすところに、北海道の女議員の浅はかさが表れている。何処の国でも文系でなく技術者を求めますよ。